第2話 高峯さんとファイファン

 隣の席の高峯さんはどうやらちょくちょく異世界に行ってる。


 その日の昼休みも彼女は向こう側の世界に行っていたのか、五時間目の英語の授業を二分ほど遅刻してきたーーのは別にいいのだが、猛烈に気になることがある。


 高峯さんの左頬が竜のウロコ的な何かに覆われているのだ。


 なんなんだろう、あの姿は。何が起きたらあんなことになるんだろうか。もしかして、強敵との戦いにより己の中に眠っていた竜の力に目覚めた的な、ドラゴンクエスト的なアレだろうか。……いや、待て。竜を倒した際に血を浴びたことにより、竜の呪いを受けてしまったとかいうアレという可能性も捨てきれない。もしそうなれば、このクラスは大変なことになるのではないか。


 などと僕が推察を重ねた僕が、今すぐここから避難するよう進言しようとしたまさにその直前、英語担当の二見先生が高峯さんへ訊ねた。


「高峯さん、その特徴的なほっぺはどうしたのかしら?」

「え? ほっぺ、ですか?」

「そう。そのスケイルアーマーみたいになってるほっぺ」


 マズいですよ先生。それはまさに虎の尾ならぬ竜の尾を踏む行為。高峯さんの中に巣食う竜の呪いがいつ暴走するかわからないのにーー。


「す、すいません! お昼に食べたドラゴンの食べカスが付いたままでした!」


 ただの食べカスだったんだね、高峯さん。ドラゴンクエスト的なアレとか思ってた僕がバカだったよ。というか、お昼にドラゴンってなに? ワイルドにも限度がない? 朝ごはんに豚骨ラーメンすする僕の姉さんがまだマシに思えてくるよ。


 ともあれ、竜と化した高峯さんが教室の中を暴れ回ることは避けられたのは何よりと言える。教室内のあちこちから聞こえるクスクスという笑い声に耳まで真っ赤に染めた彼女に、僕はそっとポケットティッシュを手渡した。


「あ、ありがと」とそれを受け取った高峯さんは、恥ずかしそうにティッシュで頬を拭う。彼女の頬からポロリポロリと落ちた竜のウロコが、床へ落ちる前に白い灰になって燃え尽きた。高峯さんの昼食はもしかしたら火竜だったのかもしれない。


 ティッシュが鼻をくすぐったのだろうか、「へくち」とかわいい声と共に高峯さんがくしゃみをしたのはその時のことだ。それと同時に彼女の左肩から巨大な竜の翼が勢いよく生えてきて、僕は危うく、その鋭い翼膜に体を斬られそうになった。


 え? なんで? 高峯さん、やっぱ竜の呪いモロに受けてない? 半身が竜になりかけてない?


「高峯さん。エフエフのセフィロスみたいに、身体の片方から翼が出てるわよ。バランス悪いでしょ」


 二見先生、突っ込むとこはそこじゃないですよ。まず翼が生えてきたことに驚きましょう。


「先生。お言葉ですけど、エフエフじゃなくてファイファンです!」


 略し方はなんだっていいんですよ、高峯さん。あと、翼引っ込めて貰えないかな。


「エフエフですよ、高峯さん。これだけは譲れません」

「ファイファンです! ファイナルファンタジーの略なんですから、ファイファンに決まってるじゃないですか!」

「公式CMなどでもエフエフの呼称が採用されているところから、エフエフで間違いありません」

「それは公式が間違ってるだけです! だいたい、ウチの地元じゃみんなファイファンって呼んでますよ!」


 なんか変な喧嘩始まっちゃったよ。というか、高峯さんには悪いけど普通はエフエフじゃない? ファイファンって言いにくくない?


「エフエフ!」「ファイファン!」と言い争うふたりを薄目で見ながら、脳内で『片翼の天使』を流して暇を潰していると、高峯さんが痺れを切らしたように「もうっ!」と声を上げて鞄に腕を突っ込んだ。取り出したのは神霊術特化型魔導書グリモワールである。


 高峯さんが何やら聞き慣れない言語で呪文的な何かを呟くたびに、神霊術特化型魔導書グリモワールの放つ紫色の怪しげな光が強くなっていく。メテオ的な何かが放たれるのかと身構えたその直後、高峯さんは「ハッ!」と掛け声を上げて右腕を前方へ突き出した。


 彼女の手のひらから勢いよく放出された螺旋状の光線は二見先生を直撃。胸を撃ち抜かれる形になった先生はその場に膝を突き、それからゆっくりと顔を上げるとーー。


「高峯さん。先生が間違ってました。エフエフじゃなくてファイファンね」


 どういうタイプの洗脳? 略称を改めさせるだけでそんな大袈裟な詠唱が必要だったの? ファイファン派とエフエフ派の溝はどれだけ深いの?


「わかってもらえればいいんです」と高峯さんは満足げな笑顔を見せる。二見先生は何事もなかったかのように授業を再開した。


 エフエフ派がファイファン派に改宗させられる光景を目の前で見せつけられた僕は、どういうテンションで授業を受ければいいのだろうか。困惑する僕へ、高峯さんは神霊術特化型魔導書グリモワールを鞄へしまい込みながらこっそり囁く。


「ねえ、堀くんはエフエフ派? ファイファン派?」

「……まあ、ファイファンかな」と僕はエフエフ派から瞬時に鞍替えする。

「よかったぁ、堀くんがファイファン派で。この前もね、友達のジョボヴィッチとこの話題で喧嘩になったの。最終的には向こうが間違いを認めたんだけどね」


 ジョボヴィッチってそれもうミラしかいないよね。高峯さん、ミラ・ジョボヴィッチと友達なの? あと、あの女優さんをジョボヴィッチって呼ぶ人、この世界に存在したんだね。


 といった疑問などなどはすべて投げ捨て、とりあえず僕は「その翼、どうしたの」と最優先事項を片付けにかかることに決めた。


「ああ、コレ? ウッカリすると飛び出しちゃうことがあるの。わたし、竜の力引いちゃってるからさ。ごめんね、すぐ縮めるから」

「……あれだけファイナルファンタジーの略称で揉めてたのに、高峯さんはドラクエ的設定なんだね」

「し、仕方ないじゃない! わたしだって元ソルジャーのクラスファーストとか、そういう方がよかったのに!」

「コラ。そこのふたり、うるさいですよ」


 コッソリ喋っていたつもりだったのだが、二見先生には聞こえていたらしい。僕と高峯さんが揃って「すいません」と謝ると、先生は眉間に小さなシワを寄せてため息を吐き、それからこう言った。


「――死をも覚悟するほどの試練中に語り合いたいというのならば、デモンズウォールが設置された廊下に永遠なる時間の輪から出て、それぞれの運命を背負った二人で語り合い給え(訳:授業中に喋りたいなら、廊下に出て二人で喋りなさい)」


「……高峯さん。これって……」

「うん、さっきの魔術の後遺症。大丈夫、一時間くらいすれば治るから」


 結局、その日の英語の授業は終始ファイファン言語ノムリッシュ翻訳で行われて、期末テストを目前に控えた僕たちは貴重な一時間を棒に振った。

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