見返り

「――大丈夫ですか」


 気がつくとユアンが心配したような眼差しでこちらを見ていた。はっとしたフィーネは慌てて返事をした。見舞いに訪れた客人に対して、あまりにも失礼な態度であった。


「すみません。ぼうっとしていました」

「寝ていないんですか?」


 眉根を寄せるユアンに、フィーネは曖昧に微笑んだ。


「ニコラス様のことが気がかりで、横になっても目が覚めてしまうんです」


 前世の時のことを思い出してしまうのも、眠れない要因の一つであった。ユアンがそんなフィーネに呆れたように言った。


「看病もほどほどにしておかないと、あなたの方が倒れてしまいますよ」

「ええ、わかっています」


 ユアンはまだ言い足りなさそうだったが、話を変えるように言った。


「ニコラス様はもう大丈夫なんですか」


「ええ、もう二、三日安静にしていれば大丈夫だとお医者様もおっしゃいました」


「レティシアが感心していましたよ。ずっと傍で寄り添って、誰よりも熱心に看病なさる姿は、とても自分には真似できないと」


 お見舞いに訪れたレティシアが自分を見ていたのかと、フィーネには意外だった。彼女の目には、ただニコラスしか映っていないと思っていた。


「レティシア様も、私と同じ立場なら、同じようになさいますよ」


 しんみりとフィーネがそう言うのを、ユアンは何か考えるようにじっと見ていた。


「以前からずっとお聞きしたいと思っていたんですが、どうしてあなたは、そこまでニコラス様に献身的になれるのですか」


「どうしてって……好きな人が苦しんでいるなら、助けたいと思うのが普通でしょう?」


「病気のことだけではありませんよ。俺が言いたいのは、あなたのニコラス様に接する態度すべてですよ」


 自覚がないんですか、と聞かれてもフィーネはただ当たり前のことをしているだけである。


 思えば、前世の時から自分はずっとニコラスが行動基準になっている。彼が喜ぶならそうするし、怒るようなことを決してしない。生まれ変わっても、ずっとそれが、フィーネのニコラスに対する接し方だ。


 ユアンが眉根を寄せるように、きっと自分はおかしいのだろう。

 でも、フィーネは変えようとは思わない。ニコラスのためなら、きっとどんなことだってする。


「それは、どうしてですか?」

「ニコラス様が好きだからです」


 フィーネは愛しい人の顔を思い浮かべながら、微笑んだ。


「ニコラス様を愛しているから?」

「ええ、その通りです」


 ユアンは長い脚を組み替えた。


「やはり、わかりませんね。愛しているから何でもできるなんて、献身的すぎていっそ憐れです」

「献身的? 私がですか」

「ええ。そうではないんですか」


 まさか、とフィーネは笑った。


「献身的というのは、見返りを求めていない人のことを言います。私は彼に愛して欲しいと、そう望んでいます」


 フィーネはニコラスがどうすれば自分を見てくれるか、理解していた。レティシアには届かずとも、自分もまた彼にとって可愛がってもらえる存在だと、そうなるにはどう振る舞えばいいか、フィーネは前世で嫌と言うほど教え込まれた。ニコラスがそう教えたのだ。


 決して前へはでしゃばらず、嫉妬もあからさまにはしない。すがるような瞳は相手の憐れみを誘い、もっと手元に置いておきたくなる。口にはせず、目で訴える。


 意識しているにせよ、そうでないにせよ、フィーネは間違いなくニコラスの心を引き留めていた。彼の心を完全にレティシアへの元へは行かせなかった。少なくとも今はまだ。


「いつかその愛が必ずかえってくると信じているから、何でもしてあげたくなるんです」


 その言葉に、フィーネは自分の浅ましさを実感した。たとえ愛されなくても――最初はそう思っていたが、やはり心の底では望んでいるのだ。ニコラスが自分だけを見てくれることを。愛してくれることを。


(なんて、醜い)


「あなたは、馬鹿ですね」


 そう言うだろうと思っていたフィーネは、そうですよといつものように言い返してやろうと思った。


 でも、顔を上げて、彼の琥珀色の瞳に、フィーネは言葉を飲み込んでしまった。


(どうしてそんな傷ついたような目で私を見るの)


 微笑んでいるのに、フィーネにはユアンが泣いているように見えた。


「何か、おっしゃってはくれないんですか」


 ユアンが待ちくたびれたように、返事を催促した。


「……何を、言って欲しいんですか」


 いつもはすかさず嫌味を述べるユアンが、今はどこか困ったようにフィーネを見ていた。呆れた表情ともまた違う、本当にどうしようかと途方に暮れた表情で。


 フィーネもそんな彼の表情に何も言えず、二人は訳もなく見つめ合っていた。


「何をしているんだ?」


 弾かれたようにフィーネが振り返った。

 いつの間に部屋に入ってきてのか、ニコラスが怪訝そうに二人を見ていた。


「ニコラス様、まだ寝ていなくては」


 フィーネはうるさく鳴り響く心臓を抑えながら立ち上がった。


「お客が来てくれたのに、寝てばかりいては失礼だろう」


 ユアンが立ち上がり、ニコラスに微笑んだ。もう先ほどまでの違和感は、どこにもなかった。


「ニコラス様、どうかまだ安静になさっていて下さい。俺もこれで失礼しますから」

「なんだ、もう帰るのか」

「ええ。今日こちらを訪ねたのはあなたの具合が気になったのと、レティシアがここにいるかもしれないと思ったからです」

「レティシアがいないのか?」


 どうして早く言わない、とニコラスはユアンを責めるような目で見た。ユアンは軽く肩を竦めるだけだ。


「おそらく店でも見て回っているのでしょう。以前もありましたから。今からそちらを当たってみます」


 彼はそう言うと、まだ何か言いたげなニコラスの横を通り過ぎて、取っ手に手をかける。扉を開けると、最後の挨拶だと彼はニコラスとフィーネを振り返った。


「それでは、」


 さようなら、という言葉はフィーネに向けられた。

 ぱたんと戸が閉められ、ニコラスはため息をつきながらソファに身を沈めた。フィーネは彼に部屋に戻って休むよう言うべきか迷った。沈黙が、今はどこか恐ろしかった。


「フィーネ」


 ニコラスが目を閉じて、仰向けになりながら言った。


「はい」

「ユアンと、何を話していたんだい」

「ニコラス様の具合はどうかということですわ」


 片目を開けて、フィーネをちらりと見た。


「本当かい?」

「ええ、本当ですわ」


 ニコラスは体勢を起こし、傍に来るようフィーネに言った。彼女は言われた通りに従う。膝の上に座らせ、向き合う形でニコラスはフィーネの顔を見上げた。


「そうか。だが、淑女は男性にあまり色んな表情を見せてはいけないよ。男性は自分にだけは気を許していると思って勘違いするからね」


 子どもに言い聞かせるような優しい口調だったが、フィーネにはもう二度とユアンと話すなと言っているように聞こえた。


(では、あなたは違うというのですか。私には決して見せない表情を、あの方には見せているというのに……)


 それを本物である彼女がどう思うのか、ニコラスは一度も考えたことがないのだろうか。偽物フィーネより自分は深く愛されていると――


 フィーネはそう思ったが、はいと頷いた。しおらしい態度に満足したのか、ニコラスは表情を緩め、彼女の首元に顔をうずめた。強く己を抱きしめる男に、フィーネもまた目を閉じた。


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