ぎこちない会話

「ニコラス、この花、部屋に飾ってもいい?」

「ああ、いいとも」


 何気ない会話が、こんなにも気に障るのだとフィーネは冷静に自分の心情を分析しながら平静を装った。


 レティシアは頻繁に見舞いに訪れる。見舞いと称して、ニコラスに会いにくる。彼も、それを喜ぶ。


 フィーネは、見舞いの花束やら果物をニコラスに渡すレティシアにあいさつした。


「レティシア様。今日もわざわざ足を運んで頂き、ありがとうございます」

「あら、いいのよ、そんなこと」


 レティシアは、ねえユアンと一緒に訪れていた婚約者に笑いかけた。フィーネも自然とそちらの方を向いた。怪我から目を覚まして、二度目の再会だった。


「あなたにも、迷惑をかけましたね」


 フィーネが怪我をしたと知らされ、彼はすぐに船に飛び乗った、という話をレティシアから聞かされ、フィーネは本当に申し訳なく思っていた。


 すぐにでも謝罪したかったが、フィーネが目を覚まして以来、なかなかユアンがこの屋敷へ訪れることはなく、ようやく今日レティシアと一緒に訪れたのだった。


 ユアンはフィーネの顔を困ったように見つめ、呆れたように肩を竦めた。


「まったくですよ。ブライヤーズ氏をライノット伯爵から守るために後ろから体当たりしてそのまま階段から転げ落ちるなんて、まるでどこぞの物語に出てくる勇者のようですね」


 明るい声だった。

 ああ、やはりいつものユアンだとフィーネはなんだかほっとした。目が覚めた時、心底安心したように微笑んだ彼の姿を見て、なんだか気まずい思いがしていたのだ。


「ごめんなさい。気づいたら身体が飛び出していたんです」

「……本当に、馬鹿です」


 先ほどよりも、しんみりとした言い方に、今度は少し戸惑う。


 琥珀色の瞳で自分を見つめてくるユアンは、とても苦しそうで、彼の方が傷ついているようにフィーネには見えた。


 あの時と同じだ。気にするな、と言ってあげたいのに、言葉が出ず、ただお互いに見つめ合うことしかできない。


「また、あなたはそんなことをおっしゃる」

「事実ですからね」

「ひどいわ」


 本当は、こんなことが話したいのではない。他に聞きたいことが、言いたいことが、フィーネにはたくさんあった。


 毎日見舞いに来てくれたこと、きれいな花を活けてくれたこと、眠り続ける自分に話しかけてくれたこと。


 ありがとうと、たくさんお礼を言いたかった。そしてどうして自分なんかのためにそこまでしてくれるのか、フィーネはユアンにずっと尋ねたかった。


(あなたは眠っている私に、何を話していたの?)


 けれど二人がそのことについて話すことはしなかった。フィーネもユアンも、もどかしい様子でお互いをただ見つめるだけ。


 だからニコラスがそんな二人を見ていることに、フィーネは少しも気づかなかった。


「それであの、親戚の方は大丈夫だったんですか」


 会話が途切れてしまったことに焦り、必死で続きを探す。


「……ええ、大丈夫でした」

「そう、ですか」


 上手く言葉が出てこず、またもや口をつぐんでしまった。いつもはユアンがあれこれ続きを話してくれるのだが……今日に限っては彼も何を話すべきか迷っているようだった。


「ほら、暗い話はここまでにしましょう」


 気まずい沈黙に終わりを告げたのはレティシアだった。


「そうだな。せっかくレティシアもユアンも揃ったんだ。楽しまないと損だ」

「いいこと言うわ、ニコラス」


 彼女は明るく笑い、さっそくこの屋敷の素晴らしさや最近流行の小説について、フィーネが退屈しないように、会話を盛り上げてくれた。


 けれどフィーネは、ニコラスが楽しそうに、そしてとても優しい目でレティシアを見ていることに途中で何度も気づき、あまり会話に集中できなかった。ユアンもまた、話を振られたら答えるが、自分から積極的に会話に入っていくことはしなかった。フィーネはなぜかそんな彼の態度に救われた、と思った。


 過ぎてゆく時間は、二人にとってはあっという間だったのだろう。そろそろお暇しましょうか、というユアンの言葉にも、ニコラスは名残惜しそう引き留めた。


「もう遅いんだし、今日は泊まっていったらどうだ?」

「いいの?」


 レティシアがフィーネの方を見て言った。


「はい。夕食もどうかご一緒に」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」


 レティシアはフィーネに遠慮しつつも、嬉しさの隠せない様子で微笑んだ。


 夕食も、ニコラスとレティシアの笑い声で賑やかだった。

 料理人が腕によりをかけた豪華な食事だったが、フィーネはなかなか食が進まない。


「大丈夫ですか」

「え」


 隣に座っていたユアンがこっそり声をかけてきた。気づかわしげな声に、彼女は自然と笑みを浮かべた。


「今日のあなたは本当に、お優しいのですね」

「俺はいつでもあなたに優しく接してきたつもりですが」


 そうだったかしら、と彼女は肉を切り分けようとして――磨き上げられたナイフに思わず手を止めた。忘れていたはずのライノット伯爵のことを思い出してしまったのは、ニコラスとレティシアがいるからだろうか。


「フィーネ」


 ユアンが椅子を引き、フィーネの方に身体を向けた。手袋をした彼の手が、フィーネの腕にそっと触れる。顔を上げれば、琥珀色の瞳がすぐそばで自分を見つめていた。


「――何をしている」


 鋭い声に、二人はぱっとそちらを振り向いた。先ほどまで隣のレティシアと楽しげに談笑していたニコラスが、今は強張った表情でこちらを見ていた。


「フィーネの具合がまだ悪いようなので、心配していたんです」


 言葉に詰まったフィーネに代わり、ユアンが淡々と答えた。ニコラスの視線が、ユアンから自分へと向けられる。とっさにフィーネはごめんなさいと謝罪した。それにいっそう視線が強く注がれたが、ニコラスは何も言わず、何かを堪えるように息を吐いた。


「フィーネ。今日はもう休みなさい」

「でも……」

「いいから」

「俺が送っていきましょうか」


 ユアンが立ち上がったが、ニコラスが「その必要はない」と素早く止めさせた。


「けれど心配なので」

「きみは大切な客人だ。そんなことさせられない」


 別の人間を付き添わせる、とニコラスはユアンの申し出を断った。婚約者である自分が、と彼自らが立ち上がることはしなかった。


「あの、ニコラス様。それにレティシア様もユアン様も……せっかく楽しんでいらっしゃった所を中断させてすみません」

「いいのよ、フィーネ。無理言って滞在しているのはこちらなのだから。私たちのことは気にせず、ゆっくり休んでちょうだい」

「レティシアの言う通りだ。早く休んで、また元気な顔を見せてくれ」

「……はい」


 フィーネは食堂を出る前に、ちらりとユアンの方を見た。彼はフィーネをじっと見ていた。


 まるでこれでいいんですか? と問われている気がした。


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