最愛の人

「あら、本当にそっくりだわ」


 女性は可笑しそうにフィーネの目を見つめた。フィーネもまた目の前の彼女から目が逸らせなかった。


 かつての屋敷で初めて見た肖像画の彼女よりも、本物はずっと美しく見えた。真っ赤な深紅のドレスは、衣装負けせず、彼女の美しさをより際立てていた。その輝きは、偽物をより霞ませるものでもあった。


 人々の喧騒も、今や遠くに聞こえる。


 海の向こうの国からやってきた、レティシア・フェレルという女性。ニコラスの、本当の愛する女性。


 彼らの感動の再会にはこれ以上ないほど整えられた舞台だった。


「そちらの方は……」


 二人の視線がはっきりと交差するのを、フィーネは瞬きもせずに見ていた。


「レティシア……」


 呆然としたようにニコラスはつぶやき、ふらふらと彼女の方へと歩み寄る。フィーネの呼びかけも、今の彼には届かない。離れてゆく。


 ニコラスとレティシアは、お互いに惹かれるように手を取り合い、まるで周囲の存在など目に入らぬように互いの瞳を見つめ合った。


 ――ニコラスさま。


 フィーネは心の中で彼の名を呼んだ。それは実際声に出せば聞き漏らすほどの小さな声量だったかもしれない。それでも振り向いて欲しかった。どうしたの? っていつものように優しく笑いかけて欲しかった。いつもの彼なら、これまでの彼なら、きっとそうしてくれた。


 でもニコラスはレティシアのことを熱心にたずねて、彼女も丁寧に答えを返して、その間ずっとフィーネの時間は止まっていた。彼がようやく彼女に言葉をかけたのは、レティシアが飲み物を取りに行った時だった。あれからどれくらい時間が経っただろうか。


「フィーネ。顔が真っ青じゃないか」


 大丈夫です、と答える声は掠れていた。


「きみの大丈夫は信用ならない。……どこか空き部屋で休んでいなさい」


 そう言って人を呼ぼうとする彼の手をやんわりと止めた。


「大丈夫です。一人で、行けますから」

「そうかい?」


 こくりとフィーネは頷いた。


「……そうか。なら、気をつけて行くんだよ」


 ――心配だから私も一緒について行くと言って。


「私はまだ仕事の付き合いで話さないといけない相手がいるから。……後で迎えに行くから」


 ニコラスはそう言って背を向けた。フィーネを見届けることはしなかった。彼らしくない振る舞いだった。


 レティシアと会ってしまったから。


 ほら。バルコニーに、そっと抜け出した二人の姿があるではないか。自分を放って。彼女と後で二人きりで会おうって、約束していたみたいに。


「きみと初めて会った気がしないんだ」

「……実は私もそんな気がしましたの。不思議ですわ」

「不思議じゃないさ」


 まあ、どうしてとレティシアは顔を上げ、可愛らしく首をかしげる。自分とそっくりの顔立ちなのに、彼女がやるとまるで別人のようだと、フィーネは思った。


 ニコラスもうっとりとそんなレティシアを見つめ、ささやくように答えた。


「きみと私が、運命の相手だからさ」


 二人の陰が一つに重なるのを見ると、フィーネはそっと踵を返した。

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