第2話 西に向かって時速1700キロから1400キロ 前編

 「大丈夫、君のネジはちゃんとここに刺さってる」



 世界が停止した。




 僕とみーやはぴったりと時を止めて、うさぎの人形をぱちくりと見た。


 うさぎの人形が喋ってる。


 そして、僕の頭に『ネジ』が刺さってる。


 待てよ。


 そんなわけあるか。


 そっと自分の頭に手を伸ばす。ついでに、みーやが僕の手からぽとんと零れ落ちた。


 訳が分からない。


 そんなこと、あるわけない。


 なのに。


 だというのに。


 ある。『ネジ』が。


 不思議と重くも固くもない。


 でも、ネジだということだけが分かる何かが。


 僕の手に、確かに、触れていた。


 「抜かないほうがいいよ」


 軽くネジに触りかけたところで、うさぎの人形が言った。


 そう、うさぎの人形が言っている。


 喋ってる。


 みーやは慌てて逃げる様にドアの隙間から走り抜けていった。


 僕は呆けて、その人形を見つめたまんま。


 「それ引っこ抜くと、君はこの国を五・六回滅ぼした後、跡形もなく消えてなくなるから」


 …………。


 何を言っているんだこいつは。


 起こっていること、喋っていること、認識していることの整合性がとれなさ過ぎて訳が分からない。


 「ガンマ線の影響も考えると、もうちょっと被害は大きくなるかな? まあ、世界を巻き込んで恨みを言いながら死にたいって言うなら、これ以上はない方法だろうけど」


 本当に、何を言っているんだこいつは。


 「ああ、僕? 僕はね、『かみさま』だよ」


 そう言って、うさぎの人形は胸を張った、ような気がした。


 ……。


 とりあえず、結論は出た。


 多分、疲れてるんだろう。


 僕はそっと踵を返すと、電気を消した。


 人形は不思議と何も言ってはこなかった。いや、言ってくる方が不思議なわけだけど。


 そんなわけで、その日は床に就いたのだった。


 悲しいことに、喋るうさぎの人形も頭のネジも、消えてなくなったりはしなかったのだけど。




 ※



 うさぎの人形は『かみさま』だった。


 一体、何を言っているのかわからないと思う。僕だって、分かりたくない。


 「だからさ、僕はずっと君のことを見てきたんだよ、さくま」


 『かみさま』の声は僕以外には届かない。ついでに言うと、僕以外には動いている様にすら見えないらしい。


 「最近、どうにか動けるようになってさ。それでこれなら君についていけるって想ったわけだ」


 だからってカバンの中に入ってくるのはどうかと思う。しかも僕の知らない間に。


 「そうは言っても、君、ちゃんと言ったら僕のことなんて連れてこないだろう?」


 そりゃそうだよ。というか、僕の声は想うだけでこの『かみさま』に聞こえてしまうらしい。不便なことこの上ない。


 「心配しなくても、君が伝えてこようと思わない限り、伝わらないよ」


 ……そうでございますか。


 授業を受けながら、そんな会話を脳内で延々と繰り広げる。今の僕は控えめに言ってやばいやつだ。


 そんな自己評価に辟易して、僕は教室の中で軽く嘆息をついて、そっとカバンの奥に『かみさま』を封印した。


 教科書を何冊も被せられてうさぎの人形は、随分、不服そうだったが、勝手に入ってきたのは自分なのだ。まあ勘弁してもらおう。


 授業中だと言うのに、さすがにいつまでも構っていられないし。いい加減、集中しようと、ペンを回しかけてふと思う。


 もしかしたら、僕は結構重篤な病気で幻聴が聞こえ始めたイタイ奴なのかもしれない。


 幻聴。幻視。自分で持ってきたうさぎの人形が勝手に入っていたと言い張る。頭にネジの感覚がある。


 軽く指が震えて、冷や汗が流れた。最近、そんなに疲れていたりしただろうか。


 回したペンが上手く手に収まりきらずに、コロンと机から滑り落ちた。


 「頭がやばい可能性はちょっと、否定できないかなあ」


 そこは否定してくれよ。


 「だって、下手に否定した方が、どぎつい思い込みって感じがして、嫌じゃない?」


 まあ、……それは確かにそうかもしれない。


 なんか自分のことを狂人と理解している方がまだ、理性が残っている気分になれる。


 本当にやばいのは自身が狂人だと理解していない狂人なのだから。人狼ゲームでたまに見かける、リアル狂人に近いものがある。


 というわけで、僕はとりあえず、自分のことはイタイ奴|(仮)として見ていくことにした。


 受け入れるのは非常に許しがたいけど、目を逸らすよりはいい気がしたんだ。


 「もっと自分に優しくしてやりなよ」


 確かに、そうかもしれない。


 ただ、それを元凶に言われるのだけは納得がいかないわけだけど。





 昼休みに食事をしながら、思考の整理をする。


 まず、僕は頭がおかしくなったのかもしれない。理由は二つ。


 第一、うさぎの人形が『かみさま』として喋り始めた。


 第二に、ネジが見え始めた。


 ネジ、そうあのネジだ。それも頭に刺さってる。頭のネジが足りてないなんて言葉があるけど、かといって実際に刺されていたらたまったもんじゃない。


 「当たり前だけど、君のを抜かないほうがいいのと同じように、他人のネジも抜かないほうがいいよ。特に前の席の川田君は止めといたほうがいい。質量が大きいから、エネルギーの量も一級品だ。近隣の国まで影響を及ぼすだけのパワーがある」


 かみさまはカバンの中から当然のように、僕の思考に割り込んできた。伝えようとしなければ、伝わらないというのは一体、何だったんだろう。


 というか、何の話だ。


 「どうしても一人、抜いてみないと気が済まないって言うなら、羽根田さんにしときなよ。比較的質量が少ないからね、まあそれでも、日本列島の半分くらいは消し飛ぶと思うけれど」


 ……よくわからない。


 よくわからないが、とりあえず、頭のネジは抜くとやばいことになるらしい。それだけはわかった。


 まあ、とはいっても僕にネジを抜くような気は最初からなかった。


 だって、仮に日本列島が吹き飛ばないにしても、そこから血なんか吹き出したらたまったものじゃない。


 それに、その行動が原因で文字通り、頭のネジが足りなくなっても保証のしようもないのである。どう考えても、気安く触っていいもんじゃない。


 ただ、ちょっとだけ気になることがあったから、それはかみさまに聞いてみた。


 じゃあ、頭以外のネジは抜いてもいいのかな?


 「うーん、まあ緩めるくらいなら問題はないかな、種類にもよるけれど」


 ふうん、そういうのもあるのか、種類が違う、と。


 そんなやり取りを繰り返して、ネジについて分かったことが一つある。


 まず、ぼーっと見ていても見えたりはしないこと、触れることもできやしないのだ。


 ネジをみようみようと思って、じーっと観て、初めてそれは見えてくる。


 後、大体刺さっているのが一本だけじゃない、ってこと。


 わりと、四本も五本も刺さっているし、さらにじっと見ているとなんだか増えてくる。ついでに言うと、生き物以外にも生えている。消しゴムをじーっと見てたら、小さなネジが山ほど見えてきた。


 そして、そのどれかは別に緩めても大丈夫らしい。


 痛いと言うかもはや、妄想としてはわけがわからない類ものだった。


 よくある中二病なら、自分を強くしたいとかの欲望の具現化なのだろうけれど。これはいったい、どんな願望の具現化なんだ。


 うさぎの人形と、ネジ、思い当るものはさっぱりなかった。あってたまるか。


 そんなことを一人で延々と考えていると、僕の前にすっと人影が差した。


 ぼーっとして、誰かが近づいてくるのに気が付かなかった。


 影に誘われて視線を上げると、そこにいたのは、凛々しい顔の女子、三枝さんだった。……昨日クラスのグループラインを騒がせていた片割れでもある。


 三枝さんは、僕に向かって、ちょっと怒ったような、でも形式上は丁寧に話しかけてきた。ふと気づくと、何人かの女子がその周りをそっと、守るみたいに取り囲んでいる。


 「上谷くん、昨日のライン見た? 山城のやつ酷いでしょ、あんなのが文化祭の実行委員なんて信じられない。ちょっと署名集めてさ、実行委員変えてもらおうよ」


 三枝さんには見えない様に、頬をひきつらせた。


 ……これは、また面倒くさい、やり取りが始まったな。


 心の中で思わず、うげえと苦虫をかみつぶす。表情に出てないといいけど。


 目の前に出されたのはワープロか何かで作った署名の紙。既に10人くらいの名前がそこに記載されていて、三枝さんの周りには他の女の子が群がってやいのやいのと言っている。


 それをずいずいと、沢山の女子が嬉々として、でもどことなく剣呑な雰囲気で、僕にその紙を押し付けてくる。


 ……控えめにいって、ちょっと怖い。


 「うーん……」 


 「上谷くんもそう思うよね!? ね、署名してよ、お願い!」


 適当に打った相槌に、我が意を得たとばかりに女子集団がきゃいきゃいと騒ぎ出す。僕は耳が弱いので、それだけで顔をしかめたくなる。


 ふと気になって、ちらっと横目で周囲を見ると、山城君が遠くの方で忌々しげにこっちを見てきていた。


 溜息がますます深くなる。


 山城くんと三枝さんは、なんていうか反りが合わない。


 どっちも人の中心で話を回せる存在で、それは確かにすごい才能だと思う。加えて、どちらとも悪い人ではないけれど、なんというか、この二人はあまりにも相性が悪かった。


 山城くんは姦しい女子たちのノリが嫌いた。クラスの出し物を決めるときに、無駄話したり、意見を聞かない集団にイライラを募らせて、よく怒鳴っている。


 三枝さんは無神経な男子のノリが嫌いなのだ。山城くんの、論破口調に近い言い方や、人の気持ちを考えない対応に、我慢が効かず、あの手この手でやり返す。


 この場合の、男子のノリ、女子のノリっていうのはあくまで性格的な問題で。実際は割と、山城くん側の女子もいるし、逆もまたしかりだ。


 どっちが悪いって言えば、多分、どっちもどっち。言い方を変えると、どっちの言い分もまあ、真っ当だ。


 そして、このやり取りはクラスの男女の垣根を越えて、ちょくちょくやり玉に挙げられる。今回の件も、ラインでの山城くんの口が悪かったとか、そういうことが原因。っていうふうになってるけど、本当の所はただいつも通りのお互いの意地がぶつかりあっているにすぎないんじゃないかと、僕は思う。


 僕としては若干、心情としては山城くんよりだ。ただ、山城くんとは話す機会があるという、それだけの理由だけど。ただまあ、あの言い方はないと思う。


 あと、山城くんが文化祭の実行委員として色々と頑張ってるところもあるから、そう簡単に人を下ろしたりしないほうがいいとも想う。


 というわけで、二人はもうちょっとちゃんと話し合った方がいい、と、そう思うわけだけど。


 「僕はもうちょっと、はな―――――――」「え? なんて?」


 僕が発した声は見事に、取り囲まれた女子に呑み込まれて届かなかった。思わずため息をつく。


 ほっといたら、三枝さん派の男子や、数人の女子まで追加で集まってきて、全員が僕の周りで山城くんのあそこが悪いだのなんだのと、喋り出してきた。ああ、なんか手が付けられないな、これは。


 当然、何か言っても、僕の声はなおのこと届かない。というか、うるささで耳が痛くて敵わないから、さっさとどっかに行って欲しい。


 「ね? 書いてよ? あ、それとも山城の味方?」


 ちょっと周りの空気が剣呑になる。


 「やめとけって、上谷」「山城についてもいいことないよ?」「絶対、三枝に任せた方がいいって」


 そんなやり取りが、僕の頭上で繰り返される。


 ああ、もう、鬱陶しい。


 こっちじゃなければ、あっちかよ。


 黒じゃなけれぼ、白なのかよ。


 表じゃなければ、裏しかないのかよ。


 本当に、そんなにわかりやすいものなのかな。


 物事はそんな、正義と悪で決まるような単純なものだろうか。


 いや、そんなことより、この同調で押し付けてくるような感じが、僕はあんまり好きじゃない。


 ただ、それを言ったことろで、この人たちは聞きやしないのだ。


 原因は、三枝さんの人が悪いとか、取り巻きが悪いとか、そういうことじゃあない。


 ただ、多いのだ、数が。


 集団になった人間って言うのは、残念ながら、そういうものだ。


 集団のために、何かを捨てるのに違和感がなくなる。


 集団のためって、言葉が価値観を塗りかえていく。


 さらに扱う力が大きくなるから、何かを踏み潰したっていう実感さえなくなってしまう。


 それは弱い心だったり、人の立場だったり、誰かの頑張りだったり、まあ、色々と。


 キャタピラで、何を踏み潰したかなんて、戦車の運転手は知らない様に。


 無神経に、無自覚に、周囲の物をなぎ倒していく。力が強い集団って言うのは、そういうものだ。善悪、問わず。


 人が集まると強くなる。それは紛れもなく、少年漫画であるような絆の力に違いないのだけど。


 向けられる方は、ちょっとたまったもんじゃないんだよなあ。


 ちょっと、日和った心が顔をしかめる。今、ここを抜け出すために、とりあえず、署名してもいいのかもしれない。


 僕の意見一つでそこまで大勢は変わらないし。


 なら、いっそ。


 別に僕でなくて、いいなら、いっそ。


 ………。


 嫌だな、それ。


 人に押されて、想ってもないこと言うのは。


 別に、それで何も変わりはしないけどさ。


 嫌だな、それは。


 ねえ、かみさま。


 ふと、思いついたことがあったから、カバンの中のうさぎの人形に聞いてみる。


 「なんだい」


 ちょっと、聞きたいんだけどさ。


 「うん」


 抜いても大丈夫なネジでも、酷い目にはあったりする? 死んだり、大けがにならない範囲で。


 「うん、相応にひどい目にあうね。まあ、緩いのはちょっと困るで済むくらいだよ」


 じゃあ、教えて、どれを緩めればいいか。どれ緩めたら、ちょっと困るか。


 「おっけー、わかった」


 カバンの中のかみさまが、なんでかちょっと笑ったような、そんな気がした。

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