運命の相手
「運命?」
二人を見ていたユアンの視線が、フィーネへと向けられる。
「ニコラス様と、レティシアですよ。まるでお互い運命の相手に出会ったような目で見つめ合っているではありませんか」
「……あなたは、運命のお相手など、信じているんですか」
口の中いっぱいに広がった甘さを苦みで気分転換するためか、ユアンはコーヒーを口にした。優雅に飲むその姿は、フィーネをどう揶揄ってやろうかと楽しんでいるようにも見えた。
いったい今度はどんな嫌味を自分に言うつもりなのだろうか。
フィーネは十分に気をつけろと自分に言い聞かせながら、口を開いた。
「あなたがどう考えているかは存じませんが、私は運命のお相手など、信じません」
カチャリとユアンがソーサーにカップを置く。
「あなたなら、そう答えるでしょうね」
弧を描いた唇に、フィーネは責めるように言った。
「あなたはそんな馬鹿げたことを信じているのですか」
「俺も、ほとんど信じていません。だって誰か一人に、必ず運命の人が一人いるなんて、あまりにも効率が悪いでしょう?」
フォークでケーキに切り込みを入れながら、ユアンは鷹揚な口調で答える。
眩い日の光に照らされて、彼の琥珀色の瞳がきらりと光った気がした。
「人間は誰とでも上手くやっていけるよう、ある程度適応力が備わっています。最初はいまいちだと思った相手でも、永く一緒にいれば、自然と情もわいてくるものです。何もかもすべて自分の好みに合致しておらずとも、一生を添い遂げることができ、死ぬ時もそれで良しとします」
嘘だ。フィーネはとっさにそう思った。
ユアンがそんな彼女の心の内を聞いたように、目を細めた。
「でも、やはり例外というものはどんな事象にも存在します。誰でもいいわけではなく、この人でなければならないという、唯一無二の存在。運命の相手」
フィーネは目を逸らせない。彼の姿にではなく、言葉に。
「……そんなの、」
たった今までユアンの言葉を否定したいと思って、その通りのことを彼が述べたというのに、いざ実際に口にされると、認めたくないという気持ちがフィーネを苦しめた。
「運命の相手なんか、いません。誰だって、誰かの代わりを果たすことができるはずです」
音楽が流れ始め、何人かが踊り始めた。くるくると踊りだす男女の組み合わせは、次々と忙しなく変わっていく。容姿の整った使用人も強引に誘われ、ステップを踏んでいく様は、人々の笑いを誘った。
多少下手でも、相手が上手くフォローしてくれれば、完璧な踊りに見えた。
運命の相手ではなくとも、きっと――
「いいえ、互いが赤い糸ではっきりと結ばれているように、二人は遠く離れていても、お互いを意識せずにはいられない。それを妨げようとすれば、糸はますます太く、相手を離さず、頑丈に絡めとろうとする」
ユアンの言葉が、目が、あまりにも真っ直ぐで、フィーネは思わず視線を逸らす。するとニコラスとレティシアの仲良く話す姿が目に映った。アメシストとエメラルドの色をした瞳。どちらも、曇り一つない輝き。
もし、ニコラスとレティシアが互いの運命の相手だとしたら、自分はどうすればいいのだろうか。
「……あなたは、運命の相手を信じるのですか」
フィーネはもう一度そう尋ねた。掠れて、頼りない声であった。
「ええ、信じます」
ユアンは躊躇いなく答えた。
それがフィーネには、だから早く諦めなさいと聞こえた。ニコラスとレティシアはお互いに運命の相手であり、フィーネは違うのだと。
「ですが、運命の相手と結ばれたからと言って、必ずしも幸せになれるとは思いません」
フィーネにはそうは思えなかった。だって二人はあんなにも幸せそうに微笑んでいる。輝いていて、とても綺麗だ。
「有名な物語に出てくる恋人たちは、みな悲劇的な最期で幕を閉じています」
ゆっくりとフォークで切り分けられたケーキが、形を保てずにぼてりと崩れ落ちた。中のラズベリーソースがどろりと生クリームと混ざり合っていくのをフィーネはじっと見つめる。
「……でも、彼らはそれに勝る喜びが得られたと思います」
「本当に?」
本当だと、フィーネはユアンを睨み返した。
「俺はそうは思いませんよ。途中が幸福でも、終わりが悲劇だなんて、報われない。平凡でも、些細な幸せでも、最後まで穏やかであり続けるなら、そちらの方がずっと幸せだと思います」
だから、と彼は赤い苺をフォークで突き刺した。
「運命のお相手だろうが、俺は気にせず相手を想い続けます」
「……それは結局運命の相手を信じていないということでは?」
「いいえ。信じた上で、相手の心を手に入れるんです」
見惚れるような微笑で言ったユアンに、フィーネはポカンとしてしまった。
運命の相手はいるだろう。だが二人が結ばれたからと言って、必ずしも幸せになれるとは限らない。だから自分が相手となっても構わないはずだ。
ユアンが言いたいことは、そういうことだった。
「とてもいい考え方だと、そうは思いませんか、フィーネ?」
『あなたとは仲良くなれそうです』
かつてユアンに言われた言葉を思い出し、フィーネはふっと笑った。
「ええ、本当に。私も……そう思います」
最初は絶対にそうなるものかと思っていたが、実際彼の言うとおりになってしまった。
認めたくないが、フィーネは、ユアンがいてくれてよかったと思っている。
フィーネ一人だけだったら、きっと現実の辛さに耐えられなかっただろう。だが自分と同じ境遇のユアンがいてくれたことで、辛さや哀しみを紛らわせることができていた。
決して本人には言わないが。
(彼も気の毒な人だ。この国へこなければ、レティシア様をニコラス様にとられずに済んだのに)
そういえば、とフィーネは美味しそうにビスケットを口にするユアンを見つめた。生クリームたっぷりのケーキはすでに食べ終えたようである。
「海を渡ってこちらへいらしたんですよね」
叔父の仕事を手伝うため、とたしか以前ユアンは話してくれた。
「ええ、船に乗って」
海の向こうの分厚い霧に覆われた国は、魔法が使える者がいるらしい。本当かどうかはわからない。ニコラスがいつか二人で確かめに行こうとフィーネに楽しそうに話してくれたことを思い出す。
魔法使いというと、おとぎ話に出てくるような、ローブを被った何やら怪しげな人物をフィーネはいつも想像した。
「向こうは、どんな国ですか」
そうですね、と彼は少し考えるそぶりをしてすぐに肩を竦めた。
「冬は少し寒いですが、基本的にこちらとあまり変わりませんよ。偉い人間はどこまでも偉そうに権力を振りかざし、明るい人間はどこまでもお気楽です」
「魔法使いも?」
思わずそう尋ねてしまい、フィーネはしまったと思った。ユアンは軽く目を瞠り、だがすぐに破顔した。
「ええ。彼らも変わりませんよ」
「……そんなに笑わなくても」
くすくすと笑いをこぼすユアンを、フィーネは半目で見た。すいませんと彼は謝りつつも、その口元はまだ弧を描いていた。
「魔法使いだなんて可愛い言葉があなたの口から出るなんてひどく意外だったので」
「どうせ私は子どもっぽいです」
「拗ねないでくださいよ」
目を細めて柔らかく微笑むユアンに騙されてやるものかと、フィーネはそっぽをむいた。
「……それで、彼らはどんな人たちですか」
「魔法使いといっても、彼らも俺たちと変わらぬ人間ですよ」
そうは言われても、いまいちフィーネにはピンとこなかった。実際に目にすればまた印象は変わるかもしれないが、おそらく一生そのような機会はないだろう。
「あなた方が想像なさるような魔法は、おそらく彼らは使わないでしょうね」
「そうなんですか」
「がっかりしましたか?」
にこにこ笑いながら聞いてくるユアンに、フィーネはむっとする。どうも彼はフィーネを揶揄う趣味があるようだ。
どう言い返してやろうかとフィーネが考える姿も、ユアンにとっては面白くて仕方がないようで、口元を緩めたままだ。
「何を楽しそうに話しているんだい」
「ニコラス様」
フィーネは先ほどまでの会話を聞かれていたのかと、さっと顔を青ざめた。だがニコラスは特に気にしたふうでもなく、ユアンを軽く咎めるように見ただけだった。
「私の大事な婚約者殿を、あまり虐めないでやってくれると助かるんだが」
「これは失礼致しました。あまりにも可愛らしい反応をなさるので、つい」
「あら、だったら私は可愛くないということかしら」
ニコラスの隣にいたレティシアがねえ、ユアンと唇を吊り上げた。
「おや、レティシアも可愛らしいと褒められたいんですか」
「ええ。女だったら誰でもそうよ」
あなたもそう思うでしょう、とレティシアがフィーネに同意を促したので、フィーネはそうですねと微笑んだ。
「それは、それは。ですが俺が声をかけずとも、貴女ならばいくらでもそう言ってくれる相手がおりましょう」
レティシアはユアンの言葉が気に入らなかったのか、眉を寄せた。
「ははっ、きみの婚約者はたいそうやきもち焼きのようだな」
ニコラスが場を和ますように、レティシアの機嫌をとるように笑った。
「嫉妬深い男はもてないわよ」
「自意識過剰の女性も、男性は苦手ですよ」
レティシアは今度こそ顔を真っ赤にさせ、ぷいっと向こうへ行ってしまった。ニコラスが呆れた表情でユアンを見た。
「ユアン。きみはもう少し優しさを見せてやったらどうだ?」
「これでも十分優しくしたつもりですが」
どこがだと、ニコラスもフィーネも心の中で思った。
「とにかく、慰めに行ってきたらどうだ?」
ユアンは軽く肩を竦めた。
「俺が行っても、火に油を注ぐようなものです。ニコラス様が行ってきた方が、よほど適役だと思いますよ」
「慰めるのは婚約者の役目だろう。いいから早く行きたまえ」
少し苛立った様子を見せたニコラスに、ユアンはちらりとフィーネを見て、わかりましたと抑揚のない声で返事をした。
「慰めというのならば、確かに婚約者の役目でしょうね。少し、席を外させてもらいます」
ユアンはフィーネとニコラスに礼をすると、レティシアの背を追いかけて行ってしまった。
残されたフィーネは呆けたように彼らを見つめていたが、やれやれとため息をつくニコラスにはっと我に返った。
「ユアンにも困ったものだな」
「……彼はまだ若いので、レティシア様とどう接していいのか、わからないのですわ」
「そういうものかね」
今までユアンが座っていた席にニコラスが腰を下ろすと、フィーネはさっとお茶を淹れて差し出した。彼女の気遣いに、ニコラスはありがとうと笑った。
当たり前のことでもお礼を述べるところが、ニコラスのいいところだとフィーネは思った。
「先ほどはずいぶんと話が弾んでいたようだが、何を話していたんだ?」
「マクシェイン様の国のことを伺っていたんです」
「魔法使いの国か」
ニコラスがとたんにきらりと目を輝かせた。
「私も詳細なことが知りたくて、ユアンの叔父上、マクシェイン氏にいろいろ尋ねたことがあるよ」
「魔法、というものは本当に存在するのでしょうか」
「個人的にはある、と思っている」
彼ならばそう答えるだろうと、フィーネは目を細めた。
「きみは信じないのかい?」
「ニコラス様があるとおっしゃるならば、私もあるような気がしてきましたわ」
「別に何の根拠もなく言っているわけではないぞ」
「まあ、理由がございましたの」
フィーネが意外そうな顔をすると、ニコラスは当然だと片目をつぶった。
「ああ、私は魔法があると確信した。きみと出会ってからな」
カップを握るフィーネの手に、ニコラスがそっと手を添えた。
「前世の記憶を持って、前世と同じようにきみと再会した。これが魔法ではないとすれば、いったい何だというのだ」
「運命の相手、ですわ」
フィーネの答えに、ニコラスは目を瞠り、だがすぐに声をあげて笑った。
「なるほど。それも確かだ。だが、どちらにせよ、奇跡に近い魔法の類だ」
慈しむようにフィーネの手をニコラスは見つめた。
「運命の相手、か」
フィーネは何も言わなかった。ただ本当にそうだったらいいのに、と思った。
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