2022/11の記事

111を十進法で表すとラッキー7であり、111はエンジェルナンバーという幸運の前触れの数字であるという皮肉

 2022年11月1日(火)。21時04分。


 はい。こんにちは。


 111を十進法で表すと7になるらしいですね。進法を高校時代に訓練しなかったので、ググって調べました。ちなみに111とググるとエンジェルナンバーという幸運の前触れの数字と言われているらしいです。明日何か起こるのでしょうかね。111は11/1と1/11の二回しか年内にはないので、その次の日の11/2と1/12は何か全人類にとってハッピーなことが起こるのかもしれません。


 はい。111って十進法で表すとなんになるんだろうとお風呂に入りながら考えていた結果、こんな書き出しから始まりました。良いですよねトリプルワン。考えてみれば暦の上で1は零回しかなく、11は1/1の一回しかしかなく、111は1/11と11/1の二回あり、1111は11/11の一回しかなく、11111になるとまた零回に戻るという不思議な山なりが起きているわけですね。それに111はエンジェルナンバーというのを、先ほど初めて知ったので、幸福の前触れの日数が最も多いというか、何を言いたいのか分からなくなってきましたが、暦の回数には不思議で美しい波もしくは山なりがあるのだなあ、となんとなく思いました。


 「こんにちは。年賀らせです。Toric or Treat!」


 と、らせの話を続けようかと思いましたが、111のエンジェルナンバーが十進法で表すとラッキー7ということに気付いてしまったのですが、111が幸運の前触れの数字であるにもかかわらず、その数字自体が進法──すなわち見方を変えれば、幸運の前触れそのものが、実は幸運そのものという、神秘的な、言ってみれば皮肉のような現実を表しているかのように思います。111(2)=7。幸運は実際に起こってみると過ぎ去っていくだけであり、実際に幸運が起きる前の、幸運を確信し期待している状態そのもの、それこそが真の幸運の状態であるという、皮肉のような数字のマジックを表しているのだなあ、とか思いました。


 「その、数字の偶然を発見した時点であなたが幸運のような気がしますが。11/1に思い付いて良かったですね。他の日だったらまず考えもしない数字のマジックだと思います。数字と皮肉のマジックというか。それで、私は話しても良いのでしょうか。


 Toric or Treat! お菓子をくれなきゃ乱視にするぞ!」


 はい。すいません。最近コンタクトにしたせいで、こんなことしかお風呂場で思い付くことはありませんでした。正しくはTric or Treat! です。というか、あれですね。はい。私は乱視なんです。


 昨日コンタクトレンズが届き、職場に着けて行ったのですが、守衛さんから「研修生ですか?」と問われ、「僕ってまだ若く見られるんだなあ」とか思いながらにやにやしながら「職員です」と言ったときの快感はありましたね。気持ち悪くてすみません。


 別に職場では特に何も言われず。先輩に話したら良い感じにいびられて、「まさか本当に私の意見を行動に移すとは!」みたいな感じで言われました。良い先輩です。別に面接試験を突破するためだけにコンタクトレンズに変えたわけではないのですが。格好良くなりたい。ただそれだけなのですが。


 コンタクトレンズを続けていって、髪の毛、特に前髪を高校時代くらいまで伸ばしていったら格好良くなれるのかなあ、とかぼんやりと考えてしまいます。


 十代の格好良いと、二十代の格好良いとでは、また違った視点がありそうな気もしますが。精神年齢が十代で止まっているような気がするので、十代の格好良さを求めてしまっているのかもしれません。


 職場でコンタクトレンズを着けて、一日装着して、家に帰り外した時の感想。目が疲れた。瞳の疲れは心の疲れ。これもお風呂場の中で思い付いたなぞのフレーズなのだが、コンタクトレンズを外したら、瞳の疲れと共に幻聴とかも少し聞こえたりして。なんなら関連性妄想障害とかも思い付いてしまったりして。


 関連性妄想障害の話に移りましょうか。「けつあな確定」と解きます。その心は。


 「けつあな確定」→「穴穴けつあな確定」→漢字を分解して「ウハウハ確定」→「ウハウハと言えるほどお金が入ってくることが確定」


 みたいな感じ。思い付いちゃうんですよね。こういうの。コンタクトレンズを外した時に思い付いてしまい、「瞳の疲れは心の疲れ」みたいなことを思いましたが、統合失調症の僕は、他にも別の不安について考えてしまいました。


 見たくないものすらも、コンタクトレンズを着けていたら見なきゃいけないのだな、と感じてしまったのです。


 例えば眼鏡ならば、見えている風景にある記号、文字などに関連性妄想障害を感じてしまったら、眼鏡を外して疲れている振りなんかをして、行動が可能なわけですが、コンタクトレンズを着けていると、目を逸らしたい記号や文字があったとして、結局見続けて作業をしなければいけないのだなあと感じてしまったのです。電車の中とか。人が持っているかばんとか、電車から見える風景とか、見たくもないのに、見なきゃいけないのですよね。眼鏡の時には、眼鏡を外して、ウォークマンで耳をふさいで、周りからの刺激を完全にシャットダウンすることができるのですが、コンタクトレンズを着けていると、延々と周りの記号や文字に刺激を受け続けなければいけない運命に至ります。


 何言っているか分からないと思う人が大多数、というか、僕以外に「そうそう。関連性妄想障害を強制的に見せられるのはつらいよね」みたいに共感してくれる人は同じ統合失調症罹患者であっても、まずいないような気がします。


 というわけで、職場に初めてコンタクトレンズを着けていった感想でした。コンタクトレンズを着けていても違和感が無くなるまで、目がでっかくなるまで、イケメンになるまで頑張りましょう。理想の大人になるために。


 

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