第6話 妖精魔女は愛に迷わない(下)
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魔女の夜会。馴れ合うことをしない魔女たちも、時に交流の機会を設ける。人間の世では〝退廃と享楽の
海水にずぶ濡れになった二人の身を、魔法で清めさせた後。
「とりあえず火と食べ物と音楽があればいいのよ」
そう言ってアンゼリカは夜会の場を作り始めた。ノエとアンゼリカが対峙したこの窪地。そこへ勝手にレーラの家の椅子やテーブルを、指を振って動かし並べていた。
ちなみにノエは不在だ。『アナタの料理が食べたいわ!』と材料もないのに無茶振りをされ、調達へと向かった。「このくらいは無茶のうちに入りません」と完全に調子を取り戻していた。
レーラは、何故自分が夜会の数に含まれているのかと疑問に思いながら、アンゼリカの用意を眺めていた。ひとり家に帰って寝てもいいのだが。「二人じゃ夜会にならないじゃない!」などと言いくるめられて、ここにいる。
アンゼリカは、山程の贈り物と同じように楽器を出現させ、周りの木々に花を飾り、そして窪地の中心には大きな篝火を用意する。
「これでよし。妖精魔女にふさわしい、かわいい会場になったわ。ノエが喜んでくれること間違いなしね!」
妙に可憐な花々を飾り付けられた木々に、レーラは同情めいた眼差しを向ける。緑生茂る季節とはいえどことなく陰鬱な森だ。明るい花々は森の雰囲気にあっていなかった。
「ねえ。おまえはどうして、あの娘に惚れたの」
ノエを気に入った理由を、聞いてみることにした。アンゼリカは指先を唇に当て、しばし考え込み、あっさりと答えを口にする。
「あの子といる時間は楽しかったって、気付いたのよね」
「それだけ?」
予想はしていたが、浅い。
「それだけよ。でも、それだけで、海の底に行かせるには惜しくなった」
アンゼリカは続ける。
「ワタシたちが、誰かに〝惜しい〟なんて思うのは、生涯で何度あるかしら。悩んでいたら花は枯れる。花妖精は皆それを知ってるわ」
たとえ浅くても、考えなしではないと示すように。とびっきりの花のように美しく微笑んだ。
「だからね、それだけで、惚れたってことでいいのよ」
愛浅くも確かに恋する妖精は、そう、迷いなく言い切って。赤い瞳を柔らかに細める。
「だからレーラ。……あの子の願いをちゃんと、諦めさせてね」
「言われずとも。私があんな願いを叶えるはずがない」
抵抗する方が疲れるならば基本、レーラは早々に諦めるたちだった。夜会の参加についてもそう。他の魔女たちのように通すべき我はない。だがノエの件は、例外だ。
「精々対価だけ無駄に支払わせてやるわ」
「海辺の魔女は対価に愛の物語を、だったわね。レーラって本当物好きなんだから」
「別に好きじゃないわ」
「好きじゃないのに集めてるの? どうして?」
レーラは口を噤む。アンゼリカは不思議そうに目を瞬く。
「あなたって、変な魔女よね。時々なんだか、魔女らしくない」
魔女らしい魔女。それはきっと、アンゼリカのように自由気ままな者を指す。自由も気ままも、どうにもレーラには似合わない。
「あら……? そういえば。レーラって、何の魔女だったかしら?」
「海辺の魔女」
「そうじゃなくて。私は花妖精だけど──アナタって、『何』だったっけ?」
レーラの纏う空気が一変する。気怠げなそれが、澱んだ冷たい水のように。けれど、アンゼリカは気付かず口ずさむ。
「怪物? 幻想? 水妖精の類かしら?」
肩を掴む青白い腕。見開かれた瑠璃色の双眸。瞳の中に映し出され、アンゼリカはようやく息を飲んだ。その目は、恐ろしいまでに澄んでいた。正気を捨て去る淵の色。
「それを。──二度と私に、聞くな」
「お待たせいたしました。泉の方で、お魚を捕まえてきました!」
レーラは、はっと我に返る。ノエが帰ってきた。
「……早くないかしら」
海に出るには崖を降りなければならない。ここから近い泉の方に向かったのは理解できるのだが。狩猟採集というのは時間がかかるもののはず。ノエの手の中には籠があり、その中には数匹の魚がびちびちと跳ねている。
「慣れれば素手でいけますよ」
「人間?」
網とか釣竿とか文明はどこへやったのか。
アンゼリカが用意した簡易の調理場、という名目の簡素な台の上にレーラの家から持ち出した塩やら香草やらを並べる。ノエはそのまま大振りのナイフをスカートの中から取り出して、平然と下処理を始めた。
「なんなのおまえ」
「詩人です」
「そうじゃなくて」
「数年ほど侍女をやっていました」
「知ってる!」
そういやこの質問は、先程レーラがアンゼリカにされたばかりだった。自分が答えなかった質問を
「生まれは旅芸人、紫の一団──砂漠越えを為え、山脈を越え、旅をする一族です。護身術、生存術は嗜みですわ」
興味深そうにノエの手元を見ていたアンゼリカが相槌を打つ。
「紫の、といえば歌って踊れる傭兵みたいなものだって、物知りのロビンソンに聞いたわ」
「お恥ずかしいです。わたしなんてとてもとても。詩とお茶くらいしか取り柄がなくて、その辺で使い物になるのは精々逃げ足くらいです」
と恥じらいながらも、異様な手際で皮を剥いでいく。レーラはそれを引き気味に見ていた。
レーラは料理という概念に馴染みがない。ばらばらになっていく魚は死体にしか見えない。口にするに抵抗がないのは、見目にも良い菓子と飲み物だけだった。
「……おまえ、もっと繊細なものを作るやつじゃなかったの?」
今日のクッキーなど、かわいらしかったのに。顔を上げたノエは、疑るようにレーラを見た。
「まさか、いつものお菓子、私が作っていると思ってたんですか? あれは村の、料理が上手なお嬢さんにお願いしたものですよ」
信じられない。ノエが作り手ではないというのはまだしも。ありふれた漁村の村娘なんかが、あんなに綺麗な菓子を作れるものだろうか。
「レシピと材料は私が」
なるほどそれならあり得る、と頷く。確か材料はとある魔女と取引して得ていると言っていた。素材は文句なしに上等だろう。
「そこまで揃っているのに、自分では作らないのね」
「レーラさま、ご存じないのですか。人間には、向き不向きというものが……あるのです」
いつもの杵柄はどこにやった。
「ですが野営は十八番です。お任せください」
ぬらぬらと魚の汁で光るナイフを手に、誇るノエ。
「アンゼリカ。野営って言ったわこの子。おまえの期待するような料理は出てこないわよ」
「ワタシ、ノエの作るものならなんでも好きよ?」
ばらばらに解体された魚の側で頬杖をつきながら、睦言のように甘い声を出す。ノエは言われた当人にも関わらず、感心したように頷く。
「完璧な返答ですね」
慎ましい料理が出来上がり、ささやかな夜会は始まる。
三人きりの夜会は、それなりに賑やかだが、騒がしくはなかった。
アンゼリカのとっ散らかったお喋りをノエが丁寧に拾い、一連の流れある会話に繋げていく。
ノエは旅の話をしたり、アンゼリカにせがまれて、レーラに出会ってからの話をしたりする。その中にはナターリアの話もあった。勿論、彼女の秘密は秘密のままだ。
レーラはそれを観賞しながら、杯を傾ける。料理を食べられないことを見越して、ノエはレーラの家の備え付けの葡萄酒に、果実と香辛料を加えて差し出した。レーラの嗜好を把握して用意されたそれはたいそう甘かった。
宴もたけなわ、尽きぬお喋りの最中。はた、とアンゼリカは口を閉ざし、立ち上がる。
「思い出したわ。ワタシからの贈り物、開けてもいないじゃない」
「あれは断られていたでしょ、忘れたの?」
「覚えているわ。アンゼリカの気持ちに応えられないから、受け取れないって」
アンゼリカは指をぴしりと突きつける。
「それってつまり、見返りを求めなければ受け取ってもらえるってことでしょ?」
随分と物分かりが良い。軽い頭はもしかして、同時に柔らかくもあるのだろうか。
「ね、ね?」と期待するアンゼリカの目を見て、ノエは申し訳なさそうに言う。
「アンさま。私は旅人なので、多くを持ち歩くことができないのです」
魔法薬の材料を集めるだけで手一杯、それも普段は別なところに預けている。
「ですから、受け取れるのはひとつだけになりますが……それでも、よろしいですか?」
「わかったわ。じゃあ、余ったものはレーラにあげる。アンゼリカったらやさしいのです!」
別にいらないのだが。そう言う間もなく、アンゼリカが指を振る。この場に移動してくる贈り物の山。そしてひとりでに包装が開く。
まず鮮やかな青のドレスが目に付く。親切なことに、ロビンソンによる解説までついていた。
『どんな方にもサイズぴったり! な魔法のドレスです。身に付けた人間が偶然次々と死んでいるのが玉に瑕ですが』
ペンダントの形をした
『これを身に付けると危機を感じなくなります。殺されても気付かなかった方もいるとか。心配性で夜も眠れぬ方におすすめですな』
光沢ある赤黒い靴。
『履けばたちまちに上手に踊れる魔法の靴です。ちょっと足の感覚もなくなるのが困りもので、かつてこれを履いた娘は死ぬまで踊り狂ったとか』
ひとつひとつを手に取り解説を読み、レーラは片手で顔を覆った。
「…………最悪」
「そ? 人間が身につけても多分大丈夫な程度の、魔法の品だと思うけど」
「多分、でいいわけないだろう」
魔法と呪いの違いは曖昧だ。大抵において良い結果をもたらすのが魔法で、悪い結果をもたらすのが呪い。見方と受け取り方の問題だ。
そしてこれら魔法の品々は、レーラには呪いの品にしか見えなかった。鳥籠屋に不良在庫を体よく押し付けられたんじゃないだろうか? 目眩を錯覚しながら苦言を呈する。
「アンゼリカ。おまえ、適当に選んだでしょう。こういう贈り物ってのはね、相手のことを考えて選ばないといけないのよ」
アンゼリカは目をぱちくり、へぇ、と感嘆。
「そうだったの? レーラって、人間の作法に詳しいのね!」
うっ、と息を詰まらせる。どう考えても恋物語ばかり摂取した弊害だった。魔女としての沽券が痛むような気がして目を背ける。背けた先でノエと目が合った。ノエもやはり苦笑を浮かべていた。
「どれもちょっと……私には、手に余りますね」
「難しいのね。こういうのって」
アンゼリカはしみじみとそう言って、心なしか縮こまる。数刻前のアンゼリカにはあり得なかった態度だ。
〝人間の友〟という枠が、アンゼリカの奔放を縛る枷になっていた。言葉による定義は一種の魔法、人間にも使えるまじないだ。
ノエはその様子に、罪悪の念を僅かに覚える。我ながら業が深い行いだと思う。だからノエはせめて友に、繊細なつぼみに手を触れるように、言葉を選ぶ。
「アンゼリカさま。もしよろしければ。花を一輪、いただけますか」
「花?」
アンゼリカは、身体に纏わり付かせた蔓から花を一輪摘み取る。選んだのは淡紅の野ばらだ。アンゼリカの身体から離れたその時から、野ばらは萎れ始める。ノエはそれをそうっと受け取り、髪に挿した。
「こんなものでいいの? 萎れてしまうのに?」
「萎れてしまっても、思い出は忘れません。それが私にとって、一番の財産です」
「……そう、ノエは。忘れないつもりで生きているのね」
紅の瞳に浮かぶ、大人びた慈しみは、ほんの一瞬。
「なら、素敵なものをたくさん見せてあげるわ!」
アンゼリカは、ノエの手を引く。篝火が煌々と燃えている。夜会はまだ、終わらない。
花妖精の魔女アンゼリカ。
彼女は、純粋で、浅はかで、我儘で、けれども決して、愚かではない。何故ならアンゼリカは、花妖精の中で一番に長生きと言える存在なのだから。
幻想である妖精に、人間のような永遠の魂はない。不老であり不死に近しいのが妖精だ。だが、その中でも花妖精は、個々の〝記憶の寿命〟が、人間よりもずっと短い生き物だった。
花妖精は不死鳥のように転生する。季節が巡るごとに咲き誇り、枯れては生まれ直す。彼女たちの存在は同一だが、その記憶に連続性はない。記憶儚く、思い悩む暇ない彼女たちの性質は純粋無垢。
ただし魔女たるアンゼリカは、転生の周期が、他の花妖精よりもずっと長かったのだ。ひとりだけ、皆とずれた周期で生きている。枯れては咲きを何度と繰り返し、記憶を失いながらも、アンゼリカは悟った。
──頭は空っぽな方がいい。寂しさや悲しさはすぐに忘れてしまった方がいい。
──そうでなければ。忘れるよりも忘れられるばかりのアンゼリカは、孤独を知ってしまう。
さいわいにして、アンゼリカは魔法を多く操る力を持っていた。生まれながらに願いを叶える力を持つ魔女に、手に入らぬものなど何もなかった。であれば花妖精としては長すぎる一度の生にも、楽しいことはいくらでもある。それがアンゼリカにとっての幸運で。
──手に入らない女を愛してしまったことが、不運だろう。
ノエの手を引いて飛びながらアンゼリカはそこまで考えて、その考えが「暗い、暗いわ、なってない」と思ったから、数秒後には忘れることに決めた。だがその前に、ノエに話をしよう。
「ねえノエ。ワタシやっぱり、ノエが欲しいわ。アナタを連れて帰りたい。……だけど、今は
「……それにね。アンゼリカは魔女だもの。いつまでだって待てるわ。アナタが応えてくれるその日が、いつか来ることを、諦めたりはしないんだから」
篝火の灯りに、ノエの顔が照らされる。髪に挿した野ばらは、熱に当てられて弱っていく。
アンゼリカが惜しんだ人間の少女は、
「はい」
と、ただ、力強く、肯定を返す。『アナタを諦めない』、その宣言が、どれほど都合の悪いものだとしても。諦めの否定は、どうしたって、ノエにはできなかったから。
その葛藤に、妖精の魔女が気付いたかどうかは定かでない。
「難しいことは、もうおしまい!」
アンゼリカは満面の笑みを咲かせて、指を振る。
「さぁ、〈──
篝火から炎の使い魔が飛び出して、夜会を彩る炎の演舞が始まる。
忘れない、と言ったノエのために、アンゼリカは楽しい今を燃やすのだ。
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レーラはテーブルに残ったまま、夜会を楽しむ妖精と人間の娘の様子を、遠巻きに見ていた。
炎の使い魔に踊らせ、新しくこの場で作り出した木の使い魔に楽器を弾かせ、ノエとアンゼリカは二人して踊りに興じている。次々と音楽を変えては踊りの種類を変え、体格差すらものともしない。ノエはこんなところでも器用だ。
夜会の基本は酒に料理に、歌と踊り。それらはレーラにとって本来退屈なもので、夜会を苦手とする理由だった。レーラは酔わず食べず歌わず、踊れもしない。あの輪の中には入れない。けれど不思議なことに、今夜は、退屈を感じなかった。
音楽が止み、ノエがレーラの元へと帰ってくる。どうやら小休止らしい。
頬を紅潮させて戻ってきたノエが、椅子に着く。それを横目に、レーラは頬杖をつきながら。
「おまえは、何かを楽しむのが上手なのね」
ノエは両手に抱えた杯を一口、水で喉を潤して。
「自覚はあります」
と。レーラのそれが、褒め言葉ではないことを理解した返しをした。そのかわいげのなさに、レーラは唇を歪める。
「確かに皮肉が半分だけど。半分は、感心しているのよ」
ノエはぱちぱちと瞬きをして、何故だか恥じるように眉を下げて笑う。
「ありがとうございます。……でも、それは私ができた人間だから、とかではないのです」
「そういや、おまえが、どんな人間なのか。どんなふうに生きてきたのか。知らないわね」
相変わらず、レーラはノエと顔を合わせないまま。
「聞かせなさい。少し、興味が湧いた」
ノエは、少しの間沈黙し、「面白い話ではありませんが」と憚って、静かに言葉を紡ぎ出す。
「長く、旅暮らしでした。侍女としてひとところに留まった時期もありますが。幼い頃は一族で、一人前になってからはひとりで、ずっと」
星の瞬く夜空を見上げ、ノエは、自らを語る。
「旅は好きです。様々な出会いがあり、そこには絶えず物語が生まれます」
声は抑揚なく、けれど聞き取るに不足ない。
「物心ついた時からそうだったので、旅に生きることを、疑問に思わなかったのですが……それは、確かな形のあるものを手に入れられない生活でもありました」
思い出こそが財産だと言った。誇張でも比喩でもなく、本当に、記憶だけが持ちうるすべてなのだ。
「すべてのものは移りゆく。
その時抱いた感情、目に焼き付いた景色、それらを記憶し、記録し続ける。
「その時その時を楽しんで、心の内にのみ、大切なものをしまっていく。私は、今この瞬間を楽しむ以外の生き方を知らないのです」
それは、今を楽しむのが上手い、という話ではない。いずれ過去に至る今を大切にしているに過ぎないのだ。
ノエの話は遠回りだ。言葉を選んで探す、迷子の渡り鳥。けれどその言葉は魔法のように、魔女に伝わってしまう。それがノエという吟遊詩人の少女の
「おまえは、望んで過去に囚われる生き物なのね」
その言葉に、ノエは否定をしなかった。眉を下げて微笑む。
レーラの心に、細波が立つ。ノエから目を背け、眩く燃え立つ篝火を睨む。
篝火のもとのアンゼリカはひとりで使い魔を操りながら、次に奏でる音楽は何にしようかと、楽器をとっかえひっかえしている。
この夜会の場は、アンゼリカが魔法によって用意したものだ。夜明けとともに、夜会の跡も消えるだろう。期限付きの魔法はいつだって夜明けに解けるものだ。期限が十年目であれ、百年目であれ、夜明けと決まっている。それはまるで、夢から覚めるみたいに。
『楽しめばいいのに』と、魔女らしく在るが儘に生きる妖精は言う。
『楽しむ以外を知らないのです』と、魔女よりも強かに歩む詩人の少女は言う。
──私だってわかっている。享楽だけを追い求める生き方、それが、本当は魔女として一番〝らしい〟のだと。
アンゼリカが、次に奏でる音楽を決めたようだった。楽しげに、使い魔たちの指揮を執る。次の曲はゆったりと流れる三拍子。円舞曲だった。ノエはその曲に、吐息を漏らす。
「……懐かしい曲です」
何も特別にしないか、あるいは全てを特別にするか。それが自分の在り方だとノエは言った。だがレーラは知っている。〝海の底〟を目指す執念を。ノエには、例外を定めた何かがある。
どれほどその過程を楽しみ生きようとも、ノエの目的は、その終着点は楽しみとは程遠い。どれだけ明るく、どれだけ器用でも、所詮
盗み見る、未だあどけなさを残す横顔。──ばかなやつ。レーラは憐むように目を細めた。
──その願いに、想いに、身を投げるほどの価値があるものか。
否定の言葉を丸めて飲み込んで、レーラは篝火へと視線を戻す。アンゼリカと木の使い魔たちが演奏する円舞曲に合わせ、炎の使い魔たちがくるくると踊る光景は目にも華やかだ。
「ねえ」
顔を見ぬまま、問いかける。
「踊りって楽しいの? 私、やったことがないから知らないの」
「私は好きです。ダンスもまた、吟遊詩人に縁深きものですから」
「そう。ならば」
レーラは立ち上がり、あるものを取りに行く。戻ってきたレーラの手には、アンゼリカの贈り物、ロビンソンの在庫処分、問答無用で踊らせるという呪いの靴が、摘み上げられていた。
「おまえたちの楽しみに付き合うのも、今夜くらいはいいでしょう」
レーラは呪いの靴に足を通す。
──執念なんてくだらない。享楽に身を任せるのが魔女の本分だ。
「一曲付き合いなさい」
ノエは、驚いて。笑顔で立ち上がって、その命を受け取る。
「はい、レーラさま」
スカートを摘む
レーラはふっと息を漏らす。いつもの調子が戻ったじゃない、と呆れた感心も束の間。
靴を履いたレーラの足が、ひとりでに踊り出す。
「っ……」
どうやら魔女さえ容易に踊らせてしまう類の呪いらしい。アンゼリカもロビンソンもなんて趣味だ。
慌てるレーラの両手を捕まえて、ノエは、
「これはいつもの杵柄なんですけど」
茶目っけたっぷりに、片目を閉じる。
「エスコートは、お任せください」
そして瞬く間に、歩調を合わせてみせた。宮廷式の舞踏すらお手の物か。
レーラは負け惜しみのように、ノエを睥睨する。
「おまえ、本当に不思議なやつね」
見つめ返す菫色の双眸が、猫のように微笑んで。
「秘密の多い人間はお嫌いですか、魔女さま?」
レーラは人間になど興味がない。だがノエは、例外にするだけの価値があるかといえば──決まっている。
はっ、とレーラは笑い飛ばす。
「嫌いなわけがないじゃない」
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