外野に居ることが心地良かった自分はクズだったし、今の自分もクズだと思っている。

 2023年4月24日(月)。21時05分。


 こんにちは。井上和音です。


 「和音。全く贅沢な名だね。今日からお前の名はクズだ」


 のっけから圧迫面接かよ! 金熊賞らしいな!


 というギャグのようなものをお風呂場で思い付いていましたが、そもそも私が主人公というのはどうなのでしょうか。


 どちらかと言えばカオナシが自分に似ているのかなあとか思います。他人の言葉を借りなければ何も発言出来ないところとか。


 カスかクズかで迷いましたが、カスは「特に気付かれないので居ても居なくても変わらない存在」という意味でしょう。


 一方でクズは「居ていたら面倒臭い存在」とでも定義できそうなので、クズのほうを選びました。


 実は和音という名前は、「カスね」と「クズね」を組み合わせて創られた名です。これは嘘で後付けですが。


 そもそも「カスね」と「クズね」を合わせてしまったら「クヮズね」になるので微妙に違いますね。微妙過ぎる違いなのでこの語源でもいいのかもしれません。


 良くない。


 というか、のっけから「クズクズ」と連発しているところから、「また井上さんの自己嫌悪が始まったか。ブラバブラバ」と言ってブラウザバックをされてしまいそうですが、実は「井上さんはクズでした」という話をしようかとか思っていたりしています。こういうのって最初に書いたほうがいいのでしょうか。それとも「クズクズと言っていた伏線を回収できたかと思います」で締めたほうが良いのか。悩みどころですね。どっちでもいいから本題に入れと言われそうですね。


 そもそも読者はどれくらい居るのでしょうか。


 なんか、最近、書いてすぐの記事は読まれないけれど、書いて一年くらい経った記事達が飛び飛びで離散的に読まれるようになっていると、とうおこのPV数を確認しながら最近理解したところです。最新話も読んでね。かずね。


 お話は選挙!


 そう選挙のお話。あ、ブラウザバックしないでください。止まって、止まって。


 自民党がどうのとか日本維新の会がどうのとか言うつもりはありません。


 あるかも。


 和歌山の衆議院補欠選挙では、爆弾を投げられた人物が党首の……党首のって打ったら投手のって出て来ましたね……は良いとして、爆弾を投げられたのが自民党だったわけですが、そこで自民党の立候補者が勝つだろうと勝手に思っていましたが、なぜか日本維新の会の立候補者が勝ってしまいました。


 しまいました、という言い方は良くないかもしれませんが。


 報道1930では、「選挙に関心の無かった無党派層が爆弾事件で選挙に関心を持ってしまったために、無党派層が自民党に投票を入れなかったので維新が勝った」との解釈が流れていました。ほほう。そういう解釈ですか。まあ、終わってしまえば何とでも因果関係は立てられますからね。自民党が勝っていたら「岸田首相が爆弾テロにあったから自民党に票が流れた」とか、まあ、なんでも言えるのです。


 はい。ここで「井上さんはクズだ」ということの伏線が回収されるわけです。


 井上さんは外野から何でも言いたい放題。勝手なことを安全地帯からいちゃもんをつけるわけです。そういう性格なのですね。立候補者も、キャスターさんも、みんな責任感を持って発言なり行動なりをしているわけです。


 顔も出さないで本名も出さないで。


 挑戦する者を笑い、成功した者を「良かったね」で流してしまう。


 そんなクズだったなと自分の歴史や、書いてきた文章等を眺めながら思ってしまいますね。


 そうでもない気もしますが。挑戦はしています。ただ永遠に成功していないだけです。


 ただ、みんなの代表に立って、みんなの声を拾いながら全校集会とかで学校のキャッチコピーなどを考える、いわゆる生徒会とかいうものには一切触れて来ませんでした。


 一切。


 小学校も中学校も、高校も。大学も。大学では同好会のようないわゆるサークルですら入ろうとしませんでした。


 入ろうとしませんでした、は間違いですね。入ることが出来ませんでした。


 同好会とか自治会とか。一切入れない。永遠に入れない、謎の性格がありました。


 小学校三年生の時までは班長とか積極的にやっていました。まあまあ頭が良くて、人を笑わせるのが好きで、そこそこ人気があったような幼少期でした。


 しかし。まとめることが出来ていたのは、周囲の生徒たちが幼少期だったから、まとめることが出来ていたのですね。小学校四年生くらいから、だんだんと反発が起き始めます。賛成意見と反対意見とをまとめて、多数決で何かの案を決定するか、もしくは、二つの意見を昇華させて、新たな意見を作るかのいずれかの方法で何かしらの決定を行っていました。


 ところが、小学校四年生後半くらいから、思ってはいけない事を思ってしまいました。「班長って、損な役回りじゃね」と一人で勝手に気付いてしまいました。そこらへんから、段々と学級委員長とかに立候補する気も起きなくなってしまい。生徒会などももちろんやる気も立候補する気も起きず。中学生時代では、内申点が良くなろうとかそういうのも全く興味が無くなり、「どうぞどうぞ勝手に中学校を回していってください」みたいな気持ちになっていきました。


 ここらへんが「井上さんはクズだった」と自分でも思うところです。「クズだった」と過去形にするのもダメかもしれません。この気持ちが今現在も続いているところが「井上さんはクズです」と自分で思ってしまうところなのです。


 選挙とか見ても、もちろん立候補とかしても──なんの選挙であれ当選することは一切無いと思いますが──、それ以前に選挙や誰かが市長になったと言われても「どうぞどうぞ皆さんを立派に引っ張っていってください。頑張ってください。応援していますよ」という気持ちしか、まだまだ、まだまだ大人になったはずなのに、そういう気持ちしか湧いていきません。「どうぞどうぞ勝手に……」という気持ちしか起きないのです。だから公務員試験とか一切受からないのでしょうね。いつもいつまでも外野からわーわー言うだけで。テレビの前で親近者とわーわー言うだけで。自分の仕事などでは一切発言をしない。「私は知りません病」とでも名付けていいのか分かりませんが、「私は知りません」という気持ちばかりが湧いて来てしまいます。


 ここらへんが「私は私がクズ」だと自認してしまっている点です。もうどうしようもありません。「なんで井上さんがいるとみんな『我関せず』みたいな空気になってしまうのか」と高校時代に本当に言われたことがあります。簡単に発言が出来なくなっていきました。全ての発言に責任を持たなくてはいけないのではないかと思ってしまいました。だから現実世界では発言にことごとく注意を向けることになり、ほとんど発言をしなくなっていきました。


 その結果。この無責任な、なんでもかんでも言えるような、「とうおこ」が誕生してしまったと言っていいのかもしれません。本当は誰の顔色もうかがわずになんでもかんでも言いたい気持ちがいつもあるわけです。子どものそのものの気持ちなのかもしれません。何度も言いますが、ここらへんが「私はクズだ」と自認している点です。


 しかしながら、少し話が長くなっていますが、人は大抵が自分の言いたいことを言いたいだけ無責任に言うのが人間らしい行動みたいです。ツイッターとかでリプライで自分の意見を「お前何様だよ」と思ってはいけないけれど、最近思うようになってしまいました。私が言えたことかと本気で突っ込みたくなるところですが。なので、ツイッターで意見を言って、それでバズっている人や、他人のツイートをそのままパクってみんなから「いいね」をもらうアカウント。何かをネタにしてそれを私罰を与えるかのように拡散し、リプライ欄もそのアカウントの思い通りの気持ちの良い返事だらけのインフルエンサーとか。


 そういう人達になぜか最近不快感を感じるようになりました。ただの自分の感想なので、インフルエンサーや言いたいことをたくさん言ってバズっている人はミュート機能を使うようになりました。フォローも外すようになりました。


 もっともっともっと、言いたいことはたくさんあるのですが、文字数が長くなってきているしもう今は22時00分を超えてきたので寝ましょうね。今日はいきなり気温が下がりました。明日は九州は一日中雨らしいですが、いつものごとく、雨合羽あまがっぱを着て、雨が降る中を切り裂いて通勤して行こうかと思っています。


 グッバイ&グッナイ。

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