【過去】私が塾講師のアルバイトをしなかったわけ。

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 誰かを攻撃したり、誹謗中傷を加える目的など一切無いことを前提にしてお読みください。

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 私は2浪して、結局国立大学には受かることなく、京都市にある私立大学のD大学へと行くことになった。


 この時から既に、人間に対してかなり不信感を持っていた。特に「講師」「教授」と言われる方々にはかなりの不信感を持っていた。


 2浪したこともあり、基本的に一人で行動していた。大学時代はサークルでも入らない限り、一人で行動することのほうが多いと思った。


 本題に移ろう。私が入学した大学はある程度著名な私立大学であったため「内部校組」「指定校推薦枠」などが半数を占めていた。一般試験の受験から通ってきた生徒は半数ほどしかいなかったのだ。


 そんな中、一年生の頃、教養科目で一人座っていたら、こんな会話が聞こえてきた。「塾講で、数学任されてさ。急いで白チャ(白チャートのこと)買った。一ヶ月でなんとかしないと」


 私は耳を疑った。受験で、散々な思いをした私だからこんな風に思ったのかもしれない。塾と言えば、もちろん最終目的は生徒を志望校に入れることだろう。そこで「講師」と呼ばれる人が一ヶ月の付け焼き刃で、生徒に「何でも知っている風」を装って、高額なバイト料金を稼いでいるのだ。


 生徒は何も知らないだろう。こうやって、また、付け焼き刃の「講師」が、勉強をよく理解しないまま生徒に教えて、浪人という人生を後退させてしまうような生徒を生み出してしまうのだと。


 この世の教育システムは狂ってないか? 本気でそう思った。


 そこで、決意した。「塾講師のアルバイトは高額だが、私ごときの人間が「講師」となって生徒と接して、生徒の未来を奪うようなことはしてはいけない」と。


 アルバイトを全くしないわけではなかった。せっかく京都に来たのだから、京都三大祭りのバイトには参加したし、その他の祭りの行列に並ぶバイトも経験した。綿あめを売るバイトも経験したし、年末年始の郵便局での地獄のようなアルバイトも経験した。


 将来、小説家になりたくて、本を読む時間、もしくは執筆の時間も取りたくて、シフト制のアルバイトには参加していなかった。ここら辺は甘い学生生活だったのかもしれない。


 しかし、塾講師のアルバイトには決して手を出さなかった。「塾講で、数学任されてさ。急いで白チャ(白チャートのこと)買った。一ヶ月でなんとかしないと」という発言を聞いてから、この世の矛盾に自ら入ることはしなかった。たとえ高時給だったとしてもだ。


 人によって苦しみは様々で、浪人生活を散々苦しんだ私にとって、塾講師とは生徒の未来を決める重すぎる責任と共に、


 本当に、総合的に能力がある人だけが教育機関にたずさわれるような、そのような仕組みにどうにか国は変えてほしいと願うばかりだ。

 

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