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     ★


 あっというまに卒業式が終わる。

 卒業証書授与式では「斉藤梨里花」「天津風行方」「吉岡朱火」「相模原加奈」「柳瀬明日香」の名前も教頭先生から告げられた。

 その度に非難するような目が向けられる。どれだけ偶然たまたまだと主張しても、僕にかけられた嫌疑が晴れることはなかった。


 卒業生代表は里見会長だった。亡くなった友人たちとの思い出を忘れず、彼らを未来に連れていこう、という表現で答辞を締めくくっていた。


 卒業生の合唱は「自粛」で取りやめ。

 学校に爆破予告の手紙が送られてきたことから来賓の挨拶も取りやめとなり、生徒の安全確保を理由として保護者の出席も見送られた。そうとは知らず、キャンプ用の刃物を持ち込もうとしたおじさんが、見回りの警察官に取り押さえられたという。


 校長先生の説話も数分に省略された前代未聞の式典は、当然ながら一時間と経たないうちに終わってしまった。別にお年寄りの長話を聞きたかったわけではないけど、三年間の集大成としてはボリューム不足が否めない。


 元々は卒業記念プロムも「自粛」の予定だった。どうにか先生たちを説き伏せてくれた里見さんには頭が上がらない。


「すまない。小石川クン」


 式典後、なぜか彼女のほうから頭を下げられる。


「今日までにキミの相手を用意するつもりだったが、誰も承服してくれなかった。ワタシともあろう者が、約束を破ってしまうとは情けないばかりだ」

「でしたら」

「ワタシには友仁ユージンがいる。頼むから、その右手きょうきを収めてくれ。とにかく夕方までに見つけてみせる。キミはお色直しをしてくるといい」

「もし見つからなかったら」

「必ず何とかする」


 里見さんは制服のスカートを抑えながら走っていった。


 プロムが始まるのは夕方だ。卒業生のカップルはそれまでお色直しのために一旦帰宅することになる。学校の制服では格好がつかないからね。

 男子はタキシード。女子は自由にドレスを身にまとう。

 発祥地のアメリカでは男子が自動車を運転して、相方の女子を迎えに行くのが通例となっているけど、うちの学校においては校内で合流するのが伝統とされている。そもそも免許を持っている生徒が少ない。

 僕は借り物のタキシードに袖を通して、鏡の前に立った。右手にはお相手の女子に手渡すつもりのコサージュ。


「よし! やるぞ、小石川秀太!」


 我ながら気合十分。思えば今夜のために心血を注いできた。たったひと時の「夢」を見るために努力してきた。

 わざわざプロムのある高校を選び、反応は良くなかったけど一年生の頃から女子たちに声をかけるように務めてきた。彼女たちの会話を元にSNSのアカウント探しを行い、日常的な発言内容から魅力的な相手を精査してきた。


 どれだけ苦難が訪れようとも、障壁が立ちふさがろうとも、倫理的な問題にぶち当たろうとも。

 絶対に「夢」を諦めなかった。


 僕の人生は今この時のためにある。

 さあ行こう。憧れの舞台へ。



     ★



 校舎の窓が紫色に染まりつつあった。夕暮れ、月が紫雲に紛れている。

 体育館の前では数組のカップルがすでに合流しており、今のところ独り身なのは小石川秀太だけだ。

 何とも心許ない。僕は里見さんの連絡を待つ。もし見つからないなら、とっとと僕の右手をつかんでくれたらいいのに。


「小石川クン。待たせてしまったね」


 校門から三つの人影が近づいてくる。

 艶やかでゆったりとした銀色のドレスに身を包んでいるのは里見さん。その傍らには大柄な男子生徒がいる。あれが友仁ユージンか。

 そして彼らの後ろについてきていたのは──僕が誰よりもよく知る人だった。


「もろみ。今日は来ないんじゃなかったの?」

「秀太ぁ……ごめんねぇ……」


 幼馴染は制服姿のまま、ボロボロに涙をこぼしていた。

 何があったんだ。抱き寄せて背中をさすってあげたら、彼女は余計に泣き出してしまった。

 これでは訊きだせそうにない。


「約束は果たしたぞ。卒業生の女子だ。文句あるまい」


 里見さんの顔は強張っていた。とても今からダンスパーティに向かう女性の顔つきではない。

 おそらく、僕の反論を待ちかまえている。


「約束が違うじゃないですか」


 もろみ以外と伝えておいたはずなのに。

 こちらの主張に対し、里見さんは語気を強める。


「逆に問わせてもらおう。彼女の何がいけない? ワタシの目から見ても可憐な乙女だぞ。おまけに地元の有名人。有力者の一人娘。文句のつけようがあるまい」

「いや、もろみとは……もろみでは……」

「なんだ?」

「…………」


 ドキドキできない。

 子供の頃からずっとプロムごっこで遊んできた。何度も付き合ってもらってきた。

 だからこそ彼女とは『特別な夜』にならない。

 そんなお互いにわかっていることでも、他人の前で公言してしまえば、傷つけることになってしまう。


「ごめんねぇ……秀太ぁ……秀太の大切な夜なのに……あたしのせいで……」

「小石川クン。もう時間だ。ワタシは実行委員長の務めを果たさねばならん。文句があるなら後で訊かせてくれたまえ」


 里見さんは男子生徒と腕を組み、光あふれる体育館の玄関口に消えていった。他のカップルたちも続々と会場入りしていく。

 スピーカーのダンスミュージックが外部まで伝わってくる。


 僕たちは場所を移すことにした。鉄棒の近くに小さなベンチがある。あそこでゆっくり話そう。

 もろみは未だに泣いている。ラッキーアイテムのハンカチをぐちゃぐちゃにされてしまった。

 何をやってんだか。もう。


「もろみ。なんで泣いてるのさ。別にもろみは何も悪くないでしょ。どこぞの『死神』がモテなかっただけで」

「違うの」

「違わないよ」

「……みんなを殺したのは、あたしの使用人なの」

「え?」


 ええ?

 どういうこと?


「あたし知らなかった。うちの家で飼ってる、人生ギリギリで、もう後がない人たちにやらせてたって。荒本がゲロったの。さっきね。卒業式の帰りね。車の中で不貞寝してたら、あっ、荒本が使用人たちに指示を出していたの。里見さんの人探しの妨害をしろって。おかしいと思って、訊いてみたら、あたしのためにやったって」

「ウソだろ」

「あたしが前に言っちゃったから。秀太を誰にも取られなくない。秀太とダンスしたいって荒本に言っちゃったから。ごめんね。秀太の大切な夜だったのに。こんなことになっちゃって。もう消えてしまいたい」

「もろみ」


 僕は幼馴染を抱きしめる。

 そうか。そういうことだったのか。

 ようやく全てがつながった気がする。そうだよね。ただの高校生にすぎない小石川秀太が『死神』であるはずがない。


 誰もが結果だけを見ていたから、勘違いが生まれてしまった。

 僕は人殺しでも何でもなかった。

 悲しいかな。怒りよりも驚きよりも何よりも、まず自分がまともだとわかったことに安堵してしまい、笑みがこぼれてしまった時点で、おそらく僕はまともではなかった。


「秀太。本当にごめんなさい。あなたにとって今夜のプロムは全てだったのに」

「まるで終わったかのような言い方だね」

「同じじゃない」

「ここに卒業生の男女カップルがいるのに?」


 僕はベンチから立ち上がり、座ったままの女の子に右手を差し出す。

 彼女の目には期待が浮かび上がる。輝きを取り戻した瞳が、涙を煌めかせていた。


「──高井田もろみさん。僕とプロムに行ってください」

「はいっ」


 幼馴染に手を取られ、僕たちは体育館に向かう。こちらのタキシードは涙まみれでぐちゃぐちゃ、もろみなんて制服姿だけど、プロムは格好つけるより楽しむことが大切だ。

 僕たちは装飾担当の在校生たちと入れ替わりに会場入りする。

 式典の時に並んでいた椅子は収納され、代わりに円形のテーブルがおつまみ付きで用意されていた。

 中央では放送部の人たちがスピーカーからダンスミュージックを流している。


 去年と比べると参加者は少ない。盛り上がっているようにも見えない。どいつもこいつも僕たちを無視するか、怖がっているようで、とてもではないけど理想的なプロムとは呼べそうにない。憧れていた特別な夜には程遠い。


 それでも僕は「今」を楽しむことにした。

 小石川秀太こんなぼくととプロムに行きたいと願ってくれていた、愛すべき幼馴染のために。精一杯の笑顔で。



     ★     



 翌日。高井田諸実たかいだもろみは交通事故で死んだ。

 交差点で信号を待っていたところを自動車に突っ込まれたらしい。ニュースによると即死だったという。犯人は逃走中とされた。


 気づいた時には事故現場に向かっていた。

 すでに遺体は病院に搬送され、生々しいタイヤの跡だけが歩道に残っていた。国道一号線は何事もなかったかのようにトラックが行き来している。空は青い。


 僕はボロボロのコサージュを拾い上げる。近くの草むらに落ちていた。昨日、彼女の右手に付けてあげたものだ。

 わずかに血が付いている。


 どうしてこうなるんだ。

 僕はただ、プロムに行きたかっただけなのに……。

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プロム相関 生気ちまた @naisyodazo

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