第3話 西に向かって時速1700キロから1400キロ 後編

 「おっけー、わかった。僕の言ったとおりにしてくれ、彼女の右手の指に、ネジがあるだろ、目を凝らすんだ」


 かみさまの言葉を聞いて、僕はじっと三枝さんの指を見た。


 右腕の人差し指。その付け根。


 言われるまま、目を凝らす。


 じっと見ると、そこに確かに刺さったネジがある。誰にも見えない。僕とかみさまにしか、見えてない。


 「そこを回すんだ、一回りもさせちゃだめだよ、ほんのちょっと」


 僕は署名をするふりをして、手を伸ばした。それから、彼女の手にあるネジをそっと回した。


 くいッと。


 一回転もしないくらい、ゆるめると言えるかどうかすら、怪しいくらい。


 重さもなく、冷たくもなく、暑くもなく、固くもない。


 不思議な感触のそれを、そっと回した。


 音もなく、それは回って。




 「え?」




 三枝さんが



 ちょっとバランスでも崩したのかなって、そんな程度。


 隣にいた取り巻きの女子が、おっと、って彼女の肩を支えてあげる。


 普通はそれで、止まるだろ。


 でも、それでも。



 



 横に。


    横に。


        横に。


          ただ、横に。



 最後は支えた女子と一緒にごてんと転んで壁にもたれた。


 「え? あれ? なに?」


 三枝さんは壁に張り付いたまま、訳が分からないと言った感じで壁に背をくっつけている。


 いや、どうなってんのあれ。


 「『自転の慣性』がちょっと緩んでるんだ。そろそろ、締め直してあげてもいいんじゃない? 力は弱いけど、ずっと押しつぶされ続けてるから、意外としんどいよ?」


 かみさまにそう言われた後も僕は少し呆けていたけど、三枝さんの様子はさっきとまったく変わる様子がなくて。


 確かに、ずっと壁に押し付けられてるみたいだから、ちょっとしんどそうだった。


 周りがざわついている中、僕はちょっと慌てて、立ち上がると、彼女の右手を取るふりをして、ネジをそっと巻き直した。


 不自然に張り付いていた彼女の肩が、すっと元通りになる。


 「大丈夫?」


 「え? あ、ありが……と?」


 僕が手を引っ張って、引き上げると三枝さんはさっきまでのことなんて嘘みたいに立ち上がった。


 周りから、ちょっと囃し立てる声がする。どったの? おばあちゃんー。うるさーい。なんて。


 端から見れば、ちょっと大げさに転んでしまった、そんな程度。


 違和感があるのは多分、三枝さんと受け止めた子だけだろう。


 ただ、ちょっとした困惑が周囲の空気を満たしていたから。


 それでちょうど熱を帯びたような勢いが消えていた。


 まあ、そう言う意味では悪くなかったのかな。


 「僕は、二人はもうちょっと、ちゃんと話し合った方がいいと思うよ」


 だから、僕はそう告げた。


 僕の言葉は、今度はみんなの言葉に飲み込まれずにすんでいた。


 思わず、ふうと軽く息を吐く。


 三枝さんも、ああ、うん。とちょっと上の空になりながら、そう返してくれていた。


 その場に居残り続けて、なんでだよって追求されるのも嫌だから、僕はそのままそっと席から離れた。


 かばんを持っていったのは。なんとなくその方がかみさまの声が聞きやすい気がしたからだ。





 学園祭も近い頃、残暑も厳しい昼休み。


 やることもないから、そのまま廊下で窓の外でも眺めてぼーっとする。


 ただ、頭の中はさっきの光景でいっぱいだった。ネジ、緩める、不自然な動き。


 で、あれ何だったの。


 「『自転の慣性』が緩んだんだ。彼女をあそこにつなぎとめているネジの一つだよ」


 自転の慣性、ね……なんのこっちゃ。


 自転も、慣性もわかるけれど、合わせて言われるとどういうことかはさっぱりだ。


 「今、この瞬間も、君たちをここに引き留めているものさ」


 ……はあ。わかるような、わからないような。


 「じゃあ聞くけど、ネジって言うのはいったい何のためにあるんだい?」


 それは……何かを留めとくためじゃないの。


 「そう、で、君は知らないだろうけど。君がここにあるということには、凄い沢山の引き留める力が働いているんだ、それがあのネジなんだよ」


 相変わらず、何言ってるかちょっとよくわかんないよ。


 「そうだなあ……じゃあ。例えば地球は自転してるだろ、あれ時速何キロで回ってるか知ってるかい?」


 急に問われた問題にちょっと答えは出てこない。学校で習ったこともないし。


 気づかないくらい、遅いんじゃないの。5キロくらいとか。


 「残念、外れ。正解は時速1700キロから1400キロくらいだ」


 ……はあ?


 ちょっと桁おかしくない。


 「本当だよ、地球が直径40000キロでそれを24時間で割るだけさ。君と周りにあるものすべてが同じ速度で動いてるから気づかないだけでね。そんな『自転の慣性』にみんなが縫い留められているから、君らは当たり前にここにいることができるんだよ」


 じゃあ、さっきのは。


 横に緩く動かされていく、三枝さんを思い浮かべる。急に動き出した電車の中にいたみたいな反応を。


 「そう、彼女の『自転の慣性』が緩んだんだ。1000分の1だから……大体時速1キロちょっとってとこかな」


 ……。


 「彼女が立っているだけで、西に向かってその力は働き続ける。正確に言うと、彼女が慣性についていけずに取り残されていたんだ」


 ねえ、つまりそれって、もし、あのネジ抜いてたら……。


 「うん、彼女は時速1400キロで西の彼方までひとっとびだ、地球の自転が止まるまで、どこにもとどまることはできやしない」


 ……なんて恐ろしいもん触らせてやがるんだ、このかみさま。


 「あ、ちなみに自転と一緒に回るから、永遠に昼を体感できるよ? 白夜も真っ青の経験だ」


 そんなことを認識する前に、肉片になり果てているんじゃないのかな……。


 「確かに、一理ある」


 一理ある、じゃないが。


 そんな話をして、ふと思う。右手のネジが自転のネジ。であるなら、他のネジは? 少なくとも頭のネジはろくでもないことが確定してるけど。


 ちなみに、なんだけどさ。


 「うん」


 他のネジ抜いたらどうなるの。


 聞きはしたけど、正直、ロクな予感はしなかった。


 「そうだね……例えば左手の付け根に一つネジがあるだろ?」


 うん。


 言われるまま、左手に目を向ける。


 「それは『地球の公転』と君を繋ぎ止めるネジだ、抜くと時速110000キロであらぬ方向に吹っ飛んでいく、というか地球の公転から取り残される」


 ……。


 「左足の膝にあるのが『太陽運動』のネジだ、時速72000キロ、さっきよりちょっとはマシかな?」


 いや、マシってなんだ。


 「ちなみにこれを緩めると、大体1000分の1だから……時速70キロか100キロくらいで吹っ飛んでいく。あと、あらぬ方向だからね、地面に飛んでくかもしれないし、空かもしれない」


 つまり緩めるところを間違えていたら、そのまま三枝さんは死んでいたと、おい。


 「右足のかかとにあるのが『銀河の運動』で、背中の奥にあるの『宇宙の膨張』だよ。速度はさっきよりやばい。で、鼻の下にあるのが『第1宇宙から第3宇宙の公転』で……こいつらはちょっと動きが三次元で説明できないから速度の計算が面倒なんだ。とりあえず、誰かの奴を引っこ抜いたら余波でここら一帯は消えてなくなるんじゃないかな、光速に近いから、もしかしたらこの星ごと消し飛ぶかも」


 とりあえず、ろくでもないということだけはよくわかったよ。


 今日、ため息は何度目だろう。僕は今後、ネジを見ても可能な限り触らないことを決意して、そっと手に見止めたネジは見ないふりをした。


 「まあ、そう言わないでよ、いいの教えるからさ、おへそにあるネジをちょっと緩めてみなよ」


 いいのってなんだよ、さっきまでのどれもいいのなんてなかったけど。


 というか、気楽に国や星が滅びかけるスイッチを触らせないでほしい。


 ただ、無視しても話が進まなさそうだから、自分のおなかに目を向ける。なんかお腹が痛い人みたいだな、これ。


 そこには確かにネジがある。別に他のと特に変わりはないように見えるけど。




 「それはね『重力』のネジだよ」




 うさぎの人形は、かみさまは、なんてことはない風にそういった。


 重力、……重力ねえ。


 ん? ……それってつまりさ。


 「そう、それは1000分の1だとわかりにくいからもっと回してもいいよ、ただしゆっくりね。降りる時、しんどいから」


 言われるまま、そっとおなかにあるネジを回してみた。


 少し捻る。わからない。


 もう少し捻る、わからない。


 ちょっと怖くなる。


 さっき、あらぬ方向に飛んでいくなんて言われたからかな。だいぶびびりながら、回していく。


 もし、宇宙に放り出されなんかしたら。なんて思うと、全身がびりびりするくらい震えてくる。


 「もう一回転くらい大丈夫さ、回してみな」


 本当かよ、と想ったけど、どうしようもないので、いわれるまま、そっとネジを優しく回した。


 重くもなく、固くもなく、冷たくもない そのネジを。


 回すと。


 身体。


 ふと。


 軽く、なった。


 これは。



 「ちょっとだけ、跳ねてみなよ、他人にバレないように。浮きすぎちゃ、ダメだよ」



 怖いのは確かだった。


 不安なのも確かだった。


 でも好奇心に押されて、僕はそっと少しだけ足に力を込めた。


 数センチ、ほんの数センチ身体が床から浮き上がる。


 いつもならそこから、一秒と経たず地に落ちる。


 なのに。


 なのに。


 落ちない。


 墜ちない。


 宙に留まり続けている。


 いや、厳密には落ちている感覚がちょっとだけある。


 でも、あまりにも遅くて、ちょっとずつだから、ほとんど浮いているのと変わらない。



 飛んでる。



 息が震える。


 心臓が震える。


 何だ。


 何だ。


 これは、何なんだ。


 というか、君は。


 何なんだ。



 「だから言ったろ? 『かみさま』だって」


 

 なんだよ、それ。



 「ところでそろそろ、降りた方がいいよ。人が来る」



 言われるまま、慌てて僕はねじを締め直した。


 急に身体が重くなって、そのまま着地する衝撃でバランスを崩した。


 端から見たら、寝ぼけて体勢を崩したみたいになってるだろうか。


 ちょっと、慌てながら体勢を戻して、息を吐く。


 ふとそのまま振り返ると、遠くの方から人が確かにこっちに向かってきていた。


 ……あれは、山城くんだ。


 「よう、カバン持ってどうした、サボるのか?」


 「いや、なんか帰るときの癖で持ってきちゃっただけだよ」


 なんてことはないフリをして会話する。ちょっと息は荒れてるけど。


 「そっか。あ、そういや、今週のジャンプ見たか? 打ち切りになっちまったよ、前話してたやつ」


 「だね、面白かったのに、絵も綺麗だったし」


 「だよな、本屋でもコーナー出来てたし、絶対続くと思ってたんだけどな」


 「まあ、なんだろ、ちょっと王道過ぎたね。先が見えちゃったとこがあったかな。セリフもちょっとくさかったし」


 「俺はあの裏のないザ・王道が好きだったよ」


 「山城くんは確かに好きそうだね。僕はもうちょっと捻ってる方が好きだよ。王道も嫌いじゃないけど」


 他愛のない会話をする。


 かみさまは静かなものだった。


 「つーか、ありがとな」


 そうやって、適当に口を動かしていると、ふと、山城くんは僕に向かって、そう言った。


 僕はちらっと彼を見る、その顔には確かに喜色めいたものがあった。人懐っこい笑みだ。


 「なんかしたっけ、僕」


 「三枝の署名、断ってくれたじゃん」


 まあ、見てたもんね。凄い、嫌そうな顔で。


 「別に、ただあの流れで署名するのは違うなって想っただけだよ」


 「でもありがたかったよ。あのままだったら、票取りゲームになって、俺は委員下ろされてた」


 ……うーん、そんなに単純な話だろうか。彼が委員としてやっていたことは、そう簡単に手放せることだったろうか。


 実際に回り始めた委員会と文化祭の準備を十数人の署名で、ひっくり返せるものなのだろうか。


 仮にひっくりかえせたとして、その後、困るのは間違いなく引きずりおろした三枝さんだ。


 まあ、どんな結果にせよ、山城くんの立場が悪くなっていたのは確か、なのかな。


 まあ、もしもの話はわかんないけどさ。


 「でも、僕、山城くんの味方でもないよ」


 「ありゃ、そうだったか?」


 「前から言ってるけど、君、女子に対して口悪すぎるから。あれは怒るよ、仕方ない」


 「まーじかよ、気いつけるわ。上谷に言われたんなら……そうかもなあ。いや、でもあいつらも大概じゃね? 普通、あんな署名するか?」


 「うん大概だよ。どっちも、どっち。だから……ちゃんと、話し合えたらいいね」


 結局、それしか道はないのだし。


 「……だなあ。しかし、あの三枝が落ち着いて話せるかねえ」


 「とりあえず、君が落ち着いてないと話になんないよ。素直に謝ったもん勝ちだと思うけど」


 「はー……ま、そうだな。意地張っても、しかたねえか」


 ため息をつく彼に、僕はそっと舌を出した。


 「がーんばれ」


 「無責任に言ってくれるぜー、今更あの三枝に頭下げれるかー?」


 「ごめんな、言うて僕、傍観者だから」


 「はあ……ま、頑張るわ」


 「うん」


 横目に見た、山城くんの顔はちょっと疲れたようだけど、どこかすっきりしていた感じだった。


 そこで、他人の話をちゃんと聞いて、前を向けるから、きっと彼は人から好かれているのだろう。


 僕はそんな彼の身体のネジをぼんやりと眺めていた。僕のより、1・2本多いんじゃないかなとか想ったけど、別にそんなことはなかったみたいだ。


 



 その日の夜は、スマホの通知は何度かなったけど、しばらくしたら静かになった。


 三枝さんと、山城くんが謝りあった。


 起こったことはただ、それだけ。


 その後、クラス一丸になってがんばろうってなった。


 クラスの中心の二人が仲直りしたから、もう誰かを排除しようなんて感じにはなってない。


 まあ、言ってしまえば。ただ、それだけ。


 そこそこ、いいまとまりを見せてくれた。


 みんなが、想い想いにがんばろうって送っていたから、僕も拳を高く上げたうさぎのスタンプを送っておいた。


 集団の力はすごいもので、乗っていれば安心感がある。大きな船みたいなもので、ちゃんとここに繋ぎ止められているっていう感覚を確かに僕にくれている。


 僕をここに縫い留める、ネジみたいに。ちゃんと、ここに繋がれてる。


 でも、同時に、大きな船に乗っていれば、船底に何がぶつかったかなんて、わからない。


 いい、悪いじゃなくて、そういうものだ。


 だから、僕はそっと耳を澄まして、船が何かを引きつぶしてないか、そっと黙って聴いていた。


 理不尽な誰かの悲鳴が聞こえたら、ちょっと棒でも引っかけて、そっとそこから退かせるように。


 そんなことを想っていると、音もなく僕の頭にぽふっと何かがのっかった。


 目を開けると、かみさまが僕の頭に乗っていた。


 「よかったね、今日は静かな夜だ」


 「そーだね」


 「君のお陰で、万々歳だ」


 「別に僕がいなくても……まあ、こじれただろうけど。なんとかなってたよ、最後に謝るって勇気を出したのは、紛れもなくあの二人なのだし」


 「それでもね、ちゃんと自分がやったことは褒めておくものだよ。誰よりも、自分のためにさ」


 かみさまはそう言って、僕の左手とそこにあるネジをそっと、ぽふぽふ叩いてた。


 「それ、回したら、僕があらぬ方向にすっ飛んでいくネジじゃなかったっけ?」


 「お、よく覚えてたね、えらいぞ」


 僕ははあと息を吐いた。本当に、このかみさま、一体、なんなんだろう。


 そんな疑問をそっと抱いて、僕は軽く目を閉じた。


 そういえば、一つ言ってなかったことがあったっけ。


 「ありがとう」


 「ん?」


 「いや、今日の昼はネジのこと教えてくれて、助かったよ」


 かみさまはこてんと、寝転がる僕の上に、さらに寝っ転がった。


 「どーいたしまして」


 目を閉じると、音がする。風の音、人の音、電気の音、水の音。


 何かの、音。


 音は何かが動く証。絶えず何かが動いてる。


 でも、それでも僕は確かにここにいる。


 繋ぎ止められた、たくさんのネジで。


 僕は今、ここにいた。

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