ソーシャルワーカーさんから聞いた、健常者の悩み。普通の人はこうやって生きている。


 精神科行くときに、必ずソーシャルワーカーさんとも話をするようにしています。無料なので、何となく話をします。


 趣味でエッセイや日記を書いている、と僕は言いました。


 その時のソーシャルワーカーさんの一言が僕の不安に刺さりました。


 「仕事をして寝る、以外に私に何が残るだろうって私も考えるんですよね」


 そう。これが健常者であり、それが普通なのだと痛感しました。


 仕事以外、家事、子育て、睡眠。それ以外何もする余裕がない。


 だからといって、仕事さえしておけば生活費に困ることは無いので、仕事を辞めるなど言語道断。


 これが健常者の普通だと痛感しました。それも、能力のある健常者の普通。


 昼間眠いとか、朝起きれないとか、そんなことが一切ない、健常者の普通。


 学生時代に精神障害者になり、正職員雇用を落ちまくって、辿り着いたバイト生活の道ですが、自由な時間はまあまああります。


 普通。


 普通とは、人生を投げうって、全力で仕事に取り組み、仕事以外のことをしないこと。それが普通。


 このソーシャルワーカーさんも、いずれ悩みが深くなって鬱病にならないか心配ですが、この世の普通のハードルがとても高いような気がします。


 僕がもし、正職員になったら、カクヨムなんて書いている暇はないし、ゲームだってやらなくなるでしょう。


 ゲームをやっていた自分を、悔やむでしょう。カクヨムに費やした時間を悔やむでしょう。


 僕はこう言いました「僕は大学四年生の就職活動中に突然、統合失調症になりました。その頃僕は、基本給の高い民間企業ばかりを狙っていました。しかし、そのまま上手くいき、東京で働いていたら限界を迎えていたかもしれません。僕が統合失調症になったのは、神様がそういう道を歩ませないようにしたからなのでしょうか」


 ソーシャルワーカーさんは「その考え、いいと思います」と答えました。


 統合失調症患者往々にしてある『統合失調症になった意味』を考えるクセ。


 脳の病気、精神的なストレスが大きすぎた、など、自分ではどうしようもなかった原因を医者は突き付けてきます。全くストレスはなかったのですが、それもまた、ストレスの一要因だったのかもしれません。


 統合失調症に意味はない。そう断定するのはとてもつらいことです。


 この世が変わるほどの、陽性症状を経験しました。


 学歴も捨てることになりました。統合失調症になる前に自動車の運転免許を取っていたのは不幸中の幸いでした。


 普通になるのが怖いです。でも普通になりたい。でも時間が欲しい。心の中での葛藤と恐怖。


 普通にならないと生きられない。まだ若い。だからこそ、残酷な将来に不安を感じるのです。


 そして歳をとる。若いころああしておけばよかったと後悔する。


 田舎に住んでいるから、何もできない、と無気力になる。その繰り返し。

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