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うちの娘が風呂で手首を切って死んでいました。
友人・知人の皆さま、あの子の悩みについて何か知っていることがあれば教えてください。些細なことでも構いません。どうかお願いします。
早朝に
昨日はあんなに元気そうだったのに、あの子に「何」があったのだろう。もしLINEで相談してくれていたら……と、悔やんでも悔やみきれない。
「……オエエッ」
不意に猛烈な吐き気に
僕は布団から這い出て、リビングに向う。
こちらの様子に気づいた妹がコップの水を持ってきてくれた。
「おにぃ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃない……」
「やばいくらい目がデスってるよ。今日は学校休んだほうがよくない?」
「それはできない」
「……そっか。そうだよね。今日の乙女座のラッキーアイテムはテニスボールだって。おにぃのブレザーにトゥギャザーしておいてあげる」
「ありがとう小百合」
妹から受け取ったコップに口をつける。
ラッキーアイテム。合理的に考えたら、八月末から九月末の間に生まれた不特定多数の人々が、特定のアイテムを身につけるだけで幸運に恵まれる……なんて、眉唾物の与太話にもほどがある。
もし仮に五百円玉を拾ったとして、そんなのはテニスボールのおかげではなく偶然に過ぎない。
そこに明確な因果関係は存在しない。
つまるところ、たまたま……なんだ。
「おにぃ。まさかプロムの相手が決まらなくて落ち込みすぎてデスったの?」
「いや……そういうわけでは……」
「もろみちゃんは?」
「……あいつにばかり頼ってられないだろ」
「ふうん。よくわかんないけど。今日の晩御飯はおにぃの大好物だから元気だしなよ!」
おっ。オムライスか。それは楽しみだ。
母さんはいつも卵をふわふわに仕上げてくれる。ファミレスの料理より何倍も美味しい。
「ちなみにそれは母さん情報?」
「んーん。何となく」
「はあぁ?」
「なんか最近さ、朝に『食べたい!』って思った料理が、その日のディナーに出てくることが多いんだよね!」
「……ただの勘じゃないか」
「でも先週からほとんど当たってるんだよ。昨日は親子丼だったし。一昨日は茶碗蒸しでしょ。
妹は母さんの手料理を指折り数える。卵料理が多い。
「ここまできたら、もう偶然とは呼べなくない?」
「小百合と母さんの好みが似てるだけだ」
「そんなもんかなー」
妹はぶつぶつ言いながら家を出ていった。
そんなもんだよ。
★
今日は学校まで幼馴染の車で送ってもらうことになった。
吐きそうだと言ったら、すぐに運転手を呼んでくれた。持つべきものは竹馬の友だと心底思う。
高井田もろみの家は大地主だ。戦前まで一帯の土地をまるごと所有していたらしい。往時の隆盛ぶりは全国的に有名で、ウィキペディアの「地主」の項目にも掲載されているほど。
現在も駅前の歓楽街の地権や酒蔵の株式等を抑えており、遊んでいてもお金が沸いてくるという(ちなみに我が家も高井田家に家賃を支払っている)。
もろみの父親は本人曰く「暇つぶし」に市議会議員を三期務め、母親はパトロンとして多くの起業家や芸術家を世に送り出してきた。いずれは彼女もどちらかの道を選ぶそうだ。
そんな彼女は、なぜか学校の
「喪服? 学生なのに珍しいね」
「パパの代理。今日は親戚のお葬式なのよ。学校の制服だと様にならないからママの形見を借りちゃった」
彼女は両手の親指を首元に向ける。漆黒のワンピースに真珠のネックレスが映えている。喪服を褒めるのは倫理的にどうかと思うから口には出さないけど、よく似合っていた。
それにしてもパパの代理とはねえ。
「来週には後期入試が始まるのに、もろみったら余裕だね」
「仕方ないじゃない。パパとママの海外出張中に親戚の
「そういうものなのか……だったら家の前で待たなくても、昨日の夜に教えてくれたら良かったのに」
「登下校の時間は大切にしたいのよ」
もろみは僕の肩にもたれかかってくる。
二列目の座席が外された高井田家の改造アルファードは見晴らしがいい。後部座席から窓の外がよく見える。
県道沿いの牛丼屋が新商品の
学校に近づくにつれて、歩道に制服姿が目立ち始める。なぜか男子ばかりで女子が少ないな。
ん? あれは……あの後ろ姿は!!
「荒本さん! 歩道に寄せてください!」
「おうよ!」
もろみ付きの運転手さんにお願いして車を停めてもらう。
僕には一年生の頃から憧れている人がいた。
凛とした佇まい、弓道で鍛えられた姿勢の良さ。気品にあふれた歩き方は育ちの良さを如実に示し、それでいて竹を割ったような実直でさっぱりとした性格から周囲に余計な遠慮を強いない美少女──
そんな
僕は信号を渡る前の彼女に立ちふさがり、頭を下げて右手を差し出す。
「相模原先輩! あなたは僕とプロムに行くべきです!」
「なんだいきなり。そんなことより信号を渡らせてくれ。赤になってしまう」
「その前に返答をお願いします!」
「他を当たれ。下級生のプロムになんぞ出られるものか」
彼女はこちらの右手を跳ね除け、横断歩道を鮮やかに駆け抜けていった。
しかし、すぐに戻ってくる。
「おい! なぜお前が私のスマホを持っている!」
「そこに落としてましたよ」
「なにぃ……そうだったか。拾ってくれてどうもありがとう」
「お返ししますね」
「ああ!」
満面の笑みでスマホを受け取る、相模原先輩。もちろんLINEの友達登録は済ませてある。誕生日をパスワードに設定しちゃうあたりに彼女らしさが溢れていた。
あとはLINEで説得を……いや。ここで追撃をかけておこう。
僕は改めて右手を差し出す。
「先輩! これも何かの縁です。僕とプロムに行きましょう。絶対に後悔はさせません。先輩を全力で楽しませてみせます!」
「だから下級生の会には行けないと言ったろう。それに去年、当時の彼氏と行ったが、けっこう退屈だったぞ」
「僕なら絶対に楽しませて差し上げます。これでもプロムのプロですから。相模原先輩ならプロムのクイーンにだって押し上げられますよ!」
「去年なった」
「史上初の連覇なんて燃えるじゃないですか!」
「恥ずかしいわ!」
彼女は信号がまた赤になる前に走り去ってしまった。
頑なに断られてしまったけど、ああやって対話に応じてくれるあたり脈はあるとみた。あとでメッセージを送りまくろう。
それにしても卒業式には出られなかったのにプロムには参加していたのか。いっそ経験者の先輩にリードしてもらうのもアリかもしれない。
彼女に手を引かれ、会場のおつまみを吟味しあう。ダンスの手ほどきを受ける。初々しい足さばきに苦笑されてしまう。微笑ましくていいぞ。ただリードされながら彼女を楽しませることも忘れちゃいけない。あらかじめ入念にシナリオを組んでおいたほうが良さそうだ。ふふふ。新たな扉を開いてしまい、ニヤけが収まりそうにない。
『おーいおーい』
もろみからメッセージが届く。牛丼屋の駐車場で待ってくれているらしい。運転手の荒本さんがお持ち帰りの玉子丼を掻き込んでいる写真が送信されてきた。
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