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人は遺伝には勝てない

 2023年1月30日(月)。21時19分。わしゃ眠いんじゃはよ書け、と金色の神楽さんが言っています。


 こんにちは。井上和音です。気温も上々。良い感じ。


 眠いです。ストレスです。もう。ストレス。


 叱ったり、自分の意見を言うのは勝手ですが、怒鳴らないでください。怒鳴り返してもストレスはたまるし、かと言ってストレスで寝込んでしまうこともまた、正直言って時間の無駄です。


 やんわりと、「これからは怒鳴らないで」と頼み込んだのですが「怒鳴って当然だ」と言われ、ああ。これはもう。死ぬまで。というか。死が近付けば近づくほど、「自分の言っていることは全て正しい」という感覚になっていって、「何もかも自分の思い通りにならないとおかしい」とか考える、というか、考えていないからそういう考えになるのでしょうけれども、「何もかも自分の思い通りにならないとおかしい」「自分の常識は世間の一般常識だ」とか今ですら思っているのに。これから先、どうなるんだろうかと心配になってきます。


 はい。親の話ですね。そんなに嫌なら親から離れて暮らせばいいじゃない。そこで親のありがたみが分かると思うよ、という方もいるかと思いますが。はい。正直、大学名とかはどうでもよくて、「とにかく親元から離れて自由に暮らしてみたい」と思ったのが大学受験の動機の一つであり、程よい都会に立地していた同志社大学の文学部を選んだ理由でもあるのです。


 統合失調症になってとんぼ返りしました。なんでなの。なんなのこの人生。とは思いますが、別に親への感謝を忘れているわけではありません。


 ただ、安定してほしいなという、精神疾患を抱えた息子からのただの願いです。


 正直意味不明なことで怒鳴られると、精神疾患にはとてもよくないです。ええ。最悪、怒鳴られまくったその経緯の果てだけで、朝に起きることもできなくなり、最悪鬱状態を発症し、仕事どころでは無くなってしまう危険性もあるのです。


 自分のことばかり考えていないで。というのは私にも当てはまるのかもしれませんが。


 「たった、一日。仕事から帰ったら怒鳴られただけじゃろ? それくらいなんで我慢出来んのじゃ。安定剤も飲んだのじゃろ。セパゾンも2錠くらい飲んだのじゃろ。別に目をつむって明日になれば、ほとんどのことを忘れておろうに。まあ。お主はここに刻み込んでいるから、note なり小説家になろうに文章を移したときにまた思い出すことになるのじゃろうけれども。かか」


 しかし、まあね。社会より厳しいよ。介護になっていくのだろうけれど。ボケるのはまだいいけれど、癇癪持ちという。最終的に辿る道は祖父と同じような道を辿っていきそうな気がするのですが。


 亡くなった祖父に似てきた。信じられない。同じ職を歩んできたわけではないはずなのに遺伝というものは尊大で、結局のところ親に似てくるのだなあとか思ったり。


 しかしながら。これは一説というか。勝手な思い込みなのですが。両親の性格が全く反対だと、生まれてくる子ども──僕なんですけれども──は、どこかおかしくなるというか、混ざり合ってはいけない性格が混ざり合うと、両親のどちらにも似ることのない、悪く言えばどちらの両親とも、合うところは合うし、合わないところは合わない、という両極端な親子関係が生じてしまいます。人間というのはワガママなところがあるので、合わないところばかり見てしまい、結果的にどちらの両親とも不仲に陥ってしまう。信頼関係が築けなくなってしまう──極端な例で言うと、僕の場合はありえない脳の働きが起きてしまい統合失調症という、本物の統合失調症という、昔の呼び名で言えば精神分裂病という。まさに、精神が分裂してしまう。多様な精神を持ち合わせてしまう、あり得ない病気になってしまうリスクとかも上がってしまうのではないかと、勝手に推測してしまいます。


 僕が怒鳴ることは無いのです。不思議な性格。思い通りにいかないことを何回も何回も経験して、寡黙になる性格。根暗というか。陰キャというか。本当に面白いこととか、本当に価値があると思うことにしか興味が湧かない。考えてみれば統合失調症以前に、どこかおかしい人間だったのは確かだと思う。それは、個性で終わっていたはずなのだけれど。統合失調症になり、具体的に閉鎖病棟の隔離室に入れられて、恐らくは一生精神障害者となってしまった。


 精神障害者ってこんなもんである。結局は遺伝には逆らえないということで。神さまが何かしている、とか、ハッキングが起きているとか、疲れやすいとか。本当に起きたことで、一人では生きていけないと思わせておいて、結局、親の元に帰ってしまい、毎日パートタイマーに行くものの。毎日ブログを書いたりするものの。結局は仏様の手のひらの上をくるくる回る人生になってしまったのだけれど。


 全部自分のせい、とか、全部遺伝のせい、とかになってしまえば。それはそれはとても寂しいことなのだけれど。「不幸以外の何者でもないのん!」となってしまえば、認めてしまえばそうなってしまうのだけれど。


 ちなみに、とても話は変わるが「者」という漢字なのだけれど。「者」って。


 「者」→「土/日」に分かれるので、「者」、すなわち人間らしい活動は「土日にしか出来ません」みたいなことを言っているのかなとか昨日の夜に思い付きました。


 note のメンバーシップを更新するとか言ってしまったけれど、眠いので寝ます。考えてみたら、note のメンバーシップってグリットとは関係がないというか、まとめてどかっと、気分が乗っている時か、土日とか暇なときにやっても、毎日やろうと、そこは関係がない要素なんじゃないかと思いまして。はい。無理はしません。


 というか、今日が note のメンバーシップの乗り気がありません。


 読書メーターでボランティアの募集を兼ねた宣伝をしてみようかなと思うくらいです。身体が重いので寝ますね。では。Bon nuit!

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