第4話 g = 9.8 m/s2 起

 「たまに不安になるんだよ」


 「何にだい?」


 「さあ、わかんない。ただ、独りでぼーっとしてるとさ、時々、周りから僕だけが取り残された気分になるんだ」


 「別に君はどこにも行ってやしないさ」


 「実際、そうなんだけどね。ただ、なんとなくだよ。ただ、なんとなく、周りがすごいスピードで進んでいるのに、僕はそれについていけなくて置いてかれたような気がするんだ」


 「ふうん、例えば?」


 「なんだろ、勉強とか、流行とか、クラスの話題とか……色々かな。目まぐるしくて、疲れちゃってさ。そこまで焦らないといけないのって聞きたい気持ちと、皆に比べて僕は全然、頑張れてないなって気持ちが合わさって、なんかやるせなくなるんだよ」


 「そうかい、ちょっと寂しいのかい」


 「寂しい……うん、そうかも。寂しいのかもしれない」


 「そっか、それはちょっと辛いね」


 「うん、辛いかもね」


 「本当に辛くなったら、言っておくれよ。君のネジを引っこ抜いて、文字通り、華々しく散らせてあげよう。ガンマ線と可視光と熱線に変えてあげるよ」


 「勘弁してくれ」


 「取り残されてるって感覚が問題なら、ネジをちょっと緩めてあげようか? 常に太母の如く君を抱きしめる重力と慣性のありがたみを分からせてあげるよ?」


 「だから、勘弁してくれって」


 「そうだ。もし本当にうんざりしたんなら、実はネジの中には、一時間くらい見てたら出てくる『1~8次元までの重力振』っていうものもあるから、それ抜いてあげよっか? 宇宙どころか、この3次元空間ごと消失できるよ?」


 「お前、ほんと人の話、聞かないよな。かみさまって、それでいいの?」


 「何を言うんだ、古今東西、かみさまは人の話を聞かないものだろう?」


 「……そうかもしんないけどさ」


 そんな風に、かみさまと人気のない学校の廊下でぼやいていた、なんてことはない秋の昼休み。あまりに気を抜いていたから、声に出してやり取りを繰り返していた、そんな昼下がり。


 そのやり取りが、誰かに見られているなんて、その時の僕は想いもしなかった。



 ※



 羽根田はねだ つむぐは心優しいクラスメイトだ。


 温和で他人の仲を取り持つことが多く、いつもニコニコと笑っている。辛いが人がいればその傍に寄り添い、話をしっかりと聞く。


 背が極端に低いことがコンプレックスだけど、周囲から見れば可愛さの底増しでしかなく。立派になりたいという、本人の思惑とは裏腹に、皆からは可愛らしいマスコット扱いを受けている、そんな人だ。


 そして、その優しさが今、僕を絶賛、苦しめていた。


 「だから、えとね、上谷君、悩んでることがあるなら、相談してほしいの」


 「……はあ」


 「もちろん、私なんかじゃあ力になれないかもしれないけど、話すことで楽になれるかもしれないし。それに、誰かに話すことでね、整理できて、自然と答えがでることもあったりするの。だからね、話してくれると、私、嬉しいな?」


 「……うん」


 どうして、こんなことになったのか。


 「君のが聞かれてたからだろ」


 まあ、確かに。


 どことなく、無機質なかみさまの声に僕はただ頷くことしかできなかった。




 時はその日の朝まで遡る。


 いつも通り、適当にすれ違うクラスメイトと挨拶して、自分の席に辿り着いた僕は、一息ついた頃にふと声をかけられた。


 横を振り向くと目に映ったのは、羽根田さんの朗らかな笑み、立って僕に喋りかけているのに、座っている僕とあまり視線の高さが変わらない。


 「ねえ、上谷くん。今日の宿題、自信ないから答え合わせさせてもらっていい? 数学の先生、毎回当ててくるでしょ?」


 彼女はそう言って、僕に向かって、その明るい笑顔を向けてきたのだった。


 ハッキリ言って、違和感で首が曲がりそうになった。


 ここで、彼女と僕の接点を振り返ってみようと思う。


 一学期、同じ図書委員だった。業務用の会話を適度に繰り返す程度の仲だ。


 二学期、僕は理科委員となり、彼女が何委員となったかは知らない。


 以上。あたりまえだけど、ここに宿題を見せ合うなんて交流は、全く含まれてない。


 同じ空間を共有しているというクラスメイトに、毛が生えただけの交友関係しかないはずである。


 ……なのに、どうして?


 首を傾げたまま、僕はとりあえず、ノートを引っ張り出してみた。


 訳は分からないけど、断る理由にもならない。


 それに僕だって、これでもうら若き高校生男子だ。女子に好かれて悪い気はしないし、女の子なんて興味ないやいという、反抗期は中学生で満を持して終了した。うん、大丈夫、大丈夫。


 「宿題を見せ合うだけで、好かれてるなんて思う事態がやばくない?」


 かみさま、ごめんだけど、今は、本当に黙ってて欲しい。


 自分の早とちりに若干の嫌気がさしながら、僕は羽根田さんにノートを差し出した。


 「えと、はい」


 「うん、ありがと。あ、問1からちがーう……どこが違うのかな……?」


 「んん……なんか、間違えたかな」


 「ここのx、二乗じゃなくて三乗じゃない? 書き間違えかな」


 「あ、確かに」


 見せてと言われて、見せたはいいが僕の方が間違えとるやんけ。


 「問2……3……4……はオッケー。5が違うね」


 「んー……あ、それはそこ当てはめる公式違うかも」


 「あ、本当だ。これじゃあ、ダメだったのかな……」


 「ゴリ押しだけど解の公式で出しちゃった方がいいんじゃないかな、計算ミスさえなければ……」


 「あはは、上谷くん、計算ミス多そうだもんね。でも、今回、ミスってたのは私か」


 「まあ……それはそうかも」


 字がきたねえから、よくミスってしまうのだ。小学生の頃から、直せと言われて未だ治らない悪癖だけど。


 とまあ、そんなやり取りののち、朗らかに別れたのが今日の朝のこと。


 機嫌がよさそうだったから、なんか、いいことでもあったのかなと、適当に考えていたわけだ。




 そして、今日の午後、僕は人気の少ない廊下で彼女に捕まって、強制お悩み相談へと入った次第である。


 「最近、昼休みにすぐクラスから出てっちゃうでしょ? それでずっと独りでいるし、心配になってさ、この前見かけたらずっと、独り言、言ってるみたいだし、そういうのちょっとしんどい兆候だよ? 本当に大丈夫?」


 とても、非常に、この上なく、優しいクラスメイトだ。


 事情が事情でなければ、僕も喜んで悩みを打ち明けたに違いなかった。……いや、それでも言い渋ってた気がするな。


 「え……と……ね」


 「うん! 何でも聞くよ?!」


 眩しい、とても眩しい笑みだった。でも、その言い方、捉え方によっては―――――。


 「ん? 今なんでもするって?」


 「やめろ」


 思考をすっとばして、わきに抱えていたカバンに拳を入れる。ふぎょっと、カバンの中でかみさまが呻く音がしたが気にしない。……気にしない……で、いてくれると助かるんだけど。


 「……」


 いや、どう考えても、やらかしたな、これ。


 僕が咄嗟にやった、その行動に、羽根田さんは一瞬、目を見開いていたけれど、じっと僕を見直すと随分と真剣な表情になった。


 「やっぱり、なにか隠してるよね!?」


 「…………」


 食い入ように僕を見る少女。女子が「何でも」と言っただけで沸き起こる邪な想像。現行犯での奇行。逃走できない状況。


 これは、八方塞がりもいいところだな……逃げ場がねえ。


 ねえ、かみさまなんか、言い逃れの方法を教えてくれない?


 「さあ? 頭のネジでも、抜いてあげようか?」


 いや、ほんとに勘弁してくれ。


 救いの手を差し伸べないかみさまにため息をついて、僕は仕方なく話し始めた。




 話したのは、ネジのこと。あと、かみさまのこと。


 唐突に喋り出したうさぎの人形、そして視界に現れた無数のネジ。


 そんな、控え目に行って、荒唐無稽な話を羽根田さんは熱心にふんふんと聞いていた。……いや、やっぱ変な子だよなあこの子。普通、こんな話聞いたら、引きそうなものだけど。


 「え……と、その『かみさま』って見せてもらってもいい?」


 「……うん」


 言われるまま、脇に抱えていたカバンからそっとかみさまを取り出してみる。かみさまは特に暴れたり、なにをするわけでもなく、そのまま羽根田さんに抱えられる。


 「かわいいね……、これ昔から持ってたの? ……でも、普通の人形———」


 羽根田さんがそう言いながら、人形をまじまじと見ていた。ただ一瞬で、かみさまはぴょんと勢いよく跳ねると、僕の頭にポスンと乗った。


 おい、と思わず冷や汗が流れるけど、柔らかい手にぽんぽんと頭を叩かれて、ちょっと我に返る。


 どうせ話すことは話したのだから、分かってもらうにはこっちのほうがいいのかもしれない。


 羽根田さんは、しばらく自分の空になった手を見つめて、それから僕の頭にしがみついている人形に眼をやった。


 表情は案の定というか、信じられないものを見たような、理解できない何を見てしまったような、そんな顔をしていた。


 「え……私、今、持ってたよね? いつの間に?」


 ちょっと、不可解な反応に、ついでに僕も首を傾げる。


 どう見ても、今、目の前で動いたよね?


 「動いている最中の姿は見えないんだよ、だから動いたっていう結果だけが見えちゃって、混乱してる」


 ああ……なるほど。瞬間移動したように見えるわけか、あくまで動いている姿そのものは見えないと。


 ふうん、と僕が関心を漏らす片割れで、羽根田さんは自分の手と僕の頭にある人形を交互に眺めていた。


 困惑が多くて、随分と余裕がなさそうだ。目の前の現実を受け容れるのに必死で、それ以外のことまで頭が回っていない。


 んー、これはあれだな。


 多分、バックレるには、ちょうどいいな。


 そう判断した僕は、そそくさと頭にしがみつくかみさまをカバンにしまうと、軽く手を上げて走り出した。


 「じゃ、そういうことだから、秘密にしといてくれると助かるよ」


 「え……? あ……? 上谷くん……?」


 呆けた彼女をそっとその場に残したまま、僕は軽く息を吐きながら、小走りでその場を後にした。


 なんてことはなく、駆けだすように、どことはなく、逃げ出すように。



 「



 そんなかみさまの言葉は、そっと聞かないふりをしながら。

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