「講義ノート」のバイトをして、単位を落とした思い出。

 2023年1月28日(土)。8時49分。休日。


 早い。早起き過ぎた。こんな早い時間のブログの更新とか今まで無かったように思われる。


 というか、朝が早過ぎて、書くことも何も無いだろうとか普通は思われるのだが、奇妙な夢を見て、朝早く起きてしまった。その夢のことでも記述しておこうかと思っている。


 2000字いくのかな?


 はい。こんにちは。井上和音です。


 朝は7時過ぎに起きました。目覚ましもありませんでした。せっかくの休日なので、朝は寝られるだけ寝ようかと思っていました。


 しかし、まあ。奇妙な夢を見るもので。多分人生において絶望感が少なくなってきたのでしょう。少しずつ、自分が本来歩みたかった人生に、少しずつ、少しずつ、近付いてきているのかなと思っています。


 統合失調症の導きのようなこともあるのかもしれないけれど、結局のところ、全ては自分が選択した道だけが、自分の人生になる、ということは変わらないようなので、選択の連続、ないしは、継続の連続こそが自分の人生になるのかなと思います。


 公務員試験一次試験の結果ですね。ダラダラダラダラダラダラダラダラダンッ! まだ届いていません。朝が早いからね。届いたら、ぼそっとツイッターにでもつぶやくのかなと思います。


 落ちていても、合格していても。事実だけを伝えるのがツイッターでは一番効果的というか、嘘も何もつけない人間なもので。


 早起きすると、頭の回転が鈍くなっているような、不思議な感覚に襲われますね。脳内に霧がかかったかのような。自分の発達障害の特性である、「文字がポンポン出てくる感覚」みたいなのはありませんね。早起きすれば、普通の人間になるのかもしれません。


 というか、頭の回転が悪く、何も喋らない、無口な人間。これは普通の人間ではありませんね。


 いい加減に夢の話をしろ、と思いますが。はい。夢の話です。夢の中でヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」を読んでいました。夢の中で勉強をしていました。「そうだよ。こういう人間になりたかったんだよ」と思った瞬間に、目が覚めました。勉強をするために、休日の時間を長く取りたいと本能が叫んだのかもしれません。実は、自分にとって絶望とは、成長できないことであり。ないしは勉強できないこと、読書できないことであり、それ以外は特に不自由もしておらず。勉強やブログそのものが、自分の生きる意味のような、生きていて良かったと思える瞬間のような、そんな気がしました。


 こんな大仰なことを言ってしまうと、「今、ブログを書いているから、ブログに関しては矛盾はないけれど、勉強はまだしていないから。勉強は続くのかな? ちゃんと言ったことを継続することは出来るのかな?」とか、自分に意地悪な質問を投げかけてしまいそうですが、多分勉強もしてくれるかと思います。


 ところで、昨日届いた「ミクロ経済学15講」をパラパラと読んだのですが、めちゃくちゃ難しいですね。まず微積分の知識や関数といった数学の知識が無ければ全く理解ができないということに気が付きました。経済学部の人達はこれを18歳くらいでやるのかと思うと、自分との知識だけではなく、頭の良さそのものに違いが生じているのだなと、ちょっと怖くなりました。文学部哲学科とかは、ただ本を読んで、真と思える箇所を勝手に覚えていけばそれだけで単位くらいは取れるので、経済学部の人達には頭が上がりませんね。


 大学時代の心理学の一般教養のときもそんな気分になった思い出があります。心理学は覚えることが多すぎ! となっていました。しかも、その授業で講義ノートを作成するバイトをやっていたので、朝9時からの一般教養の授業でしたが、お金が掛かっているので、無理やりにでも起きていました。授業に毎回出席し、講義ノートや小説の執筆のために買った、ポメラDM100で、授業中に書かれた板書をカタカタと。いや、音は出来るだけ出さずに、コソコソと、板書に書かれた文字列を打ち続けていました。


 講義ノートは完成しました。しかし、最後のテストでは及第点には達することが出来ずに、単位を落とすことになりました。


 講義ノートは一教科1万円の契約だったので、バイト代は貰いましたが、単位は落としてしまいました。ポメラDM100に板書を打ち込んでいても何も頭には入っていないことを、講義中にも何回か思っていました。結局ルーズリーフかなんかにシャープペンシルで書きこんでいかないと、記憶に関して言えば何も頭には入ることなど無いのですね。


 そこらへんは大学時代に重々承知してしまったので、電子書籍を買うことに少し抵抗感が出来たことも事実ですが。


 しかし、講義の単位を落とした人間が打ち込んだ講義ノートを買う人間もいるということで、なんだか申し訳ないな、という気持ちは……うん。無いですね。そもそも講義ノートなんて買うなと言いたいですね。結局バイトで利用しただけなのですが、その講義ノート屋さんは、私が在学中に同志社大学の前のビルから撤退していなくなってしまいました。


 単価が安いのと、倫理的道徳的にどうなのかという理由で、長くは存続しないだろうなとは思っていましたが。同志社大学自体も「講義ノートは買うな」みたいなことを発信していたような記憶があります。


 実は講義ノート屋さんって、いくつもあったのですが。今はどうなんでしょうね。新町キャンパスと今出川キャンパスの間にあった老舗の講義ノート屋さん。今でもあるのかな。そこでもアルバイトをした経験もあるような、無いような。中に入ったことはありますが。


 結局、勉強するなら、紙とペンを用意して、板書をしっかりと取って記憶に刻んでいくしかない。本気で勉強するならそれ以外の方法は、あまりオススメしません。


 タブレット端末とかに書いても、あまり記憶には定着しないのではないかと思います。

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