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     ★     


 翌日の早朝。柳瀬明日香やなせあすかは工事現場の足場から落ちてきた単管材に当たって病院に搬送され、まもなく死亡が確認された。

 里見会長の説明によると、ほとんど即死だったという。


 僕としては残念でならない。柳瀬さんには電話越しに情熱を込めて「泣かないでください。あなたを必ず守ります。だからプロムに行きましょう」と約束したのに。彼女のマンションの出入口に密かに監視用のスマホを仕掛けて、何かあればすぐに駆けつけられるようにしていたのに。

 まさかキャリーバッグに衣類を詰め込んで、夜に紛れて余所の街に逃げようとするなんて。


 自宅で夜通し監視中だった僕は慌てて交代要員の幼馴染を叩き起こし、高井田家の運転手を呼ぶように依頼したけど……荒本さんが来てくれた時にはもう遅かった。


「はっはっは。これで友仁ユージンはワタシのものだ。柳瀬の奴め、ワタシの可愛い部下に手を出すから『死神』に狙われる。ふふふ。小石川クン、よく殺ってくれたね」

「殺してないです」

「そうだったか」


 里見さんはひとしきり笑ってからカフェインレスのホットカフェラテを口にする。今日は休日なのでブレザーではなく女子大生のような格好をしていた。

 彼女のような女性とお茶できるのは純粋にありがたいことだ。呼び出しを受けた時にはさすがに思うところがあったけど、会ってみればコロリと印象が変わってしまう。やはり美人は強い。ぜひともプロムでご一緒させてもらいたい。危険な香りは男女関係においてスパイスになる。


「里見会長、よろしければ僕と」

「おっと。ワタシは相手を持たないと言ったが、柳瀬が死んでくれたから友仁ユージンを誘えるようになった。すまんがキミとは行けそうにない」

「そうですか……」

「その右手は引っ込めてくれたまえ。危なくて仕方ない。そうだな。例の出禁の件だが、ワタシが生きているかぎり解除ということにしておこうか」


 彼女は人好きのする笑みを浮かべた。

 どうも手のひらで転がされてしまっている。プロムの相手にならともかく、赤の他人に操縦されるのは気分の良いものではない。

 つくづく友仁ユージンとやらが恨めしい。


「おいおい。そんな顔をしないでくれ。ワタシはキミの味方だ。実は学校側からプロムの中止を迫られているのだが、ワタシの力でどうにか押し返しているんだぞ」

「中止なんて困ります!」

「そのとおりだ。だが、あれだけ死亡者が出てしまうと学校側も自粛せざるを得ないのだろう。ワタシは過去の中止例を引き合いに抵抗させてもらっているが、これ以上死者が出ると不味いな」

「もう相手を探すな、ということですか」

「ご明察だ『死神』。キミの相手は必ず用意してやる。プロムに出たければ、ワタシの指示に恭しく従うことだね」


 彼女はこちらの頭を撫でてくる。

 ますますプロムのお相手をお願いしたくなってくるけど、彼女の弁を信じるならば手を出さないほうが良さそうだ。


 ちなみに過去の中止例について、里見さんは興味深い話を教えてくれた。


「一九一七年、一九三四年、一九四四年、一九五九年、一九……どれも我が校のプロムが中止になった年だ。そして我が国において未曾有の大災害が起きた年でもある」

「関係あるんですか?」

「科学的には証明できないが、大人たちをビビらせるには十分だ」


 彼女は意味ありげにこちらを見つめてくる。

 誘われているのかもしれない。僕は右手を出そうとして、すぐに引っ込めた。下手こいてプロムに行けなくなったら困る。


「はっはっはっはっは」


 里見さんはひとしきり笑ってから、恋人を亡くした友仁ユージンを慰めに行くとして喫茶店を去っていった。

 僕も店を出ようとしたら、自動ドアの手前で幼馴染が立ちふさがってきた。


「もろみ」

「上手くいったみたいね。あの女は気に入らないけど、これでプロムに出られるじゃない」

「うん」


 僕たちは抱き合う。

 色々あったけど「夢」を叶えることができた。あとはもろみの受験勉強を手伝いながら、大人しく卒業式を待つだけとなる。


「大学の後期試験が終わったら、もろみの相手も探さないとね」

「あたしは出ないわ」

「どうして?」

「……秀太には教えない」


 もろみは悲しげに微笑むと、こちらの頬に軽くキスをしてくれた。

 店員さんがなぜか拍手を送ってくれる。そういえば、ここは『高井田珈琲店』だった。



     ★     



 十日後。三月三日。卒業式プロム当日。

 いつもより早めにベッドから出る。

 冷たい水で丁寧に顔を洗い、身だしなみを整えていく。

 ワイシャツの襟元に学校指定のネクタイをビシッと結んで。

 先日、火傷を負ってしまった左手の甲にはクリームを塗りこむ。まさか自宅が放火されるとは夢にも思わなかった。

 おかげで我が家は全焼。僕たちはひとまず高井田家の来客室に居候させてもらっている。


 以前より三倍くらい広くなった居間では、妹の小百合がテレビのニュース番組を眺めていた。ちょうど星座占いのコーナーだ。


『一位は乙女座のあなた! 今日のラッキーアイテムは……』

「こんなのどうせ当たんないし」


 妹は「おはよう」も言わずに寝室に戻ってしまう。どうも先週あたりから中学校で苛められているらしい。

 不登校気味になり、以前のように部活に打ち込むこともなくなった。

 兄としては何とかして小百合を元気づけてあげたいけど、話しかけたら逃げられるので上手くいかない。


 僕はおにぎりを食べてから、ラッキーアイテムをポケットに入れる。イタタタ。先日、斬りつけられた背中の傷が痛む。

 あれからというもの一人では出歩けなくなってしまった。外出時に運転手が必須となってしまい、もろみと荒本さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだ。今夜のプロムには痛み止めを持っていくつもりだけど、ちゃんとダンスできるかな。


 先週は本当にロクなことがなかった。

 今日の占いでは一位らしいから、それにすがらせてもらいたい。

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