僕のネジとおチビなかみさま
キノハタ
第1話 まず自分の思い込みを疑いなさい
「これ、もういらないし、母さん捨てといて?」
「ふーん、じゃあぼく、も 「これ、もういらないし、母さん捨てといて?」
「ふーん、じゃあぼく、もらっていい?」
「別にいいけど、変わってるわね、あんた」
小学生に上がったばかりの頃、年の離れた姉が手放したうさぎのぬいぐるみを、僕はひっそりと譲り受けた。
どうして僕はそれを貰おうと想ったのかな。
ぬいぐるみが、捨てられるのが可哀そうと想ったのかもしれないし、単純に欲しかっただけかもしれない。
ただ、僕はそのぬいぐるみでおままごとに興じたりはしなかった。
ただひとりごとを時々、そのぬいぐるみに漏らすだけ。そうやって話しかけられる誰かが欲しかったように思う。
話のは、他愛もないこと。今日、こんなことがあった、テストの点が悪かった、けんかした、遊んだ、そんな特に意味もないことばかり。言う必要もないことばかり。
もちろん、答えなんて返ってくるわけもなくて、ままごとみたいに自分で声を当てる気にもならないから、ぬいぐるみは終始、無言のまま。
たまに、お前も愚痴ばかり聞かされて大変だねって、ちょっと頭を撫でるくらいで。
友達が遊びに来たら、そっと部屋の隅に隠れてもらった。さすがにちょっと恥ずかしいし。
それで、友達が帰ったら目の付くところに置き直す、悪かったねって言いながら。
飼い猫のみーやが時折、ぬいぐるみの腕をひっかいた。
最初は母さんに塗ってもらってたけど、しばらくしたら自分でやりなと言われて、それから、ちょっとだけ裁縫が上手くなった。
意味があるような、ないような。そんな些細な繰り返しで、僕とこいつは生きてきた。
僕もいつしか大きくなって、高校に入って、喋りかけることも少なくなった。
勉強が、友人関係が、家族とのやり取りが頭の中をぐるぐる回って、ぬいぐるみに喋るどころじゃなくなったのかもしれない。
ただ、ある日そのぬいぐるみは。
何の前触れもなく。
『かみさま』になったんだ。
とってもおチビな『かみさま』に。
その日は、僕が高校生になって、夏休みも開けてすぐの秋の夜の頃だった。
スマホの通知が止まらない。
絶え間なくグループラインでやり取りが繰り返されてる。
内容は、クラス内で起こったしょうもない喧嘩だ。
誰が誰の味方になって、誰が誰の敵になる。
そういう、人が集まればよくあるいざこざ。
今、争ってるのは山城くんと三枝さんで、クラス内が男女もまぜこぜに、見事に二分して争ってる。
やり取りはヒートアップして、このまま深夜まで続きそうだ。
ただ、そこまでして争うことなのかどうかは、もうわからない。
最初は文化祭か何かの話し合いだった気がするけど、言い方がどうの、気に入らないがどうのみたいな話が出たあたりで、もう収拾はつかなくなっていた。
もはや始まりすら忘れてしまって、言い争うために言い争ってるような感じだ。
終わりもないし、キリもない。
姦しい通知音ばかりが鳴るスマホに辟易して、僕はそっと電源をオフにした。
うるさかった室内と、少し熱を帯びたスマホがようやく静かになって、エアコンの音が聞こえるようになった。
別にあのやり取りは、僕がいなくたって問題なく続くのだし、無理に話に割って入る必要もありはしない。
明日、学校に行ったら、どっちの味方に付くかでしょうもない議論が待っているかと思うといささか辟易とはするけれど。
別に今、あの場所から僕がいなくなっても構わない。
あそこに僕を縫い留めておくようなものは、何もない。
ふと。
ドアががちゃりと開いた音がした。
顔を上げて目線を向けると、猫のみーやが暇を持て余したのか、僕の部屋に入って来ていたらしい。
うちに来てもう10数年、というか僕が生まれて数年で飼われてきたからほぼ同い年だ。
随分、老猫の割に軽やかに、ベッドで寝転がる僕に向かってくる。
ベッドの上を軽く飛び跳ねて、ひょこひょことたわむれて、それから狙い澄ましたように僕の鳩尾を踏み抜いた。
……。
毎度毎度、狙っているのかとばかりに、急所をつぶしてくる。僕は軽く呻いて、みーやを持ち上げながら体を起こした。
「悪いけど、今は遊ぶ気分じゃないから、あっち行っててくれ」
そう言って、そっとベッドから降ろしてやる。また、すぐ昇ってきたけれど、何回か同じように降ろしてやると諦めたようにとことこと床を歩きだした。
そこで、ようやく僕は軽く息を吐いた。やっと諦めてくれたらしい。
目を閉じて、心を少し落ち着ける。さっきまで溜まっていたイライラをゆっくりと吐き出していく。
だめだ、ちょっと落ち着こう。
そう想った。
想った時。
とん。
そんなみーやの跳躍の音に、ちょっと嫌な予感がして眼を開けた。
それはあのお嬢さんが、いやおばあちゃんかな年齢的には、みーやが棚に昇るときにだす特有の音だった。
年だっていうのに、まだまだそこらへんは元気らしい。喜ばしいことだが、笑ってばかりもいられない。
ただ、この音の望ましくないところは、箪笥の上にある、あいつのお気に入りの爪とぎ装置。もとい、うさぎのぬいぐるみ目掛けて、向かってる時の音だってことだ。
眼を開けると、見えた景色は案の上。
ベッドや机を駆使して、器用に棚の上まで駆け上がったみーやは、うさぎのぬいぐるみに向けてゆっくりと歩を進めていた。
はあ。
まったく、油断も隙もありやしない。
最近、飽きてきたのか別のおもちゃに夢中だと思っていたのに。気を抜くとすぐこれだ。
勘弁してくれ僕はこれ以上、無駄に裁縫の技術をあげたくないんだよ、おばあちゃん。
軽くため息をついて、僕はそっとベッドから降りると、悲願のおもちゃまでもう少しに迫った、みーやの脇をそっと持ち上げる。
僕に持ち上げられると、老婆は駄々っ子張りに、うにうにと暴れた。おてんばなのは変わらないねえ。
もうちょっとで、念願の遊びができたとでもいうように暴れる彼女にそっとため息混じりに声をかける。
「勘弁してくれよ、みーや」「いや、まったくだよ」
「僕はもう、糸で指を突きさすのは嫌だよ」「僕も刺されるのは痛いんだ、かみさまにも効く麻酔でも持ってきてくれ」
僕はすんと、大人しくなったみーやをそっと下ろして。ふーっと軽く息を吐いた。
……………………。
「頭のネジでも抜けたかな、僕」「大丈夫、君のネジはちゃんと刺さってる」
小さなうさぎの人形が。
そう。
僕に。
語り掛けていた。
みーやを地上に下ろそうとした体勢のまま制止する。
時間が止まる。
目を上げる。
僕の視界の上の方でうさぎの人形は、かがんだ僕の頭をぽすぽすと叩いていた。
その場所には、僕の頭には確かに刺さっている『何か』があった。
違う。『何か』じゃない。
それは確かに。
僕の頭に刺さった。
『ネジ』だった。
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