現実は怖い事だらけだけど、世間が怖いと寝込んでしまえば、それは統合失調症の運命に負けてしまったことを意味する。

 2023年4月27日(木)。21時19分。


 こんにちは。井上和音です。


 田中角栄さんの言葉に、「言っていいこと悪いこと」という言葉があります。その言葉は次々と思い浮かぶ言葉によるネタを、理性によって「言うのをやめなさい」と、自分の言葉に対してブレーキをかけてくれる素晴らしい言葉だと思われます。しかし、パソコンの前に座ると「どうでもいいか」とか思い始める自分がいます。


 ところが私は統合失調症。


 何かを書こうとすると、幻聴で「やめろやめろ」と聞こえてきます。


 ついでに言えば、最近家の外から聞こえてくるペースメーカーのような音。まるで実験室というか、治験の実験台にでもなった気分にしてくれます。「この音は本当は幻聴なのではないか」と思っていましたが、親近者に確認を取ったところ、確かに聞こえるということで幻聴ではありませんでした。


 カウントダウンとかペースメーカーとか名付けていますが、どうやって鳴らしているのこの音は。結構な音量ですよ。ピッ、ピッ、って。親近者は「鹿威ししおどしの音だと思えばいいんだ」と言ってきましたが、確かに実際には特に不快には思いません。病院の中だと安心しているかのような錯覚を覚えます。頭の中が言葉で混乱している時も、パソコンの前に座って何かを書く際には必ずこのペースメーカーの音が聞こえてくるので、毎晩冷静にさせてくれます。よく分からないけれど、ありがとうございます。


 ところで鹿威しと言われると、私は獅子しし座生まれなので、「獅子脅し」と言われているように感じました。そうか、私を脅すためにわざわざ……。とは思いません。それぐらいの統合失調症ならばなんとか乗り越えられるのです。


 今までもそうだったように。


 これは脅しでもなんでもありません。


 話は戻って冒頭に。「言っていいこと悪いこと」とあるのですが、言っていいのか悪いのか。私のツイッターでも引用してみましょう。


☆☆☆

 「満員電車の中で怒鳴られたので本当にきついです」

☆☆☆


 はい。これを言ってしまうとデジタルタトゥーになってしまい、「これってあの時に怒鳴られていたあの人じゃ……」とかなってしまいそうで怖いので深入りしたくは無いのです。だから「言っていいこと悪いこと」とか引用してしまったのです。家に帰って親近者に聞いていみたら「本当に暴力団の関係者とかではないの」とか言われてしまい。例えば、ここで書いたことがばーっと広まってしまい、現実の井上和音さんとこのとうおこがリンクしてしまい、現実の井上和音さんがこれから先、変なところに目を付けられて、これから先が大変なことになってしまうのではないかと少しばかり恐怖を抱いてしまい、書くのを躊躇ためらっています。


 たまに熊本県の暴力事件のニュースで暴力団員の関わる暴力事件って本当に報道されていますからね。本当に身近に居るんですよね、暴力団員。


 目を付けられたら最後でしょうね。組織にはかないませんから。


 普通に優先席が空いていたので優先席に座ったら、何かを話しかけてきました。混雑での人の声が苦手なのでいつもウォークマンを聴いているのですが、外して聞いてみると「ここは優先席だぞ!」と優先席に座っている人から怒鳴られました。びっくりしたので「すみません」と言って立ち上がり、すぐに逃げました。あまりの不意打ちに驚いてしまい、動悸も一気に激しくなってしまいすぐにセパゾン錠を飲みました。


 キーボードを打つ手が止まってしまいましたよ。


 怖いよ。その人はマスクもしていませんでした。ちなみに怒鳴っていたので、近くにいた誰も優先席に近付こうともしていませんでした。


 もちろん、現実の井上和音さんは仕事帰りに口論においとま出来るほど体力は残っていません。へろへろです。くたくたしています。いつも倒れそうになっているので優先席も、優先するべき人が来なければ座っています。


 電車に乗る時に列に割り込むようなこともせず、列に並んで席がどこでもいいから空いていたら座ります。譲ってくださいと言われたら譲ります。ただ本当にきついのです。


 ただ、まあ。障害者だから座っていいかと言われたら分かりませんね。ヘルプマークを付けていない私が悪いと言えば悪いのです。ただ「優先席に座るな」と言われたのは初めてでした。


 キーボードを打つ手が止まる止まる。本当に大丈夫なのか。


 本当に組織に属している人とかだったらどうするのか。


 恨みでも買われないかと少し心臓がばくばくしています。自滅のような気はします。


 ピッ、ピッ、と鳴るペースメーカーのような音が外から延々と聞こえてきます。


 冗談も何も思い浮かびませんね。


 ただ。なんというか。「自分は有名になることは無い」とか延々と言ってきましたが、何かしらで有名になっていて、例えば顔を見れば「井上和音さん」だと分かる状態で今回のケースのようなことが起こってしまえば、非常に危険だし厄介なことに巻き込まれることは避けられないのかなとか思いました。これは統合失調症でもなんでもありませんし、現実に起こり得るかもしれない未来で。


 まあ、どうでもいいのかもしれません。


 ただ、何かしら文章を自由に書き続けられればいいのかもしれません。


 何かしらの文章を自由に書き続けられることが出来なくなる可能性があるから心配しているのですが。その通り! 問題はそこですよ。


 何も問題も起きずに、淡々とした毎日を送りたいわけです。淡々とした毎日の中に、ちょこっと文章を書いて、何かしらにちょこっと期待する。PV数とか。思い付いたアイデアを書ける場所をずっと確保していたいわけです。


 ただ、まあ。それだけの願いなのです。


 現実ではあまり「私は井上和音です」とは言わないほうが得策だと改めて感じました。


 ところがどっこい。今日の夕方のミーティングみたいなところで「なにか悩みとかある?」と聞かれて「もしかしたら本が出るかもしれません……それだけ小さく期待していることです」と言ったら、「ああ、飲み会の時に言ってたね」と仰られました。


 言った記憶なし!


 嘘やん!


 それに飲み会では飲んでいないのだけれど。それに記憶も無いって危なくない。危ないよ。「井上和音です」とは言っていないはず。多分。今日、「角川です」とは言いました。上司の方は「なんか担当が付くとか聞いてたけれど」と仰られましたが、いえ。流石にそれは言っていません。そこまで妄想が膨らんでいたとは考えにくいです。多分……言っていない。ただ、確率的にほぼ何かしらの賞に値するかと、選ばれるかと言われると、恐らく何もなく終わる現実のほうが、恐らく、本当の現実だと思われるので、「何も無かったら何も伝えないつもりです」と言っておきました。何か事が起こってしまったら伝えるだけなのですが、その事が起こったときに職場に迷惑を掛けたくはないので、一応今回も事前に伝えただけです。


 何かしらの賞はもちろん、喉から手が出るほど欲しいのは間違いないのです。


 何かしらの結果に繋がれば、誰かから価値を認めてもらえれば、それ以上に嬉しいことはありません。これは本当に思っています。ただ、現実が厳しいことも分かっています。分かっているつもりですが、「何も価値はありませんよ」と告げられることは、いつまで経っても、幾つになってもつらいものがあるのも事実です。その事実を受け止めて、更に淡々と書いていけるのかは、そのときになってみないと……いや、多分、きっと何かしらを書き続けることでしょう。多分、毎日。淡々と。


 統合失調症に限らず、偶然性も含めて怖いことだらけの毎日ですが、淡々と、淡々と、淡泊な文字という概念を、言葉という道具を綴り続けていけたら幸いですね。

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