空を知っているのに地面を見続け最高と叫ぶ

 2023年6月28日(水)。15時36分。休みの日。


 ずっと寝ていた。ごろごろしていた。


 note でSEOについて少しだけ読んだ。SEOってなんですか、CEOの兄弟が何かですかと思われるが、簡単に言えば検索エンジンから上位検索結果に表れる方法といったものだ。ただのブログ用語。難しい話は特に無し。


 統合失調症のブログなんかは、「統合失調症」と検索を打っても出てくるはずがないらしかった。統合失調症についての個人の感想では無くて医師免許を持った医者が書いたブログのほうが上位にリサーチされる。どころか、統合失調症患者個人が書いたブログは誤った情報拡散の危険から検索対象から外されるということらしかった。


 「統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)(とうおこ)」はGoogle検索で「統合失調症」と打っても永遠とサジェストされないという現実を知った。知ってはいたが、一生有名になることはないと確定したような感じだった。


 「統合失調症のハッカーが私を有名にしたくないから、統合失調症(本物)になると、起こること。(雑記ブログ)(とうおこ)のPV数が一向に上がらないんだ」といった被害妄想では無くて、単なるGoogle検索の事実としてその情報を得た。


 私は一生有名になることも何かしらお金に恵まれることもない。どんなに書いても何をしても意味が無いと突き付けられている。


 ポケモンカードのブラッキーVHRが欲しいと思った。カードラッシュで450,000円で売られていた。レックウザVmaxHRも欲しいと思った。420,000円で売られていた。半年前までは230,000円くらいで売られていたような記憶があるのだが、いつの間にか倍の値段になっていた。


 倍の値段になっていようがなっていなかろうが、230,000円の時点で手を出すことはまず無い。


 どうして買えないのだろうかと考えていた。買おうと思えば買えるのかもしれない。しかし、買った後の後悔が絶対に大きいと思っている。しかしながら今のところどのポケモンカードであれ、買って損をしたという気分にはなっていない。


 テレビの前に飾ってあるポケモンカードをじっと眺めながら、損はしていないような気がするという気持ちは変わっていなかった。オリジンパルキアSRもオリジンディアルガSRも買って損をしたという気分にはなっていない。


 ただただ、ブラッキーVHRもレックウザVmaxHRも値段が半額だろうが、今の値段だろうが、どちらにしても自分は手を出せないという現実に悶々とした。


 なんとなく詩を書いた。


☆☆☆

 空を知っているのに地面を見続け最高と叫ぶ


 今が最高

 自由な空はもっともっと高いところにあるはずなのに

 連れて行ってくれる誰かがいないのか

 知ってはいても見とれるだけなのか

 今が最高これから最高

 今をもっと高くする考えは持たぬのか

 それは危険だと言われても

 今を高めた後で自由が制限されたとしても

 人生の時間は閉じて行くだけそれは真実

 早く手に入れたいのかい

 今を忘れてしまったのかい

 過去を築き上げた上に立つ今の私は

 次なる私へバトンを繋ぐだけなのか

 それとも今の私を高めていきたいだけなのか

 成長とは準備ではなく足掻き掴んだ果ての何か

 積み上げる訳でもなく勝手に重ねることはできる

 要はやるかやらないかの判断だけなのだけれど

 何をしても世界は今日も知らん振りを続けている

☆☆☆


 簡単に言えば、未来の自分のために行動するのは積み上げとかそういうことなのだろうけれども、今の自分で使える自由というのは言うほど自由でも無くて。例えば、先ほどのポケモンカードのブラッキーVHRだったりレックウザVmaxHRに手を出す自由も存在していない状態が今の状態なのだなと悶々としていた。行動としてはスマートフォンのボタンをポチと押すだけである。小学生でも出来る。ところが今の自分では出来ない。将来のため将来のためと自分に言い続けながらも、これは経験則でだいたい分かるのですが、今買えないと感じるものは将来にわたって一生買うことは出来ない。だいたいがそんなものである。じゃあ、ボタンを押すのかと言われたら押せない。押したら自由を奪われるだろう。20代のパートタイマーごときが押したら、おそらくはクレジットカードを使う権利すら奪われるだろう。精神障害者で金銭管理が出来ないという誰が見ても妥当な理由で。私の自由は奪われるだろう。


 そんなこんなしている間に、死へのカウントダウンは刻々と迫って行っている。実はこれも真実。


 自分に他に本当に欲しいものはないのかと問うてもみても分からなかった。例えば、新訳の資本論12巻を揃えようと思ったら、ブラッキーVHRが450,000円に対して、資本論12巻は24,000円で揃う。古本で買えば20,000円を切るかもしれない。本音を言えば、資本論12巻は買える。ただ、本当に欲しいのだろうかという問いかけも頭をよぎる。数学ガールの秘密ノート微分を追いかけて、を読書したいならば読めば良いのだ。そう思って読んでみた。読んではみたものの「読んで何になるのだろう」というに襲われてしまった。数学ガールの秘密ノート微分を追いかけてを持っていなかったら「読みたい」と思うものだ。ところが買ってみて、自分の手元にあっていざ読める状態になってみると、「読んで意味があるのだろうか」などと考える。所有している者が持つ馬鹿らしい虚しさだ。この虚しさはこつこつと私の跡を追い続けるだろうことが簡単に想像できる。そうなると、本当に欲しいものや買えるものは一体何なのだろうとまた考えてしまう。ポケモンカードを買っても現物はそこにあるので後悔はしないのかなと思いながらも、ポケモンカードを眺めながら「他のカードが欲しいと思っているのだろうか。恐らく喜びの係数は『あ、新しいポケモンカードが追加された』くらいのものだろうと思われる。では450,000円を使ってブラッキーVHRを買うことは良いことなのだろうか」と考える。しかし考えるだけ無駄である。高過ぎるので買えない。


 買えないという事実だけがそこにある。


 今、買えないということは恐らく一生買えない。


 私とブラッキーVHRとは、この資本主義の中では無縁の存在でした、で話は終わってしまうだろう。そう話は終わる。考えるだけ無駄である。無駄なのに。インターネットサービスが発展した現代では、ブラッキーVHRがまるで目の前に陳列されているかのような錯覚を覚える。錯覚ではなく事実だろう。しかしそれは幻で、画面を閉じればブラッキーVHRは私の目の前から途端に消え去っていく。


 お金は虚しい。結局自由はない。


 ちなみに、ブラッキーVHRには初版と再版とがあり、初版のほうがシックでホログラムも少ないらしい。では初版が欲しいなと思ったら、またお金の虚しさの渦の中に取り込まれるだけだろう。


 無限に終わらぬ私の欲求。それで詩が出来た。


 こんにちは。井上和音でした。

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