第5話 g = 9.8 m/s2 承

  「


 家に帰りついた頃、かみさまは僕にもう一度、そう問いかけた。


 別に嘘なんてついちゃいないさ。


 「真実を意図的に隠すって言うのは、広義的には十分嘘だよ」


 ……。


 「あの子には証明のできない部分ばかり説明してたじゃないか。実証して見せるなら、もっと簡単な方法はあったろ?」


 …………。


 「


 ……そんなことしたら、死んじゃうじゃんか。


 「じゃあ、緩めるだけでいいじゃないか。自転や重力なら、ちょっと緩めたところで酷い目には合わない」


 ……。


 「どうしてやらなかったんだい?」


 ……知られたところで。


 「ん?」


 「知られたところで、どうしようもないじゃんか。怖がられるのが、オチだよ」


 そう。


 抜けば、国を、星を、宇宙ごと、壊してしまうかもしれないネジ。


 理由もなく、それを使えてしまう人。


 普通に考えたら、そんなの、怖いじゃんか。


 怖がられるじゃないか。


 だから。


 そう、だから。


 ネジが見える。人形と話す。頭のおかしいイかれたやつ。


 それくらいのほうが、害がなくて。


 「マシってことかい?」


 ……。


 かみさまは棚の上の定位置で、足を組んで、首を傾げてる。


 僕はカバンを置いて、ベッドに寝っ転がった。


 「今日はいやに突っかかってくるじゃん」


 端目でみたかみさまは、どことなく無機質で感情がないように見えた。もちろん、うさぎの人形に表情なんて元からないんだけどさ。


 「君が、本当に言いたいことを隠してるからだよ、さくま」


 その日の夜は、いつだったかの夢を見た。


 僕がまだ小さくて、うさぎの人形を抱きかかえて眠っていたころのこと。


 一体、何が嫌なのかわからないけど、僕は彼を抱いて思いっきり泣いていた。


 恥ずかしいほどに、みすぼらしいほどに、キリもなく、とめどもなく。


 ただ、泣いていた。


 僕は、そんな僕の後ろに立って、ぼんやりとその光景をただ眺めていた。


 そういえば。


 こんなに思いっきり泣いたのは一体、何時のことだろう。


 僕はいつから思いっきり、泣かなくなったんだろう。


 腕に人形を抱えたまま。


 泣き声だけが、夜空の下で遠く遠くまで響いてた。




 ※



 


 次の日、羽根田さんはさすがに話しかけてこなかった。


 いや、多分、話し掛けたかったのだろうけど、僕がそれとなく距離を置いたから、話しかけてこなかったんだ。


 それでいい、と想った。


 「本当に?」


 ああ、それでいいんだよ。


 「……そうかい」


 朝にそんなやり取りをしてから、お昼休みまで、かみさまは僕に話しかけてこなくなった。


 授業をしている間も、いつもならうるさいくらい話しかけてくるのに、うんともすんとも言いやしない。


 おかげで授業に集中はできたけど、どのみち退屈なことに変わりはなかった。


 もしかしたら、拗ねているのかもしれない。


 僕もあまりに聞き分けがなかったかな、そういえば、かみさまはなんで、あんなに突っかかってきたんだろう。僕が言いたいことを隠してるからなんて、言ってたけど。一体、何が原因なんだろう。


 なんとなく、謝ろうと思った。


 だから昼休みになったら、すぐカバンを持って、いつもの廊下まで歩いて行った。


 辿り着いたら、昼ごはんを開ける前に、声をかけた。


 なあ、かみさま。


 返事はない。


 悪かったよ、謝るって。


 返事はない。


 何にそんなに怒ってるんだよ。


 返事はなかった。


 あまりに返事がないので、仕方なくため息をついてカバンを開けた。昼ごはんのパンを取り出すついでに、かみさまに直接目を向けてみ――――――――。




 「探してるの、これ?」




 カバンの中にかみさまはいなかった。


 そして僕の代わりに、羽根田さんがうさぎの人形を抱えて目の前に立っていた。


 「え?」


 なんで?


 「あ、やっぱり上谷くんのだった。この子ね、私の机に気付いたら入ってたの。それで……上谷くんが入れたわけじゃないんだよね?」


 当たり前だ。そんなこと、する意味がない。


 「てことは、この子が勝手に入ってきたのかな。なんでだろね、私を連れてきたかったのかな?」


 ほんとなんでだよ。


 なんて問いただしたところで、かみさまは返事の一つもしなかった。


 まるで、本当の人形みたいに。


 「ねえ、上谷くん。せっかくだし、この子のこと、聞かせてくれない?」


 どうにもバツが悪くて頭を搔いた。


 一体、何から話せばいいのか、一体、何処まで話せばいいのか。


 ただただ、困って、行き場がないのに。


 「だいじょうぶ! 絶対、引かないし、怖がらないよ! 私は上谷くんの味方だから!!」


 羽根田さんはちっちゃな背をぴんと伸ばして、明るく前を向いていて。


 なんだかなって感じだった。僕が色々と気を遣って、言わないようにしていたことが山ほどあったって言うのにさ。


 




 それから、たくさん話をした。


 どうやって、このうさぎの人形を手に入れたか。どうやって、このうさぎの人形と日々を過ごしてきたか。


 何を喋ったか、何を愚痴ったか、何を願ったか、何を泣いたか。


 いつから、動き出して、何を喋ってきたか。


 それから、ネジのこと。


 「ネジを抜いたら?」


 「そう、ネジを抜いたら。僕達を『ここ』に繋ぎ止めてる力がなくなっちゃうんだ。重力とか、自転とかから抜け出しちゃって……結構、酷い目に合う、場合に寄っちゃ星が滅ぶ……らしい」


 「へ……へー……、え、それわかってるってことは、一回抜いたの?」


 「いいや、抜いたことはないな。大体、かみさまが教えてくれるから。……一回、三枝さんのを緩めたことはあるけど」


 「え、どうなったの、それ?」


 「ゆっくり横に動いただけだよ、バランス崩して、こけちゃったけど」


 「……あ! あの時? 山城くんを下ろそうって署名して、上谷くんと話してた時?」


 「そうそう」


 「へー! そうなんだ、え、ちょっと体験してみたいなあ……」


 「うーん、僕がちょっと怖いなあ……」


 そんなやり取りをしていたら、程なくして予鈴が鳴った。もうすぐ、午後の授業が始まる。


 僕と羽根田さんはそれとなく腰を上げて、教室に戻った。羽根田さんは途中で、小走りになるとひょこって僕を振り返った。


 「色々と話してくれてありがと! 嬉しかったよ! また何かあったら言ってね!」


 そう元気に飛び跳ねて。数瞬して、ああ、僕と一緒に教室に戻ることで誤解を避けたんだなと気が付く。まあ、からかわれるのは気分はいいものじゃないしね。


 そう軽く息を吐いて、僕はあえてゆっくりと教室に向かって歩いて行った。


 「ちょっと距離を取られたみたいで、残念がってるくせに」


 カバンの中で、今更ながら、かみさまが少し楽しそうに声を上げた。




 ※




 「これから、ちょっと時間ある?」


 放課後に羽根田さんにそう声をかけたら、羽根田さんは輝かんばかりに顔を明るくすると、うんうんと頷いた。


 ただ、何かに気付いたように慌てた顔になって、あたふたしだす。


 「ご、ごめん。ちょっと委員会の用事あるんだった。遅くなっちゃう」


 「ああ、いいよ。待ってる」


 僕がそう返すと、羽根田さんはちょっと申し訳なさそうな顔をしたけど、しばらくするとぎゅっと小さな拳を握った。


 「急いで終わらせるから、待ってて!!」


 そう言って、カバンを掴むと廊下をすごい速度で走り去っていった。あの小さな歩幅でどうすればそんな速度が出るのか、ちょっと不思議なくらいの素早さだった。あれかな、小動物だから脈が速い分、瞬発力があるのかな。ネズミとかが素早いのと同じで。


 なんて、思考をしていると、後ろから肩をポンと叩かれた。


 振り返ると、山城君がしみじみとしたような顔で、僕を見ていた。


 「上谷はロリコンだったか……」


 「さすがにそれは羽根田さんに失礼だろ、同級生だぞ」


 僕がそう返しても、山城君はにやにやとした顔で僕を見つめたまんまだ。


 「おう、文句があるのはそっちか。つまり好意の方は否定しないと?」


 随分とまあ、楽しげな笑みだ。僕は苦笑いで息を吐いた。


 「勘弁してくれ」


 「はは、俺は一体何を勘弁したらいいんだ? そこんとこ詳しく教えてくれ」


 にやにやと楽しそうな山城君が部活で席を外すまで、結局僕はいじり倒され続けた。


 そして、40分くらいしたころ。


 さすがに、教室にも人はまばらになって、ちょっと日も陰りだしたころ。


 羽根田さんは凄まじい勢いで走って戻ってきた。


 本当に、どこにそんな速度が眠っていたんだと呆れるほどに。


 「お……ま……た……せ!」


 「羽根田さん、息落ち着けて。焦んなくていいから」


 焦る羽根田さんにしばらく、呼吸を整えてもらって、息が落ち着いた頃に僕達は教室を後にした。


 「それで、えっと、用事って?」


 「帰りにね、寄りたいところがあるんだよ」


 そう言って、僕は普段とは少しずれた帰り道をぼんやりと歩いた。


 ねえ、かみさま。


 「なんだい、さくま」


 今からやろうとしてるこれは、いいことなのかな。


 「さあ、そんなの起こってみないとわかんないだろ?」


 まあ、確かにそうなのかもしれない。


 帰り道を羽根田さんと二人で帰る。歩調を緩めて、羽根田さんを置いていかない様に気を付けながら。


 「ねえ、どこ行くの? 上谷くん」


 「すぐそこだよ」


 秋の夕暮れを歩いて、近場の高台の公園に向かって歩いてく。


 喜色ばんだ彼女の声に、いちいち情緒を揺さぶられながら。


 勘違いしない様に、ため息をついて歩いてく。


 「どんな高潔な愛も、どんな素晴らしい恋も、始まりは勘違いだよ、さくま」


 「かみさまはちょっと黙っててくれ」


 「ねえ、今度は何のお話してるの?」


 僕は誤魔化すように舌を出した。


 羽根田さんは楽しそうに、笑いかけてくる。


 うさぎの人形はカバンから這い出すと、楽しそうに僕の頭の後ろに引っ付いた。

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