応えられない
荒れ放題の庭をどうにかしようと、フィーネとユアンは重い腰を上げた。
「きちんと帽子は被って下さいね」
「わかっています」
雑草は強敵であった。引き抜くにも力が必要だし、頑丈な根っこと共に虫が顔を出して、そのたびにフィーネはぎょっとさせられた。
「大丈夫ですか、フィーネ」
「だ、大丈夫です」
涙目になりながらも、フィーネは雑草を引っこ抜く力を緩めなかった。そんなフィーネを、ユアンが本当に大丈夫ですか、と何度も心配したように声をかけてくる。少し心配しすぎでは、と思いつつ彼女は耳を傾け、黙々と作業に没頭した。
そのうち、自然と慣れるもので、フィーネは芋虫ごときでは驚かぬようになっていた。
「逞しい方ですね、あなたは……」
ユアンの方がややうんざりしたように額の汗を拭った。夏の日差しは照りつけるように暑かった。
おまけに庭は広く、二人が目的をやり遂げるにはまだまだ途方もない時間がかかりそうで、ユアンの態度も頷ける。
「フィーネ。やはり業者を呼んで、手入れさせましょう」
「何を言っているんですか。もったいないです」
「でしたら、少し休憩しましょう。この調子ではとてもかないません」
根をあげるユアンに、フィーネは珍しいなと思いながら振り返る。すると彼女は目を丸くして、彼の顔をまじまじと見つめた。
「どうしましたか?」
「くっ、ふふ……」
フィーネが堪えきれずに吹き出すと、ユアンは首をかしげた。
「鼻のところが汚れていますよ」
ハンカチを取り出し、彼女は端正な顔立ちをした男の鼻を拭いてやった。
「これで、よし。さあ、とれましたよ」
ユアンは石のようにじっと固まっていた。
「ユアン?」
「……いえ、何でもありません。それより、雑草を片づけたら、どんな花を植えるんですか」
「そうですね……」
真っ先に思い浮かんだのは、一つだけだった。けれど、その花を植えたいとフィーネには言えなかった。彼女が迷って中々答えを出せないでいると、ユアンが代わりに候補を上げる。
「以前あなたが本を読んで綺麗だとおっしゃった花があったでしょう?」
「本?……ああ、あれですか」
それは庭に関する本ではなかった。小説の挿し絵に描かれていた、花のことをユアンは指していた。
何となく綺麗だなと思ってつぶやいた言葉だったのに、彼はよく覚えていたものだ。
「あなたがおっしゃったことは、何でも覚えていますよ」
フィーネは目を丸くして、少し困ったように彼を見た。それにおや、とユアンが唇を吊り上げる。
「もう以前のように顔を赤くして怒らないんですか」
「何回も同じことを言われれば、さすがに慣れますよ」
「そんなに何回も言っていたでしょうか?」
「自覚がないんですか……」
呆れたような声を出すフィーネに、ユアンは、はいとごく真面目な表情で頷いた。
「きっと意識に関係なく、あなたのことを考えているんでしょうね」
真顔で言った彼の言葉にフィーネは気まずくなり、土埃を払いながら立ち上がった。
「草むしりはもういいんですか?」
「誰かさんが暑くてやる気が出ないみたいなので、少し休憩にしましょう」
「わかりました。では飲み物か何かとってきましょう」
止める間もなく、ユアンは立ち上がって家の中へ入っていった。フィーネは結局彼の望み通りになってしまったのが、なんとなく悔しく、引っこ抜いた雑草の山を軽く睨んだ。
「――さ、どうぞ」
カランと氷が音を立てて溶けていくのが、何とも涼しさを誘う。冷たいレモンティーが乾いた喉を潤していき、フィーネとユアンは生き返るような心地がした。
「美味しいですね」
「ええ」
「やはり休憩してよかったでしょう?」
フィーネはそうですね、と素直に負けを認めた。
「それにしても、あなたがこんなに庭いじりに精を出すのは意外でした」
ガーデニングに興味がおありだったんですか、とユアンは不思議そうにたずねた。
フィーネは答えるべきかどうか迷いつつ、じっとこちらを見つめる目に勝てず、白状する。
「その、小さい頃にはたくさんの花が咲いていたんでしょう?」
ユアンは幼い頃、伯父のマクシェイン氏とこの家で暮らしていた。その時は今のように雑草が伸び放題の庭ではなく、きちんと手入れされ、美しい庭を維持していたそうである。
その時の話を、ユアンが感慨深げに語っていたのが珍しく、フィーネは印象に残っていたのだ。
「つまりあなたは、俺のために庭造りをしようと?」
「あ、いえ、それもありますが、私も純粋に見てみたいなと思いまして……」
大きな屋敷で見るような豪華な庭ではなく、小ぢんまりとした、小さな箱庭のようなものだろう。誰にも見せたくない秘密を隠すような、閉じた世界。
まだ少年とも言えるユアンが庭を探検する姿をフィーネは想像した。
彼はどんな子どもだったのだろう。
(昔から意地悪な所がおありだったのかしら)
フィーネは幼いユアンが過ごした日々を自分も知りたいと思った。
「どちらかというと、自分のため、っていう理由が大きいかもしれません。すみません」
「いいえ、嬉しいです」
はにかみながらユアンがフィーネを見つめた。
「あなたが俺のことを少しでも知りたいと思ってくれて」
「……だからあなたは、いちいち大げさです」
あまりにも彼が幸せそうに言うので、フィーネは耐え切れず顔をそらしてしまった。
フィーネが嫌だと思ったのか、ユアンは笑いながら謝り、椅子から立ち上がった。
「それじゃあ、フィーネの要望を叶えるために、あと少し頑張りましょうか」
ユアンが脱いでいた軍手を手に取ると、再び庭先へ出ようとした。
「――ユアン」
背中に呼びかけた声に、ユアンがなんですかと振り返る。
フィーネは言わなくては、と思った。
「私も、あなたのこと知っています」
「え?」
「あなたみたいに何でも覚えている……というのは無理ですが、それでも、甘いものを召し上がる時はいつもの作り笑いじゃなくて、本当に心から美味しいって思って召し上がっていらっしゃることとか、仕事で息詰まった時は、指で机をコツコツと叩く癖がおありだとか、そういう些細なこと、きちんと気づいていますから」
どうしてこんなにも人の気持ちは厄介なのだろう。
何気なく言った一言さえ、彼は忘れず覚えていてくれる。
彼の優しさを、もう自分は嫌と言うほど知っている。それなのにどうしてそれに応えることができないのだろう。
きっと自分は、人間として欠陥があるのだ。そうとしか、フィーネには思えなかった。
「あなたのこと少しずつ知っているんです。知りたいとも思っているんです。だからっ……」
ふわりと、自分を抱きしめた男からはいつもより汗のにおいがした。
「大丈夫です。俺は、あなたのそばにいます」
夏なのにフィーネは震えていた。それはきっと暑さだけのせいではない。どんな時でも自分を想う彼の優しさに、胸が苦しくなる。どうして彼はいつも――
「言ったでしょう? あなたが俺を愛してくれるまで、俺は待ち続けて、あなたをうんと愛すると。たとえあなたが答えを出せずとも、その結果が俺の望んだものではなくても、俺はずっとあなたのそばにいます」
フィーネの顔を見て、にっこりと微笑む。
「でも、やっぱりできれば好きになってもらいたい、いえ、絶対に好きになってもらいたいので、頑張ります。覚悟しておいて下さいね」
「……はい」
ユアンはフィーネの返事に満足し、続きを再開しようと彼女の手を引いた。
「あの」
フィーネはもう一つ、気になっていたことを伝えた。
「あなたには、植えたい花とか、ないんですか」
「俺ですか?」
こくりとフィーネは頷いた。
彼はいつも自分の意見ばかり聞く。でも、フィーネはユアンのことも知りたい。そもそも一緒に暮らしているのだから、彼の意見も聞くべきだ。
「……そうですね、俺は、野菜ですかね」
「野菜……」
観賞するための花ではなく、食べるための花を選んだユアンに、フィーネはポカンとする。だが何だかおかしくなって、くすりと笑ってしまった。
「あ、笑いましたね」
「だって、なんだかあなたらしい、捻くれた答えだなと思いまして」
「食費とか浮きそうだなと思いまして」
「ますますあなたらしい答えですね」
でも、そうか。別に野菜を育てたっていいのだ。
「じゃあ、野菜も育てましょうよ」
「いいんですか」
自分で言いだしておきながら、ユアンは意外そうな顔をする。フィーネが当たり前じゃないですかと答えても、彼はどこか釈然としないようだ。
「でも、昔は野菜なんか植えていませんでしたよ」
「これから植えればいいじゃないですか。それに、私の好きな花だけ植えるのは公平ではありませんわ。あなたの植えたいものも、植えるべきです」
ユアンは目を瞬き、またもや意外そうな顔をした。
「何か文句がおありですか」
「――いいえ、ちっとも。素晴らしい意見だと思います」
ユアンは、いまやにこにこと微笑んでいる。フィーネはふんとそっぽを向いた。
それでも、これからのことを考えるとわくわくしてきた。
「何を微笑んでいるんですか」
「何でもありません」
いいから残りの雑草を片づけますよ、と今度はフィーネがユアンの手を引いたのだった。
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