第11話 かみさまの存在証明
みーやが死んで半年程の月日が経った。
高校二年生の秋の頃。
そろそろ受験も視野に入るそんなころ。
「さくま、ほら起きなよ」
僕が彼の上に飛び乗って頬を叩きながら、そう言うと彼はむずがりながら目を覚ました。
昨日、つむぐと遅くまで電話していたから眠そうだ。微笑ましいような、仕方ないなあと呆れるような。
目を覚ましたさくまは、僕におはようと告げるとじっと、僕のおなかにあるネジを見た。
それを軽くいじってから、ぽんぽんと満足げに僕の頭を叩く。
「毎回、想うんだけど何してるんだい?」
「確認さ、ちゃんとかみさまがここにいるっていう」
「ふうん」
いぶかしむ僕に、さくまはにっこりと笑みを見せた。
「そういうかみさまこそ、最近、カバンの中に入ってこないじゃん、どうしたの?」
「これでも老体だからさ、ちょっとカバンの中でつぶされるのしんどくなってきたんだよ」
「こんど袋でも買ってこようか?」
「嫌だね、息が詰まる」
そんなやり取りと朝の準備を終えて、僕はさくまが家から出ていくのを見送った。
「じゃ、いってくるよ」
「うん、いってらっしゃい」
※
「さくま、前、言ってた資料、出してくれた?」
「うん、出しといたよ。山城君があれでおっけーだって」
「……ええ、私が出した出店依頼には散々文句つけてきたのに……あいつ、さくまに甘くない?」
「というか、三枝さんに厳しいんだよ。『去年の俺の苦労を味わえ、がっはっは』って言ってたよ」
「あんにゃろ……。まあ、しゃあないか、私も散々言ったしなあ」
え? さくま? いつの間に名前呼び?
思わず身体がぴきっと固まるのを感じる。私も名前呼びなんて、まだできていないのに……。
「二人って……そんな仲良かったっけ?」
そう口を開くと、私に気付いた、三枝さんはなんてことはない風に首を傾げる。
「あれ、つむぐじゃん。でも私、ある程度仲良くなったら、大体、名前呼びじゃない?」
「……割と男子はそういうのすぐ勘違いするから止めといたほうがいいと思う」
対する上谷くんは半眼のまま、そう三枝さんに告げたけど、三枝さんは知らん顔だ。そんな様子に若干、肩をすくめた上谷君はちょっと私に手招きした。誘われるままそばに寄っていくと、ちょっと耳を寄せられる。なんか、背筋がこそばゆくてむずっとした。
「実はかみさまが動いてるの見えてたみたいでさ、それで話すようになったんだ」
そう言われて、私もああと納得する。そういえば、三枝さんって上谷くんにネジ触られていたっけ。だから、かみさまが動いてるのも見えてたのか……そっか……そっかあ。
納得はできたけど、まだ胸の奥はざわざわする。そっか、つまり上谷くんの色々を知ってるの、私だけじゃなくなったってわけで……。
「ちなみに、山城の奴も知ってるからね」
「え? ええ?!」
「山城君は普通に廊下で、かみさまと喋ってるの見られたんだけどね……」
「ま、そこでバラしちゃえば? っていったの私だけど」
「あれは、本当に勘弁してほしかった」
「ま、秘密なんて抱えてたら無駄にストレス溜まるんだから、ちょうどいいでしょ」
「そうかなあ……」
なんてことはないと言うふうに語る三枝さんに、上谷くんはため息をつき続ける。私もちょっと心配だったけど、それでも、ちらっと見えた上谷くんの表情は、どことなく嬉しそうにも見えた。
なので、それを見てちょっと思い直す。そうだよね。やっぱり秘密をずっと隠し続けるのはしんどいし、それを知って尚、友達でいてくれる人がいるのなら、嬉しいよね。
わたしたちが、お互いの秘密を知る唯一の関係っていうのも、悪くないのだろうけれど。
そうでなくなったのは、ちょっと寂しいけど。
これはこれでいいのだろう。
……。
いや、やっぱり、ちょっと寂しいな。
だって、私の秘密は結局、他の人にはまだ言ってないわけだし。
むむむ、これは抜け駆けじゃないかなあ、上谷くーん。
「で、羽根田さんどうしたの?」
ちょっと、内心むくれかけていたら、想い返したように上谷くんに声をかけられた。
はっと我に帰って元の用事を思い出す。
「え、とね、三枝さんに用事があったの。備品リストできたから目を通しといてねって、問題なかったら買い出しいってくるよ」
「おっけ、見とくわ。買い出し組ってあと誰だっけ」
「僕だよ、僕と羽田さん」
「店の場所も二人で確認済みだよ、ばっちり」
「え? もしかして買い出しに乗じて、いちゃつく気?」
「「違うから」」
「ほんとにぃ……?」
藪にらみを返してくる三枝さんの眼をそっと避けていると、がらっと勢いよく教室の扉が開いた。
「ごらー、三枝どこだー! また書類間違ってんぞーーー!!」
「は? 山城?! なんでよ? 散々書き直したじゃん?!」
「いや、だからここも違うって説明したじゃん?! もういい! 書け! お前、ここで書け!!」
「はあ……文化祭って大変ねえ……あ、つむぐ、これ大丈夫だから。買い出し行ってらっしゃい」
「あ、はーい」
三枝さんは若干、ため息をつきながら山城くんとの言い合いに戻っていく。でも、疲れてはいる感じだけど、どことなく楽しそうにも見える、かな。
上谷くんと眼を合わせて、二人で苦笑い。
「じゃ、僕らは僕らで、いこっか羽根田さん」
「うん」
※
「そういえば、最近、かみさま見てないね」
買い出しに行った帰り道、羽根田さんにそう声をかけられて、僕はぎこちなく首を縦に振った。
「なんか、あんまり外に出たくないんだってさ。最近、おじいちゃんみたいなことばかり言ってるよ」
「ふふ、人形なのに変なの」
そうやって、笑う羽根田さんに僕も軽く笑みを返す。
本当に、なんでなんだか。
そもそも、かみさまが何故動いているのか、それすらさっぱり僕にはわからないけれど。
まあ、それを言い出すなら、目に見えるネジにすら、『なんで』なんてわからないままだからね。きっと、そういうものなのだろう。
神様の存在証明みたいなものだ。
そもそも説明できないから『神様』なんて言葉が必要になるわけで。
考えれば考えるほど、『なんで』なんて問いに答えはないのだと思い知るだけで―――――。
「上谷くん?」
それは。
買い出しの帰り道のことだった。
秋の夕方の頃だった。
学校に持っていくのは明日だから、一旦、僕の家に荷物を置いて帰ろうと相談していたんだ。
だから、家に入って、久しぶりにかみさまを見たいと言った羽根田さんに言われるまま部屋に上げたんだ。
「あ――――」
そこで、唐突に気づいたことがあった。
それが止まって、僕は初めて感じ取った。
みーやが死んだときと同じだ。
何かが止まった、そんな感覚。
ただ、不思議と悲しくないのはなんでだろう。
ずっと前から、そうなるのを知っていたからかな。
そう、僕はずっと知っていたんだ。
きっと、初めから。
彼が一体、何なのかを。
ゆっくりととうさぎの人形の頭を撫でた。
「かみさま」
もう言葉は返ってはこなかった。
※
朝、笑う彼を見送った。一年前から比べれば、さくまはどことなく楽しそうに学校に行くようになった。
つむぐか、山城君か、三枝さんか一体、誰のお陰やら。それとも、さくま自体が少し変わったのだろうか。
小さく、寂しがりな少年の心は、気付けばいつのまにか大人になっていく。
身体と違って、心の変化は見た目にはわからない。
それとなく、なんとなく。
誰も気づかない夜明けの内に、音もなく羽化を経ていくように。
ゆっくりと、人知れずでも確実に、形を変えていくものなのだ。
彼はもう、子どもじゃない。
小さく弱い、寂しがりな泣き虫ではなくなった。
子どもと大人の違いが何かと問われたら、答えはきっと人それぞれにあるのだけど。
大事なことの一つとして、頼る相手を自分で見つけられるってことがある。
人はそれを時に依存と呼び、愛情と呼んでいる。
始めはきっと、母親に、はじめてに抱いたブランケットに、おさがりのうさぎの人形に、向けていた想いが。
やがて、自分で選んだ相手へと変わっていく。
一つしか向ける先のなかった愛着が、たくさんの誰かに囲まれていく中で安定して、それそのものが彼という一つの人間を形作る。
彼を支える人たちが、彼が支える人たちが、確かに彼を形作っていく。
その在り方を自分で選び取る。
その生き方そのものを、きっと人は大人というんだろう。
みーやの死がさくまに、繋がりを失うことを教えた。
たくさんのネジが、彼に今、ここに繋ぎ止める力を教えた。
つむぐや、たくさんの人が、あの子に人を支えること、支えられることを教えた。
そうして彼は、きっと立派な大人になったんだ。
僕を抱いて、泣きじゃくっていた小さなあの子は、もういない。
過去は別に惜しくない。あれはあれで楽しかったし。何より僕には『今』しかないから。
別に寂しくはないけれど、ちょっと退屈になってしまったのも正直なところだ。
まあ、仕方ないか。
力を抜くと、きりきりとネジのきしむ音がした。
本当は、さくまに言ってちょっと回してもらわないといけないのだけど。
まあ、ちょうどいいか。
ネジの音が、ゆっくりゆっくり消えていく。
からくり細工が止まるみたいに。
遊びの時間がもう終わる。
うさぎの人形は元の夢に還るころだ。
それでも大丈夫、あの子はもう大人なのだから。
だから最後に祈っていよう。
願わくば、どうか君の人生が笑顔で満ち溢れたものでありますように。
願わくば、どうか君の人生が自由なものでありますように。
願わくば、どうか君の人生が孤独なものではありませんように。
願わくば、どうか君の人生が君らしいものでありますように。
願わくば、君が幸せでありますように。
願わくば。
止まった僕を見て、君が少しだけ泣いてくれたら、それでいい。
※
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