第7話 終わりの日は未だ遠く(上)

 そして姫君は、美しい言葉を綴る。


『人を愛するにはどうすればいいのかしら。愛されるって、どういうことなのかしら』


『わたしは、それをずっと考えている。わたしはそれが知りたいの』


『わたしの愛の価値を、この永遠を証明できるのなら。なんだってするわ』


 ──ああ、一体何を言っているのだろう。


 私には、ちっとも、わからなかった。




   1




 とある吟遊詩人の一団があった。市井にも貴族たちの間にも覚えめでたい、旅芸人たちの一団だ。両親に詩人を持ち、そこに生まれたノエは物心ついた時から旅暮らしで。物覚えがよく器量の良い娘だったノエは幼い頃から膨大な物語を注ぎ込まれ、詩を生業とするものとして生きることを、疑ったことはない。

 そんなふうに皆と共に旅を続けいつか一人前の詩人となり、皆と同じように歳を重ねて一生を終えるのだと、あの頃は信じていた。




 この地で朝を迎えるのも、もう慣れたものだった。

 宿代わりに泊めてもらっている酒場の二階。身支度を整え、ノエは朝の村に出る。

 小さな漁村の朝は早い。夜明け前に船が出て、男衆はいなくなる。日がすっかりと昇った後の村は閑散とした空気が漂う。


 道の右手には海が広がっている。空は薄灰色に曇っていて、海の青さもまたくすんでいる。桟橋に小舟が並び、左手の石垣には海鳥が一羽二羽、道ゆくノエを見過ごしている。吹き付ける潮風は少し冷たかった。


 海にほど近いこの村が、レーラの住む森に一番近い人里だ。小さな漁村は寂れているが貧しくはなく、豊かではないが険しくはない。すれ違った村人に挨拶をしながら、村の出口を目指す。今日はレーラのもとに行く日だ。

 村人たちは、森の奥、海辺の崖に魔女がいることを知らない。聞けば、


『森に魔女? ああ、昔はいたらしいけどね。数十年前に退治したんじゃなかったっけ』

『だいたい魔女ってのは、人里に紛れ込んで悪さをするもんだろう?』


 普通の人間は、魔女と魔術師の違いを知らず両者を混同している。彼らも例に及ばずだ。


『時々、この村からも魔女が出るんだ。恐ろしいことだよまったく』


 村人の言う〝魔女〟とは、出来心で魔術に手を出し、罪を犯す人間──にわか者の魔術師のことを指していた。

 数十年前、世が荒れ魔術の罪が蔓延っていた。その頃の記憶を引き摺っているこの村は、隣人に厳しく、余所者にも厳しかった。ノエもはじめは溶け込むのに随分と苦労したものだ。苦労の甲斐あって、今では毎日森に入っても不審に思われなくなったが。


 石垣の海鳥がにゃあと鳴いて飛び立った。羽ばたく白い翼をノエは目で追う。視線の先、いつもの道の途中にひとりの少女の姿を見つけた。


「あら」


 赤毛のおさげに小さな背丈、木靴を鳴らしてこちらへと駆け寄ってくる、見覚えのある村娘。


「ノエお姉さん。よかった……ここで待っていたら会えると思ってたの」


 立ち止まり、息継ぎ。長い前髪の隙間から控えめな笑顔を見せる、薄いそばかすが愛らしい、少女の名はマデリンという。ノエがいつも、菓子を頼んでいる娘だった。



 村娘マデリンは、海辺の村で暮らす十二歳の少女だ。目立たぬよう打たれぬよう、風景に埋もれるように生きてきた、齢よりは落ち着いた気弱な娘だった。

 親代わりの祖母を亡くしてからは、酒場の手伝いの仕事を貰って、残された家でひとり暮らしていた。昔ならば身寄りのないマデリンのような娘は、奴隷商に売られていたという。今はそんなことはないので、マデリンは自分を幸せ者だと思っている。  


 退屈で変わりばえのなく、平穏だがどこか息の詰まる日常。そんなある日、村にノエが訪れた。旅の吟遊詩人を名乗ってはいたが、きらきらと光るガラスのような紫の瞳がなければ信じられなかった。物腰は上品で、エプロンドレスには染みも皺もなく、旅芸人というよりは領主様の使用人などと言われた方が納得いく。

 それに、彼女は年が読めない人だった。整った顔立ちは、マデリンよりほんの少しだけ年上のようにも、村の大人たちと同じくらいにも見える。


 ノエの訪れを村人は皆、警戒した。この村は変わったものに敏感だ。冷遇こそしないが、温かい迎え方もしなかった。けれどノエはいつの間にか村に溶け込んでいた。まるで古い友のように。そこに咲いているのが当たり前の野花のようによく馴染んだ。愛嬌に、善良さ、気遣い心配り機嫌取り、親しみ。人見知りのマデリンも、気付けばノエを家にまで呼ぶ仲になってしまった。そのうちに、ノエに頼まれてお菓子を作るようになったのだった。


 ノエは親しみやすいが、どこか地に足つかないところのある、不思議な人だった。森に探しものがあるのだと言う。村人の中では、ノエが森に行くのは〝妖精を探している〟ということになっていた。昔話に出てくる妖精は、善い魔法を使う存在だ。紫の瞳の人は妖精に好かれやすいという話があるし、妖精は甘いものが好きだという話もある。

 だがマデリンは気付いている。ノエの口から直接そう聞いたことは一度もないのだ。


 ──森に行く理由は、本当は何なんだろう。妖精を探しているんじゃなくて、ノエ自身が妖精なんじゃないだろうか。甘いものが好きだし、とびっきりに綺麗だし、なんだか善い魔法を使えそうな気がするし。


 ノエの纏う別世界の雰囲気は、人見知りの理由だったはずなのに。いつの間にかマデリンはすっかり惹かれてしまっていたのだった。



「おはようございます、マデリン。早くから待っていてくださったのですね」


 マデリンが駆け寄ると、ノエはいつも通りにこやかに迎える。「ご用はなんでしょう?」


 いつもならばノエはマデリンの家へ、頼んでいたお菓子を受け取りに来る。今日は例外で、頼まれていない日だった。


「あっあの」


 裏返った声に、かぁっと頬を染め、マデリンはその手の籠をノエに押し付ける。


「これ! 作ってみたの。よろしかったら、その、どうぞ」


『お菓子を作っていただけませんか』


 マデリンの仕事場でありノエの仮宿でもあった酒場で知り合って、家に呼ぶ仲になった頃。森から帰ってきたノエは、マデリンにそう頼んだ。なぜ自分なのかと聞いた。


甘煮コンポートを、お家で振る舞ってくれたでしょう?』


 ただ果実を煮るだけの料理は、菓子など洒落た名で呼ぶには相応しくない素朴な甘味だ。浮かれた菓子の作り方など知らない。けれど。


『それがとても、美味しかったので。あなたにお願いしたいと思ったんです』


 ノエにも振る舞った甘煮は、祖母に習った特別な料理だった。

 マデリンは自分のことを、幸せ者だと思っている。幸せ者とはつまり、不幸ではないことだ。事情があって村では少し、肩身が狭い。不幸ではないが、そんな村で、ひとりきりの家で寂しさに襲われた時は甘いものだけが慰めだった。蜂蜜を少し、バターを少し。鍋でくつくつと果物を煮て、漂う甘い匂いの中で膝を抱える。落ち込んだときの慰め、マデリンにとって甘煮コンポートとはそういう料理だった。


 家に招くような同年代の友人もいなければ手料理を振る舞うような相手もいない。自分の作った料理を「美味しい」なんて言われたのは、初めで。気付けばノエのお願いを、一も二もなく引き受けていた。初めて作ったのは、甘く煮たチェリーがぎっしりと詰まったパイだった。


 ふんだんな材料、聞いたこともないレシピの数々。用意され語られたそれを試行錯誤し形にするのはとても楽しくて。ノエがマデリンの家を訪れるたびに次はなんだろうとわくわくした。ノエに渡して送り出すたびに、頼られる自分が誇らしかった。ノエが村に帰ってくるたびに、喜んでもらえたのがわかって嬉しかった。

 だからお礼みたいな、何かをしたいと思ったのだ。それが今日の籠の中身だった。


「そのっ、全然大したものじゃないんだけどっ。材料は余りものだし、レシピも、お姉さんに聞いたものじゃなくて、わたしが勝手に作ったものだし……」


 喋るほど自信がなくなっていって、自信が言い訳になっていく。お礼のつもりならば、もっとやりようがあったのではと思う。何かもっと浮かれた、「褒めて欲しい」なんて浅ましい気持ちで、これを作ったのではないかと思い至る。恥ずかしくなって俯いて、長い前髪に隠れる。


「いつもありがとうごさいます」


 マデリンの思いを知ってか知らずか、籠を受け取ったノエは優しく言う。


「マデリンが考えてくれたお菓子なんて素敵ですね。一体どんなのか、たのしみです」 


 マデリンは優しい言葉に慣れていない。けれどその言葉は、お世辞ではないと思えた。声音か表情か、ノエの言葉は、何故だか素直に受け取れることが多かった。うれしいのに、胸がきゅうっとなる。『たのしみです』と聞いて、心がざわざわとした。嬉しさとは別の何かだった。


「どうか、しましたか?」


 前髪の隙間から見えたノエの心配そうに覗き込む顔。


「ご、ごめんなさい。なんだか変な気持ちになって……でもわたし、お姉さんのように喋るのがうまくないから。なんて言っていいかわからなくて……」


 しどろもどろに言葉を探すけれど、やっぱり見つからなかった。ノエは思案げに目を逸らし、にこりとマデリンに微笑んだ。


「よろしければ。言葉が見つかるまで、私とお話ししませんか」

「いいの? 今から出かけるところじゃないのかしら」

「ええですが、時間はありますから。それに……」


 マデリンの水仕事で荒れた小さな手を、ノエは優しく取る。


「わからないものをわからないままにしておくと、膿んでしまいますから」


 膿む、というのはよくわからなかったけれど。ひんやりとした手が心地よかった。



 道の縁、小さな石垣に座り込んで、足を揺らしながら海を一望する。曇り空の隙間からほんの少しの青がまだらに顔を出し、光が海面へちらちらと落ちる。

 お話は、いつも通り彼女が得たレシピにまつわるお話を求めた。それならば、マデリンに容易に想像がついて、お話はちゃんと会話になると思ったからだ。それに自分が作るもののことを、よく知ってみたかった。

 チェリーパイ、レモンタルト、すみれのクッキー、それから色々、異国の菓子から昔ながらの由緒ある菓子から、流行りの菓子まで。レシピにまつわり、ノエがそれらを得る過程の話、それは必然、旅の話でもあった。


「ねえ、お姉さん。お話を聞くたび、いつも不思議に思ってたの。知らない場所に知らないことばかりの旅は、怖くなかった?」


 村娘の問いかけに、詩人は首を振る。


「いいえ。恐ろしさを感じたことがないとは言いませんが、それ以上に。知らないこと新しいことは──素敵でしょう?」


 大人びた綺麗なお姉さんの印象とは真反対、ノエは悪戯っぽく少年のようにはにかむ。


「私きっと理由がなくなっても、旅をやめられないと思うくらいには虜なのです」


 その言葉が、なんだか、海みたいだとマデリンは思う。目の前にある見慣れた水の塊なんかじゃなくて、水平線のその先のずっと遠くて広い海。別世界の、言葉だ。


「ああ、そっか」


 すとんと何かが腑に落ちる。


「お姉さんはほんとに、広い世界を旅してきたのね」


『たのしみです』となんの気負いもなく、ノエは言えるのだ。知らないことを、新しいことを。

 それは知らない人と普通じゃない人に厳しいこの村には、ない考えだ。マデリンは普通じゃない・・・・・・村娘だからそのことを知っている。


「……いいなぁ」


 言葉にならなかった言葉が、形を得る。胸の痛みの正体は、羨みだった。ノエに出会って、甘い匂いは寂しい時のものじゃなくなった。それはマデリンの退屈な毎日に訪れた、いっとうに素敵なことだった。でもそれはいつまでも続かない。ノエは旅人だから、必ずここからいなくなる。ノエがいなくなれば。また、いつも通りの、冴えず息苦しい日々に戻り……


「わたしは、一生この村から……」


 口をついて出る。願いにも満たない、嘆きのような何か。ノエがはっと表情を変える。僅かに顔を出していた太陽が雲隠れした。差した影に気付き、マデリンは顔を上げて、ノエの表情を見た。ぱちんと弾けて我にかえる。


「あ、わ、わたし、何言ってるんだろ」


 何かを言いかけたノエを遮って、マデリンは立ち上がる。


「ごめんなさい、変なこと言っちゃって。ぜんぜん、なんでもないの!」


 わたわたと逃げるように駆け出した。自分の発した言葉の続きが、頭の中でぐるぐると回る。


 ──わたしは一生、この村から、出られないから。


 どうしよう。言葉が見つかってしまう。自分の気持ちに、正直になってしまう。


 ──わたしは、この村から、出たいの?


 きゅっと唇を結ぶ。背中にノエの視線を感じる。振り返らない。振り返ったら何か、みっともないことを、話してしまいそうだったから。


 ──村を出て、行く場所なんて、ないのに。




 伸ばしかけた手を止めて、ノエは去っていくマデリンを見送る。引き留めても今は気休めしか言えない。マデリンが呟いたその時の、目を知っている。遠くを見る目だ。


「夢を見せて、しまったのですね」

 吟遊詩人は夢を売る。英雄譚に恋物語、神話に伝説、それらはすべて遠い世界の物語であり、見せるのは仮初の夢だ。どれだけ物語を披露しようと、夢は夢のままで終わる。


 けれど、マデリンはその手でノエの旅を一部分を作ってしまった。たかがお菓子のレシピでも、それは本来ならば村娘が一生知るはずのないものだ。マデリンは別世界に指先を触れてしまった。その手に知識と可能性を握らせて、ノエは、手が届きそうな現実感を伴う夢を見せてしまった。


 自分に向けられた、羨みの言葉を思い出す。確かにノエは、広い世界を旅してきた。けれど、その旅の始まりは望んでのものではない。ただ、さすらうしかない一族に生まれたというだけ。詩人として生きることに誇りはあれど、道を選べたことはなく、幼い頃のノエは、旅を、広い世界を愛せなかった。


 去っていくマデリンの背中が、幼い頃の自分と重なる。あの頃別世界の訪れを叶わぬ夢のように見ていたのは、ノエも同じだということを思い出す。

 時世は穏やかである。大きな戦もなく、取り立てた災害もなく、王は民思いであり、この国に生ける民は、数十年に比べれば遥かに幸福だ。


 だが小さな村の少女が外の世界を夢に見たとして、それを叶える力はない。誰しも生まれ方を選べない。自由も選択も贅沢品で、生き方を選ぶことすら難しい。この世はまだ、そういうところだということを。紫の瞳を持って生まれたノエはよく知っている。




   2




 約束の時間に間に合うには、少し急がねばならなかった。ノエは村を出て、森に入り、坂を登り、崖の上へと辿り着く。そこには見慣れた石造りの小さな家が建っている。潮風に蝕まれたノッカーをいつものように鳴らし、家主を待たずに扉を開ける。


「おまえにしては遅かったじゃない」


 海辺の魔女、レーラ。青白い肌と波打つ銀髪を持ち、群青の瞳をした、夜色のドレスを纏う陰鬱な美女は、窓辺の椅子に腰掛けたまま視線でノエを出迎える。柔らかに耳を溶かす声は、花園にて大切に育てられたか弱い白薔薇を思わせるもので、レーラの仄暗い雰囲気にそぐわない。初めてその声を聞いた時は驚いたものだが、今では声に聞き惚れるよりも、皮肉と悪態と、素っ気なく不器用な親切に、安心することの方が多くなった。


「ノエどの! よくぞおいでになりました!」


 続いてもうひとり、ロビンソンが長年の友人を出迎えるように両手を広げる。


「いや私の家だってば。なんでおまえがそれを言うんだ」

「わはは。というか、お招き預かったのもあたくしの方でしたなぁ」

「ほんとにね?」


 鷲鼻の仮面で顔の上半分を覆い、針金のように長い手足に貴族めいた礼服を通した魔術師は、今日の茶会の参加者だった。今日は丁度ロビンソンが定例の物資の取引でレーラの家を訪れる日だ。茶会は無しにしてもよかったのだが、どうせならばと彼を誘って開くことにした。

 ここしばらくの間、ノエはレーラにお茶の淹れ方を教えていた。此度のロビンソンは味見役として、成果を披露する場を設けたい、というノエの提案だった。正直なところ、その提案が受け入れられると思っていなかった。だがレーラはあっさりと『いいわよ』と言った。


『別に、茶会に魔術師がひとり増えたところでかまやしないでしょ。おまえと既に面識もあるのだし』


 受諾のわけは、理屈には合うものの、少し前ならそんなことは言わなかったのではないか、とノエは思う。


 ──妖精魔女との夜会の日から、ノエとレーラの関係に、僅かに変化が生まれていた。



「いやぁ、レーラ様から茶会の誘いなんて初めてです。その上ノエ殿もいますからね! あたくし、張り切ってお土産を用意したのですよ」


 ロビンソンが黒い布をテーブルに被せ指を鳴らす。テーブルの上に魔術で持ち込まれる土産とやら。雪の積もった城のようなクリームのケーキ、色とりどりのメレンゲ菓子やジェリーは目にも賑やかな宝石箱のようだ。その様にノエは思わず惚け、レーラは逆に呆れ顔をする。


「おまえの差し入れ、相変わらず物量がおかしいわよね」

「ついついと盛ってしまいまして。あたくしのような人間辞めかけの半端者は、レーラ様と違って腹ぺこになりやすいもので」


 レーラはノエの持つ籠に気付く。いつもの、菓子が入った籠だ。


「あら、おまえも持ってきたの? こうなるだろうから今日はいらないって言ったのに」

「村のお嬢さんがご好意で用意してくださったのです」

「そう。なら、受け取らないわけにはいかないわね」


 と素っ気無くも機嫌良さそうにレーラは籠を受け取り、隙間を開けたテーブルに置く。なんだかんだとレーラは、村娘の作る菓子を気に入っていた。


「お茶の用意をするわ。おまえたちはそこで待っていなさい」


 てっきりノエが淹れるものだと思い込んでいたロビンソンは仮面に覆われていない部分の肌を青ざめていた。レーラのお茶の、言い様もしれないあの苦さを彼もまた知っていたらしい。今更帰るとは言えず縮こまるロビンソンに「大丈夫ですよ」とノエは笑いかける。そうしてカップに注がれる、半透明の液体に、ロビンソンは恐る恐ると口を付けた。


「美味しいではありませんか! 普通に!」

「そうでしょうとも」


 得意げにレーラは頷く。普通というのは褒め言葉なのだろうか、と思いながらノエもひと口。及第点以上に美味しいお茶だ。


「結構大変だったんですよ。レーラさまったら、魔法薬の作り方でお茶を淹れてたんです」

「それはまた。良薬は口に苦しで納得です」

「……仕方ないじゃない。ほとんど独学なんだもの」


 魔法を混ぜないように作るというのはレーラにとって、かえって難しいものだった。お茶はなんとかなったかが、菓子などはなんとかなる気がしない。向き不向きを理解した。


「これでおまえも、お茶が出る前に慌てて帰らずに済むわね」

「ばれてました?」


 ノエは思い出す。初めてロビンソンと顔を合わせた時も、慌ただしく去って行ったのだった。


「そういえば。あの後、ナターリアさんはどうなりましたか?」

 あの時、鳥籠屋は歌えなくなった小鳥の修理を依頼しにやってきたのだった。結局ロビンソンの依頼ではなくナターリアの依頼を、レーラは受けることにしたのだったが。


「ええ、無事に売れましたよ」


 無事に、という部分に本心の安堵を含んでロビンソンは答える。


「歌えなくなったにも関わらず、意外と欲しがる人間はいたのです。むしろ都合がいい、お買い得だなんだと言って買い叩こうとしやがりまして」


 カップ片手に肩を竦める。その動作の最中、中身のお茶は少しも揺れていない。「いやほんと、当方の商品を舐めておりますな」とぼやく。


「しかしそんな中、ひとりの青年が現れたのです! どーうしてもナターリアが欲しい、と!」


 とある富豪の従者だった青年は、決して道楽に耽る余裕がある人間ではなかったが、青年は金をかき集めて訴えたそうだ。提示したのは歌声のあるナターリアの価格には遠く及ばないが、声のでないナターリアとしては破格の額。


「その情熱たるや! あたくしはもう感心して、その彼に卸しましたとも。いやぁ、彼がどうやってお金をかき集めたのかに思いを馳せるだけで、粥が進みますな!」


 きっとその青年が、ナターリアの想い人だ。


「良い買い手が見つかって、よかったですね」


 ロビンソンに合わせた言い方の裏でノエはナターリアの幸福を祈る。


「ふん、そううまい話があるもんですか」


 対価の支払いは十年後だ。まだ、どうなるかわからない。レーラは捻くれて小さな砂糖菓子を口に入れる。甘い結末なんてそうそうあるものか。


 ロビンソンの用意した菓子は美味しいのだが、慣れた味がふと欲しくなり、レーラは籠に手を伸ばす。覆い布を外すと、香ばしい焼き菓子の香りが立ち上った。ひとつ、手に取る。


「貝の形のケーキかしら? 貝殻を型に使ったのね」


 初めて見る菓子だが、なんとなくいつも通りの味に安心する。言葉通り毎度同じ味というわけではない。むしろ回を重ねるごとに上手くなっているように感じる。その感覚が、いつも通りなのだ。かの村に関わる気はないが、顔も知らない作り手の村娘のことを、レーラはそれなりに好ましく思っている。先日、齢をノエから聞いてその幼さに驚いたものだ。


「……ふぅむ」


 ロビンソンはひょいと口に放り込んだのち、何やら悩ましげな声を上げる。複雑な味わいではない。出来でロビンソンの持ち込んだ高級菓子には敵うべくもない。しかし……


「ねえ。その村娘のこと、買い取れないかと考えてない?」

「ぎくり」

「おまえ、芸のある娘が好きだものね。特に若いのが」

「育て甲斐も売り甲斐もありますからな!」

「育て甲斐、ですか」

「ええ、ノエ殿のように既に完成されているのも良いですが。幼子ほど欲しくなる」

「子供好きということですか?」

「子供がというよりも、単に若い才が好きなのです。好き過ぎて、才があるのに先がない子を見かけたら連れ帰ってしまうのです」


 鳥籠屋の仕入れる娘は孤児や恵まれない家の子が多いという。


「才が腐りゆくのは惜しいもの。いらないなら、あたくしが拾って磨いてもいいでしょう?」


 それは鳥籠屋が道楽だという説明であり、理由だった。


「あ、攫ったりはしてませんよ。昨今は合法の売買をですね! ちゃんとうちの商品にならないか、と本人に合意をとっておりますので。安心安全!」

「いや、おまえが魔術師の時点で違法だと思うんだけど?」


 胸を張るロビンソンに、何故かレーラの方が人の世の理を説く始末だった。

 ノエは焼き菓子を味わいながら、マデリンのことを考える。ロビンソンが何を言っても人売りであることに違いはない。だが〝惜しい〟という動機には共感できた。自分は、惜しむだろう。マデリンがあのまま俯いて生きる未来を。かつての自分と重ねてしまうほどに、踏み入ってしまったのだから。

 ただの村娘が外の世界に出ることが、難しいことに変わりはない。けれどもし彼女が本当に広い世界を望むならば、道はあるかもしれない。



 今日の目的は茶会だけではない。ロビンソンとの定例の取引もある。忘れぬうちにレーラは頼まれていた薬類を引き渡す。


「はい、確かに受け取りました」

「次回だけど、秋季の終わりでいいかしら?」

「いや、次回はひと月ほどずらしていただけるとありがたいです」

「……ああ、そうか。祝祭の時期ね」


 秋季の終わりには、この国の王の在位を記念する祝祭がある。


「祝祭の前は大きな魔女狩りがありますからね。ちょっとバカンス、いえ身を隠す予定でして」


 人の世を乱す悪しき魔術を取り締まるため、教会が行う〝魔女狩り〟。人の世では魔女と魔術師は混同されがちで、実質のところはただの魔術師狩りだ。


「今の王はまだ、先々代の、末の王子から変わっていないの」


 取引の間身を引いて、端から話を聞いていたノエは、ふと疑問に思う。妙な言い表し方だ。俗世に疎いレーラは、王がまだ王子だった頃の昔の記憶で話しているのだろうか。


「ええ、在位ももう四十年になりますか、時の流れは速いものです」


 何やら感慨深げだった。


「即位したばかりの頃は『遊んでばかりのぼんくらだ』とか、『先代兄王を暗殺して王座を奪った』なーんて噂もありましたが」


 この魔術師はやはり、見た目通りの年ではないらしい。しみじみと昔話に脱線していくさまは、胡散臭い外見を除けば市井の老人のようだった。


「今じゃ民衆に愛される賢王呼ばわり、いやはや人間どう化けるかわかりませんな。お后様も立派な方で……」

「その話は、もういいわ」


 話の途中で、不満げに遮るレーラ。「これは失敬」と肩を竦めて魔術師は言って、話題を戻す。


「ま、あたくしは捕まるような下手は打ちませんし、魔女狩りなんて言っても季節の風物詩みたいなものですが」


 魔女に伝を持つ時点で一流の魔術師、魔女狩りで捕まるのは三流の小物や、出来心で魔術に手を染めたにわか者ばかりだ。


「どちらかというと、ノエ殿の方が大変なのでは?」


 黙って聞いていたノエに話を振る。本物の魔女や魔術師よりも、それらに関りを持つ人間の方が捕まりやすいものだ。


「おまえ、普段どうやり過ごしてるの」

「その時期は私、真面目に本業に勤しんでいますよ。経験上ですが、教会前の広場とかで堂々と歌っているのが一番疑われません」

「面の皮厚いわね」

「全然これっぽっちも魔女と通じたりしてませんって顔、得意です」


 にこにこと、呑気に笑うノエ。なるほどこの面下げて、とレーラは納得する。


「祝祭の頃はしばらく、町に行こうと思います。少しやりたいこともありますし」


 それはマデリンについてだ。町に何かあてが見つかるかもしれない。当人にその気があるかわからないが、希望を抱かせた責任くらいは取りたかった。


「そう。楽しむといいわ」

「あ、レーラさまも一緒に来ます?」

「は? 魔女狩りがあるって言ってるのに、魔女と一緒にいてどうするのよ」


 飽きるほど見た呆れ顔で、嗜めるレーラ。かつて似たような誘いをしたことがある。

『行かないわよ。面倒くさい』と、あの時はすげなく断られるだけだった。だが、今のは。ノエははっとして、前のめりになる。


「では! 祭りが終わったら、一緒に町へ行きませんか!」


 レーラは口を開けたまま、呆れ顔を困惑に変えた。今の流れで何が「では」になるのかわからない、と言った顔でノエの提案を思案する。


「…………まあ、そのうち。町に用でもできれば、ね」


 手応えのない生返事。けれどそれはやはり、拒絶ではなかった。


「ええ、ええ! 楽しみにしています」




   3




 レーラの家を出た帰り道。


「随分と仲睦まじくなりましたな」


 日暮れの森で、ロビンソンと二人きりになった後、彼は言う。


「まったく不思議なことです。レーラ様がどこからか流れ着いて以来長い付き合いですが、こんなふうに懐に入ったのは、ノエ殿が初めてではないでしょうか」

「どこからか流れ着いた? レーラさまは、異境の出だというのですか?」


 レーラと旅、その二つは噛み合わない印象だ。


「ふむ。別に意外に思うことじゃないでしょう。あの方は、魔女ですから」


 魔女とは何か。ノエに確認するように、ロビンソンは定義を語る。


「魔女の性質は〝傲慢〟です。生まれながらに力を、願いを叶える術を持っているが故に、気紛れと奔放を世界から許されていらっしゃる」


 たとえば妖精魔女のアンゼリカのように。


「魔女はこの世で最も自由な生き物ですから。レーラさまがどこから来たって不思議じゃあないでしょう?」


 ノエは「おっしゃることはわかります」と、頷いて。


「ですが、レーラさまは。他の魔女さま方とは違うように思うのです」


 あの小さな家で、レーラは、海が嫌いだと言った。自由に飛べる手段があるのに、初めからどこへだって行けるというのに、嫌いな海辺に留まり続けている。

 まるでそれは、自ら望んで鳥籠にいるようではないか。ノエはレーラが、何かに縛られているように思うのだ。そうでなければあんな遠い目で、愛を知りたいなどと望むだろうか。

 ロビンソンは、仮面の下の口を真一文字にして、ノエの反論をしばらく吟味し、


「……ああ、なるほど。ノエ殿は、レーラ様に〝人間らしさ〟を見出していたのですな」


 図星を、ひとっ飛びに指し当てた。


「確かに、レーラ様は、超常の魔女であらせるのに卑屈なことを言いなさる。欲望のままに振る舞うこともなく、口から出るのは皮肉と憂鬱ばかり」


 力をひけらかすこともなく、強さを知らしめることもない。


「柔らかいのでしょうな、その芯が、その心根が」


 優しい、という形容を彼は選ばなかった。


「柔らかさは、言い換えれば弱さです。強者たる魔女が持ち得ぬはずの、それが、まるで人間のような味を醸し出している。──だから、そんな錯覚・・を抱いたのでしょう」


 ノエの所感を錯覚だと断じられ、ほんの少し目元が強張る。僅かな表情の変化に、仮面の男が気付いたかどうかは知れないが。


「ああ、別に、意地悪を言いたいのではないのですよ。これは、前提の話です」


 いつになく穏やかに諭す。「数多の物語を知るノエ殿は当然、ご存知でしょうが」と前置いて。


「人と人ならざるものの、違いの話です」


 人外には二種類──幻想と、怪物。幻想は神と人の間の生き物。人間のよき隣人となり得る可能性を持つもの。怪物は悪として生まれる化物。時に人間を食い物にすらする魔性だ。性質の違うそれらを、一括りに〝人外〟と呼んでしまうには理由がある。


「曰く、人間には永遠の魂があり、人外にはそれがない」


 人間の世にも人外の世にも、神の物話は数多くあり、めいめいが違う物語を信じている。けれど不思議なことに、千差万別の物語の中で〝魂〟の伝承については一致しているのだ。まるでそれが、この世の不変の真実であるというように。

 ロビンソンはこきりと首を曲げ、〝前提の話〟をする。


「ノエ殿は、レーラ様の正体を知らないでしょう?」


 魔女レーラは出自について、他の魔女にすら語らない。だが、アンゼリカよりも長い付き合いのロビンソンには、知っていることもある。


「お代は要りません。これは人間の貴女へ、未だ人のつもりの魔術師から、老婆心の忠告です」



「──あれは、〝怪物〟の魔女です」



 告げたのは、より分かり合えぬ方の名だった。忠言を更に連ねる。


「あれは魔女であり、怪物であり、生まれながらにしての魔性。どれほどレーラ様が人間に似ていても、涙を流すことはありません」


「瞳は潤む。欠伸はする。けれど、悲しくて泣くことはない。心が涙に溶けて、落ちることはないのです」


「それは彼女たちの心の在り方が、人間とは違うということ。人とは違う、ものだということ」


 人間を捨てようと生きる魔術師は、仮面の下で真っ黒な目を細めて。


「そのことを忘れてはいけませんよ、お嬢さん」

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