【漫画:考察】ブラックジャックのピノコと、中国の纏足、私たちの子供への態度、の共通点から、愛らしさとはどこから来るのか探ってみる。

 ピノコと言えば、漫画ブラックジャックに出てくる愛らしいキャラクターである。


 瀕死、というよりもほぼ死に近い状態からブラックジャックに救われた人物である。手術で生き返らせた命は、不完全な状態で生を受けることになる。言葉が上手くしゃべれず、ろれつが回らない。身長は小さく、それでもブラックジャックの妻──これはピノコの自認で、ブラックジャックからしたら助手なのだが──を主張して、一生懸命にブラックジャックを支える、ブラックジャックの優しさを際立たせるだけでなく、その唯一性のキャラクターが読者の心をつかむ。


 特に、心をつかむ場面は不完全な言葉づかいで、ドジを多く踏むなどしながらも一生懸命にブラックジャックを支える姿は読者に愛くるしさを与える。


 これを現実でやると、例えば手術なしで、女性の不完全さを創り出して、それを可愛らしいとみなすとなると、現代のジェンダー問題においては当たり前に批判が出るだろう。「女性のことをなんだと思っているんだ!」と怒りの声が出てきそうである。


 しかし、かつて、女性の不完全さを創り出そうとする文化があった。唐の末期に始まった中国の纏足である。生まれたての幼いころから足をギブスで固定し、幼いうちに骨折させ足の平を正常に成長させずにした。それで大人になっても数十センチの足の平で、よちよち歩きを余儀なくさせられながら、夫に従うという文化だ。よちよち歩きの制限を受けながら家事などをする姿は、夫に愛らしさを与えるという文化だ。清朝末期には時代に合わないとして禁止令が出されたが、真に纏足が根絶やしになったのは第二次大戦後という。それまでずっと、王朝を変えながらも”不完全な女性を創る”という文化は絶えることが無かった。


 子どもが、親の真似をして料理を作る際に大胆にこぼしたり、失敗したりすりと、親としては「手間はかかるが、かわいいな」と母性並びに父性本能が働く。子どもが舌足らずな言葉でしゃべる姿を見ていても「かわいい」と感じる。論理的なことを淡々と述べる子どもより「おもしろかった!」とか「楽しかったです」など一言でコメントを残す子どものほうが、見ている側としても、かわいいと感じる。それは、自分と、その不完全な子どもを平等に扱っていないという、無意識の感情から「かわいい」という感情が生まれてきてしまうのだ。


 不完全で、ある意味では能力が低い人物が、一生懸命に生きる姿を私たちは「かわいい」「守りたい」と感じるようにできているようだ。ブラックジャックを支えるピノコが「可愛らしい」と感じる心も、纏足の女性がよちよち歩くのを「可愛らしい」と感じる心も、子どもが、いわゆる”子どもらしい”行動を見て「可愛らしい」と感じる心も、どこかしらに──これは物議をかもすかもしれないが──、姿と思う人間の本能が隠れているように思われる。


 人々を──これは男女を問わず、障害の有無を問わず──平等に扱うというのは、漫画ブラックジャックが示す通り、または中国の歴史が示す通り、または、子どもを見る目線といい、人間の心の中では非常に難しいということが、特にピノコのツイッター上での扱いを見て思うところである。

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