傍観者
ユアンからすれば、彼女があそこまでニコラスに献身的になる理由が微塵もわからなかった。まるで呪いのようだとさえ思った。
いいや、きっとそうなのだろう。
見返りのない愛なんて、きっと人は許せないのだ。いくら表面上はそう思っておらずとも、少しずつ想いは拗れていき、穢れなき想いはドロリとしたおぞましいものへと姿を変える。
彼女はその中で身動きがとれず、生まれ変わってもなお、満たされなかった前世の苦しみに翻弄されている。前世のレティシアの代わりに、ニコラスに作り替えられたフィーネという女性。
そんな彼女を自由にしてやるには、どうすればいいのだろう。
ユアンが彼女を無理矢理攫って、幸せにしてやることもできた。でも、彼はそれではだめだと思った。
彼女には、本当の意味でニコラスと決別させなければならない。前世に縛られて、彼のために生きてきた可哀そうなフィーネを解放させなくては、彼女はいつまでもニコラスの面影に縋るだろう。それでは前世と何も変わらない。
辛くても、彼女自身から別れを告げなければならない。
そして今度こそ彼女はレティシアの代わりでもなく、前世のニコラスを想い続けるフィーネでもなく、本当のフィーネとして生きていくことができるのだ。
――だからレティシアの願いはちょうどよかった。
「ニコラスと一緒になりたいの。だから、フィーネの気を引いて、ニコラスと引き離してちょうだい」
レティシアは必死だった。ライノット伯爵をその気にさせておきながら、ニコラスを自分のモノにしたいと訴えた。そのためには何でもすると。ユアンは、言われたとおりに従ってやった。レティシアのためではない。フィーネのためだった。もっというなら、自分のためだった。
「あなたは、いつも意地悪ですね」
そう言って睨まれたことは、一度や二度ではない。いや、会うたびにいつも睨まれていた気がする。
きっかけは些細なこと。始まりはいつも同じ。彼女が物憂げな表情でニコラスを見ていたので、また愛しい人に相手にされなかったんですか、いい加減諦めたらどうですかとユアンが揶揄ったことが始まり。彼女は顔をしかめっ面にして、そんなんじゃないとユアンに反撃する。
でも、そんなのは子猫が威嚇するような、可愛いものだった。ユアンがのらりくらりと躱してやり、時に急所をつついてやれば、彼女はあっという間に窮地に立たされる。
ニコラスのことばかりで、ちっともこちらを見ようとしない彼女に、ついきつい口調で責めてしまった自覚はある。やりすぎたという後悔もほんの少しある。
それでもそんな彼女のつっけんどんな態度が可愛くて、もっといろんな表情を見たいと思った。できればニコラスのことではなく、自分のことで。
そんなユアンの気持ちを誰よりも敏感に察したのは、フィーネ本人ではなく、ニコラスだった。
ニコラスは確かにユアンがレティシアの命でフィーネに近づいていることを知っていた。だが、それを決して手放しで歓迎したわけではなかった。
「フィーネに変な気を起こそうとするなよ」
ニコラス・ブライヤーズは、自分がフィーネを傷つけるのは良しとするくせに、他人が彼女に優しくすることは許せない、狭量な男だった。
「ええ、もちろんです。彼女はあなたの大切な人ですから」
口では従順さを示しながらも、ユアンは彼の忠告に従ってやるつもりは微塵もなかった。彼がレティシアを見ている間、フィーネとの時間を楽しんだ。そのことに嫉妬していたニコラスも、結局はレティシアを選んだ。
ニコラスは果たして幸せになれるだろうか。
たしかに前世でレティシアはニコラスの最愛の女性としてあり続けた。でも生まれ変わった彼女は生きている。歳を重ねていく。
死んだ人間は、どこまでも思い出の中で美しく生き続けることが許されるが、生きている人間は違う。前世では知らなかったレティシアの欠点も煩わしさも、彼はこれからすべて知っていくことになる。
思い通りにならない腹立たしさを、ニコラスははたしてどこまで我慢できるだろうか。それとも愛した女にならば、腹を刺されたって泣いて喜ぶのだろうか。だとしたら、その愛は本物だとユアンは認めてやってもいい。
(けれどそうはならなかった)
港で別れ際に見たニコラスの顔をユアンは思い出す。
フィーネの別れを直接ユアンは聞いてはいないが、それまでの彼女のニコラスに対する言動を鑑みれば、想像するのはさして難しいことではない。
(本当に、馬鹿な人だ)
ニコラスのことなど、何でもないとすげなく振ってやればよかったのだ。貴方のことなど、もう何とも思っていないと。これっぽっちも愛していないと。そうすればニコラスは一生後悔に苛まれ、彼女を恨んで、フィーネという存在を忘れなかっただろうに。
それでも彼女は、最後までニコラスを愛した。自分を愛してくれと、彼に訴えかけた。
(だからこそ、ニコラスは……)
あの時、ニコラスの顔に浮かんでいたのは憎しみではなく、愛する者を失うという絶望だった。
彼は時間が経つほど、じわじわと己の間違いに気づくだろう。前世を共にした妻の存在が、現世で変わらず愛を誓ってくれた婚約者の存在が、いかに自分にとって大きかったかを思い知るだろう。
いいや、すでに――
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