結び直す

「――何をしているんですか」


 背筋をピンと伸ばして椅子に座っていたフィーネが、怪訝そうにこちらを見ていた。ユアンがじっと彼女を見ていたことに気づいたのだろう。彼は微笑みながら答えた。


「愛しい人の顔を見ているんですよ」


 フィーネは理解し難いというように眉根を寄せ、また本に視線を落とした。その耳がかすかに赤いことを、彼女はきっと自分でも気づいて、それがユアンにばれないように、何でもないように振る舞っているのだ。


 ユアンは目を細めた。

 きっとフィーネのこんな姿を、ニコラスは知らないだろう。こんなにそっけない態度はとらないし、頑固者でもない。負けず嫌いでも――


「何ですか?」


 じっと考えていたら、今度は彼女がこちらを見ていた。彼はわざととぼけたふりをして尋ねる。


「何か、とても失礼なことを考えているような気がして」


 あととても勘が鋭い。それだけ彼女が自分のことを知ったということだろうか。そうだったらいい。


 ユアンは手を伸ばし、フィーネの目元を優しく撫でた。


「あなたの瞳の色はとても美しいですね」


 青みを帯びた緑の瞳は、深い森林に木漏れ日が差すような情景をユアンに思い起こさせた。木陰で休んでいる時にそっと顔を上げて、日の光が葉を照らした、きらきら輝いてはいるけれど、少し暗いあの感じ。


 ユアンがそう伝えると、フィーネは目を瞠り、居心地悪そうに逸らした。


「……そんなこと言うの、あなたくらいです」

「それは嬉しいですね」


 彼女は呆れたようにユアンを見ていたが、すぐに仕方のない人だと笑った。最初に会った時よりも、ずいぶんと笑ってくれるようになった。

 それがたまらなくユアンの心を満たす。


 いつか、自分の全てのことを知った時、彼女は恨むだろうか。ニコラスが本当は会いたがっていると、律儀に手紙を送ってくること。死に物狂いでフィーネの居場所を突き止めようとしていること。それらすべてを自分が阻止していること。


 他にも数え切れないほど、ユアンはフィーネに対して嘘をついた。


 ばれてもいい。

 ユアンは、自分の行いに微塵も後悔はなかった。


 遅かれ早かれ、ニコラスとレティシアは結ばれていただろうし、それでフィーネが壊れてしまう確信があった。


 憎みたければ、憎めばいい。憎しみがニコラスへの思いを忘れさせ、自分に向くのならば、ユアンは喜んでそれを享受する。


 その歪んだ考えに、ユアンは自分も狂っているのだろうなと思った。彼にとって、両親も、親戚も、何もかも、全て薄っぺらく感じてしまう。血は繋がっているのに、どこか空虚で、他人のように遠い人たち。この世界で生きることも、また彼にはぼやけて感じる。


 前世の記憶があるからだろうか。幼い頃に受けた親戚の酷い扱いも、彼にはまたどうでもよかった。


 ――魔法というのは、結局人の思いだよ。

 ――だから、悲しいことがあったら願いなさい。やり直したいと思うほどの後悔は、胸にずっと抱えていなさい。


 あの言葉をくれたのは、前世で父に捨てられた母の言葉だったか、それとも今世で引き取ってくれた叔父の言葉だったか。ユアンには思い出せなかった。どちらでもいいと思った。


 フィーネと話すときだけ、彼は生きているような気がした。自分がこの世界にいるのだという確かな実感。


 かつて、彼女が言った言葉を思い出す。


『いつかその愛が必ずかえってくると信じているから、何でもしてあげたくなるんです』


 それはどんな手を使ってでも、相手の心が欲しいということ。


 ユアンはその通りだと、かつての彼女に笑ってやった。


(俺はあなたが欲しい。あなたのためなら、運命の相手にだって、なってあげます)


 二人の結び目をほどいて、自分にきつく結び直せばいいだけだ。何度も、何度でも。


 そうすれば、いつかニコラスのためのフィーネは消えていくだろう。


 それをフィーネが辛いと思うのならば、いくらでもその苦しみを聞いてやろうと思った。


 前世の記憶なんてくだらないと思っていたが、今は感謝している。彼女の苦しみを理解してあげられるのも、縋りつくのも、きっと自分だけだ。


 フィーネがフィーネとして、少しでも幸せを感じてくれれば、それがユアンの幸せだった。


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