舞踏会
フィーネと一曲踊り終えたニコラスは、レティシアとユアンのもとへ挨拶しに行こうと提案した。知り合いに挨拶するのは当然だとフィーネはニコラスに従い、二人のもとへ行った。
「あら、ニコラス。それにフィーネも」
レティシアはぱあっと顔を輝かせた。数回話しただけなのに、彼女はまるで昔からの友人に会ったようにフィーネを歓迎した。凄い人だ、とフィーネはレティシアの赤い唇をぼんやりと見つめる。
「フィーネのドレス、とても素敵だわ」
「ありがとうございます」
レティシアの言葉にも、フィーネはお礼を述べるのが精いっぱいだった。彼女は最初こそ貴族の令嬢らしく遠回しな、柔らかい言葉を使っていたが、慣れてくるとはっきりとした物言いをするのだと知った。
今までレティシアの口調を真似てきたのだと思っていたフィーネは、その事実にただ戸惑った。自分も彼女のようにするべきか。けれど、前世では丁寧な言い方をしていて、生まれ変わった彼女が違うのかもしれない。
などと考えてしまい、普段自分から話すことのないフィーネは、ますます口を重たくさせてしまうのだった。結果、ニコラスとレティシアの二人が会話の中心となっていく。
ニコラスは少し世間話をすると、ごく自然にレティシアに手を差し出した。
「よかったら一曲踊ってくれますか?」
畏まった口調で誘うニコラスに、レティシアはにっこり微笑んだ。
「ええ。もちろんよ」
ニコラスはフィーネにここで待っていてくれと頼み、レティシアの手を取った。フィーネは楽しんで来て下さいと微笑んだ。二人の姿に、周囲の視線が自然と集まる。フィーネはそれをぼんやりと見ていた。
「よろしかったのですか。あんなにあっさりとお見送りして」
その声を聞いて、ああやっぱり放っておいてはくれなかったなと思った。
「ええ、かまいません。同じ人と踊り続けるなんて、礼儀に反しますもの」
「それは知りませんでした。ぜひとも後で、俺とも踊って下さい」
フィーネは男の方を振り返った。細く美しい彼女の眉がかすかに眉間に寄せられていた。できれば会いたくない相手だったが、彼の方はそう思っていない。
ユアン・マクシェインは、やっとこちらを振り向いたフィーネを、相変わらずうっとりするような笑みで歓迎した。
「こんばんは、フィーネ」
教会の帰りに腹を割って話したことで仲間意識を持ったのか、ユアンはあれから以前にも増してフィーネに話しかけるようになった。
言葉づかいはあくまでも丁寧だが、どこか友人のような気軽さがフィーネは相変わらず苦手だった。
ユアンはそんなフィーネの態度に、特に気分を害した風もなく、じっくりと彼女の今日の姿を眺めている。
夜空のような深い青色に、眩い宝石が星々のようにあしらってあるドレスは、フィーネがニコラスに勧められて選んだものだった。
「レティシアとはまた違った美しさですね。彼女が太陽のような輝きを持っているとすれば、あなたは月のような静かな美しさをお持ちです」
「それは、けっこうですわ」
どうせ彼女と比べれば、自分は偽物で、紛い物だ。そんな当たり前の事実、今さら言わないでほしい。
「あなたこそ、ニコラス様と比べると、まったくもって見劣りしますね」
フィーネはユアンのずけずけ言う物言いに苛立ち、淑女にあるまじき返答をした。
もちろん正確な評価とは言い難い。
ユアンが、フィーネにはレティシアとは違った美しさがあると指摘したように、彼には、彼だけの魅力があった。
堂々とした、男らしい魅力で女性の目を惹くのがニコラスだとすれば、中性的な容姿で男女関係なく虜にするのがユアンの魅力だ。
ニコラスの笑顔に多くの人が親しみを覚えるのに対し、ユアンの微笑には触れるのが躊躇われるような、あるいは貴重な美術品を遠くから鑑賞するような気持ちにさせられる。つまり容易に話しかけることはできない、近寄りがたい雰囲気があった。
もっともフィーネが知るユアンは、こちらのことなどお構いなく、ぐいぐいと話しかけてくる面倒な人、遠慮がない人というものであったが。
「ニコラス様には、敵いませんよ」
フィーネの嫌味にも、ユアンは涼しい顔で答えるだけ。
違うベクトルで魅力を発揮する二人を比べることなど、無意味だった。
だがそれを正直に述べてやるほど、今のフィーネはユアンに好意を抱いてはなかった。決して以前真正面から馬鹿だと言われたことを根に持っているわけではない。
どのみちユアンは自分の容姿などあまり気にしていないようで、フィーネをいかに揶揄うかの方が今の彼にとっては重要だった。
「まあ、そんな堅苦しいことを言わないでください。外れ者同士、仲良くしましょう」
彼はそう言って、ちらりと大勢に囲まれた輪の方を見た。
視線の先には、踊り終えたニコラスとレティシアを大勢の人間が取り囲んでいる光景があった。
主に男性陣が多いのは、二人の美しさを褒め称えているようで、こっそりとレティシアの美貌を間近で鑑賞するためだ。そして次の踊りのパートナーとして自分を立候補したいからだとユアンが解説した。
「レティシアは美しいでしょう」
ユアンの言葉に、フィーネは素直に頷いた。
今回のレティシアはワインレッドのドレスを着ており、裾には薔薇の花があしらってあった。一見暗めな印象を与えそうな色でも、彼女が着ると気品があり、自然と目を奪われる。
「男性にとって、彼女は非常に悩ましい存在でしょうね。堂々と物おじせずに話す姿。喧嘩を売られたら、何倍にしてでも返す気の強さ。小難しい議論にも、異議を唱える聡明さ。普通はそんな女性、男性は毛嫌いするでしょうが、彼女にはそれを打ち消すほどの、輝かしい美貌がある」
くっきりとした目鼻立ち。すらりとした腰に、豊かな胸元。ほっそりとした首元が、ひどく艶めかしく、誰だって一度見たら、自然と足を止めて振り返ってしまうだろう。
ユアンの指摘は実に的確だ。それだけ彼がレティシアのことを良く理解しているということでもあった。レティシアを愛しているなら当然のことだろうか。
だが、フィーネはどこか違和感を覚えた。ニコラスに嫉妬しているのだろうかと思ったが、それもまた違う気がした。
冷たい目に、レティシアへの嘲りが見て取れて、フィーネは見てはいけないものを見てしまった気がして、ユアンから視線をそっと逸らした。ユアンはそんなフィーネに気づかず、話を続ける。
「ほら、見て下さい。彼女の隣の紳士、ライノット伯爵も、その口です」
痩せて神経質そうな顔の男が目に入る。フィーネもニコラスの紹介で一度だけ面識があった。女性は黙って後ろにいればいいと、平然と言いのけてニコラスの失笑を買っていた男だ。
その彼が今はレティシアの気を引こうと熱心に話しかけているのが、フィーネには不思議だった。
「彼は一度レティシアに言い負かされて、プライドがずたずたにされたんです。でもその後、機嫌を取ろうとした彼女の素晴らしい演技のおかげで、コロッと彼女の魅力に落ちてしまいました。今じゃ骨抜きです。二人で会いたい、踊ってくれと、見ているこちらが悲しくなるくらい必死なんですよ」
青白い顔をしたライノット伯爵が懸命に明るい表情を作り、レティシアの機嫌を取ろうとする姿に、フィーネは別の誰かを見るような気がした。
ユアンが歌うように言った。
「男性はね、あの小生意気な、それでいて可愛らしい表情が、逆に閨の中ではどんなふうに崩れるか、征服欲に駆られるんですよ。最初から従順では、何も面白くない」
いつの間にか、ユアンはフィーネの方を見ていた。
まるでニコラスがフィーネではなく、レティシアに惹かれる理由を説明しているようで、フィーネは一気に不愉快な気持ちになった。軽く睨み返してやると、彼は待っていたとばかりに綺麗な笑みで小さく笑った。
「まあ、女性からは、少々厄介な存在でしょうね」
「それは、どうも。ご忠告感謝いたします」
もう知らないと他の場所に行こうとしたフィーネを、まあ待って下さいとユアンは引き止めた。
「せっかくですから、楽しみましょうよ」
楽しみたいのはフィーネだって同じだ。けれどその前にユアンが自分を怒らせるのではないか。彼はいつもわざと自分を怒らせている気がする。
フィーネの不満そうな顔にも、ユアンはにっこりと笑みを返すだけだ。
「まあまあ。そうだ。一緒に踊ってくれませんか」
「……他の方を誘ったらいかがですか。あなたなら、みな歓迎してくれますわ」
先ほどからちらちらと意味ありげな視線をこちらに向けるご令嬢方を見ながら、フィーネは彼の誘いを断った。とてもではないが、彼女は踊る気がしなかった。
だが、この男が簡単に諦めるような性格ではなかったことをフィーネは忘れていた。
「そんなつれないことをおっしゃらず。さあ、行きましょう」
「あ、ちょっと」
半ば強引にユアンはフィーネの腰を引き寄せ、手を握った。フィーネは今度こそ相手にきつい眼差しを送った。
「あなたには、礼儀というものがないのですか」
「ありますよ。こんな綺麗な女性を一人にせず、ダンスを一緒に踊るというね」
その蜂蜜のように甘い笑みも、フィーネには苛立ちしか募らない。
ちらりと助けを求める意味を込めてニコラスの方へ視線をやった。だが彼の瞳は、レティシアに注がれたままであり、フィーネがユアンと踊っていることにさえ気づいていないようだった。
フィーネは見なければよかったと、そっと唇を噛んだ。そんなフィーネを、ユアンはじっと見つめていたが、彼女は気づかない。
二人はお互いに視線を交わすことなく、踊りだす。前世で嫌と言うほど練習したおかげか、フィーネのステップは完璧だった。ユアンもまた、彼女を上手に導いている。
くるくると踊り続けるフィーネの目には、次々と違う光景が映し出されてゆく。
目を細め、唇を吊り上げた顔。黒の対となるのは、赤や、青、白の綺麗なドレスを着た女性たち。その胸元や耳には、惜しげもなく眩い宝石が飾られて光り輝いている。
周囲の男女は、婚約者だろうか。それともすでに結婚した夫婦だろうか。あるいは今夜限りのお相手かもしれない。
フィーネにはわからない。けれどみな、きらきらと輝いていて、眩しかった。
フィーネは急に自分がひどく場違いな所にいる気がした。綺麗なドレスも、実はボロボロの端切れを縫い合わせたもの。綺麗にまとめられた髪も、薄汚れた癖毛で、顔は薄汚れている痩せっぽっちの少女。
レティシアという本物の輝きが、フィーネの本当の姿を暴いていく。フィーネは見ないでくれと、顔を覆いたくなった。
(もう、逃げてしまいたい)
絶え間なく演奏される音楽が、息苦しい。フィーネは水の中にいるような気がした。
「顔を上げて下さい、フィーネ」
俯きそうになったフィーネは、はっと顔を上げた。ユアンの琥珀色の瞳が目に入る。
先ほどまでの茶化すような雰囲気は微塵もなく、いまやユアンの瞳は強くフィーネに訴えていた。その強さに、フィーネは困惑する。
「あなたは綺麗ですよ。ここの誰よりも、レティシアよりも」
「お世辞は、けっこうです」
フィーネは震える声で、そう言った。どんな慰めの言葉も、自分が惨めになるだけだった。
自分はレティシア様には絶対敵わない。たとえ姿形はそっくりでも、本物を目の前にすれば偽物には価値がないのだ。
「あなたには、あなたの美しさがあるでしょう。誰にもない、あなただけの美しさが。だから、胸を張りなさい」
そんなこと簡単に言わないで欲しい。
「そうですね、あなたには、難しいことでしたね」
ユアンは笑顔でそう言った。いつかと同じ、フィーネを苛立させたあの笑みで。
「……あなたは人をやる気にさせる天才ですね」
「ありがとうございます」
「褒めていません」
不思議とユアンに言われたら、フィーネは負けたくないという変な意地が出てきた。彼の期待に応えて、あっと驚かせたい。
フィーネは、顔を上げて、ステップに集中した。そんな彼女をユアンも満足そうに目を細める。
彼の意地悪な言葉も、今はもう不思議と気にならない。頑張れ、と言っているような気さえして、フィーネは自分がおかしくなったのだと思った。
いつの間にか周囲の視線が自分たちに集中していることに気づかないくらい、フィーネはユアンとの踊りに熱中し、そして楽しんでいた。
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