読まれない文章、記事、は無いのと同じだと思っている。あと、カクヨム内では障害者らしくなくて嫌われた。現実でも友達が減った。

☆☆☆

 タイトルは『3月に入ってから嫌われてしまった』『手袋を無くしたと思ったら出てきた』『かわいそうな人に、人は応援するのか?』のいずれかにしようと思います。

☆☆☆


 仕事をしてきた。雨が降ろうと風が吹こうと、自転車で職場まで向かわなければいけない。そんななか、手袋を無くした。手は物書きにとって重要な要素だ。しもやけしたら何も書けないし、手がかじかんだら、また、何も書けない。


 三連休明けはこんなにもきついものかと午前中は思った。しかし、午後は調子が上がり、終業時間まで普通に過ごせた。


 打ちながら、爪を切りたいなと思った。爪はコロナの温床だと思っている。鼻やのどに行くまでに、まず爪にコロナは引っ付いてくると思う。これはなんの根拠もない持論だが、「コロナ対策のために、みなさん爪を切りましょう。」とは行政も言えたもんじゃないし、バッシングもくらうだろう。しかし、爪は、人体で最も汚い器官の一つだ。それは間違いないと思う。


 さて、話は変わってブログの分析である。ブログの応援が3月に入り少なくなった。以前は5つくらいは定期的に応援を頂いていたのだが、3月に入り、多くて3つとか2つとかが並んでいる。読者の方の意見では『書く量と、更新のスピードが速すぎて、読者が付いてきていないだけだと思います。』という希望的な感想を頂いた。しかし、冷静に分析して、あとからどっと来ることも無いという現実から、「嫌われてしまった」と分析するのが一般的だと思う。


 原因は、恐らく統合失調症の日記から、自由に書くブログへと化してしまったことだろう。あと、書く内容も、あまり障害者らしくない文章だったと思う。意味不明な文章を求められていたのかもしれないが、普通に書いた。現実の社会の中で違和感があったら、報道を元に一応論理的に書いた。その文章、というか記事を見て「障害者とは違う」という印象を持たれたのかもしれない。それで、「今まで頑張れと応援してきたけど、応援する必要もなくなった。この人は多分だ」という思考に変わったのだと思う。私はでも、障害者である。暇を持て余した障害者が、何も考えずにブログを綴っているだけである。


 現実でも友達は減ってしまったし、カクヨムの中でも敬遠され始めた。統合失調症は孤独が引き起こす。暴挙に出ないよう慎重にブログを続けていきたい。


 いまだに、エッセイ・ノンフィクション部門でランキングに反映されない。その程度のブログなのかもしれない。もしかしたら、はてなさんから危険な小説──もちろん小説ではなくブログなのだが──に加えられているのかもしれない。書けば書くほど嫌われる。いつまで書けるか。この一年このペースを保って生きていけるか。


 しかし、私にはブログしかないのだ。なんの目標も夢もない人生の中に、唯一、夢と呼べるものが見つかり、それが書くことそのものだったと気付いただけなのだ。書きたくても書けない人はたくさんいることを知っている。この一年間。どこまで書けるか。それだけが心配で、どれだけ読まれるか、こちらも心配だ。「認知されていないものは、無いのと同じ」というテーゼは正しいと思っている。反発はあるかもしれないが、読まれなければ、書いていないのと同じなのだ。そういう信条を私は持っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る