第2話 小夜啼鳥は恋を歌わない(上)

 その姫君は美しい歌声を持っていた。

 『ひと度歌えば、どんな舟人も恋に落ち水底へと身を投げるだろう』と人魚は皆々賛美した。

 けれども姫君はある時から、誰に乞われても、歌を披露することはなくなった。


「賞賛なんて飽き飽きよ。わたし、そんなものは欲しくないの」


 ──なんとまあ、贅沢なことだろう。


 魔女は、歌など、一度たりとも歌ったことがなかった。

 うるさく囀る姫君の口を縫い付ければ、幾分は気も紛れるだろうか。

 魔女は押し黙り、顔を醜く歪める。



   1



「お茶の淹れ方を教えなさい」


 ある日レーラはノエに言った。

 契約を持ってしても、大きく何かが変わることはなかった。お茶会もお話もこれまで通りに繰り返されて、日々は漫然と過ぎていく。あの契約はつまるところ、どちらが先に折れるかを賭けたものだ。だが、気が長いのはどうやらお互いさまのようだった。けれど。


「舌が肥えてしまった。おまえがいなくなった後、どうしてくれるの」


 初めはお茶の味の違いなどあまり気にならなかった。だが今となっては、あの雑に苦いだけの味に戻れそうにない。それを聞いたノエは、目を輝かせる。


「とうとうレーラさまも取り憑かれてしまったようですね……お茶の道に!」

「取り憑かれてたの、おまえ」


 薬草は魔女の領分のはずなのに、薬草茶ハーブティーとなるとノエの方がよっぽど詳しいのはどうしてか。


「純然たる趣味です。昔取った杵柄ですね。昔お城で詩人として雇われていた頃に、侍女の真似事をしたことがありまして。以来、すっかりと虜になってしまったのですが……このところ披露する相手もおらず困っていたのです」

「変な経歴」


 無駄にカーテシーが上手いのも、エプロンドレスが似合い過ぎているのも、さてはそれか。


「そういえば、最近では遠い異国の茶葉が町で人気だそうですよ。ご存じでした?」

「知らない。あまり興味もない」

「ずっと不思議に思っていたんですけどレーラさまって、その……とっても世離れしてますよね。一体どうやって暮らしているんです?」

「失礼な。森にはそれなりに入るし、町にだって降りるわよ。数年に、一回くらい」


 人間と違って魔女は、生きるために多くを必要としない。食事はただの嗜好品、ドレスは劣化しない一着があれば事足りるし、雨風をしのぐ必要すら本当はない。本が濡れるのは困りものだから屋根は欲しいが。


「言っておくけど、おまえが思っているほど世間知らずじゃないから。人の世のことも多少は聞いているわ。──例えば、おまえが私のもとに通うのがどれほど異常なことか、とか」


 人の理から外れた力でしか叶えることのできない願いを抱いた人間は、昔から人ならざる魔女のもとを訪れる。けれど人が願いを、人ならざる者の手を借りて叶えることこそが間違いであり外法。そういう価値観が人間の間では根強い。


「おまえ、近くの村に滞在してるんでしょう。魔女のところに通っているなんて人間にばれたら、ことよ」


 じっとりとした非難の視線を受け、ノエは悪戯を叱られた子供のように笑う。懲りる様子はちっともない。


「大丈夫ですよ。見つかりませんって。だって、レーラさまの魔法はすごいんですから。招かれざる者はこの家を見つけることすらできないでしょう?」

「自分は招かれたみたいに言うんじゃないわ、図々しい。願いを持たない者は見つけられない、そういう結界を張っているだけよ。何の用もなく訪れるやつなんて、懲り懲りだもの」

「森自体にも、人間除けのまじないをかけてありますよね。お肌がぴりぴりとしました」


 この森に入ると、なんとなく嫌な予感がする、くらいの軽いまじないだ。

 人間相手。特に、近隣の村とは折り合いが悪かった。数十年前の話だが、村人が魔女狩りにやっていきたこともある。面倒な話だ。それ以来レーラは村とは不干渉を貫き、結界とまじないで人間を除けている。


「かけてもおまえみたいなのは入ってくるからあんまり意味ないんだけど、ね」


 ここしばらくの間に、随分とノエは気安くレーラに話しかけるようになってしまった。元から慇懃無礼な態度ではあった。むしろ取り繕うのがなくなった分、一周回って今の方が素行がいいとも言える。


 そういえば、とノエは視線を壁の方にやる。


「魔女らしいといえば、あそこに立てかけている箒とかもそうなんでしょうか」

「あれはただの掃除用。飛ぶためのものはこっち」


 レーラが椅子に立てかけた杖を手に取り、振るとそれは箒に変わった。杖の面影を色合いと持ち手に残した、大きな箒だ。ノエは目を輝かせる。


「魔法みたいですね!」

「魔法よ。いや、おまえは絶対見たことあるでしょ。何人魔女に会ってきたのよ」

「何度見ても新鮮なものですよ」


 ノエは指を組んで、夢見るように続ける。


「空を飛ぶのってなんだか憧れます。昔から高いところの景色が好きだったんです。鳥みたいに飛んで見る景色はどんなに素敵でしょう」

「おまえも飛んでみる? 二人くらいは乗れる大きさだと思うけど」

「是非!」

「……冗談よ。空を飛ぶくらいなら海で溺れたほうがよっぽどましだわ」


 そう言うレーラの視線は窓の外に向いていた。


「海がお好きなのですね」


 遠くに行く必要がない。その意味をノエは解釈する。何せ海辺の魔女などと呼ばれるくらいだ。魔女ならばどこへだって行けるのに、わざわざこんな辺鄙な場所を選んでいるのだから。 


 だがレーラの返事はノエの予想に反していた。


「嫌いよ。こんな場所」


 窓の向こうを見つめたまま、レーラは苦々しく吐き捨てた。

 強い潮風が窓から吹き付ける。カタカタと空のカップが音を立てる。古びたテーブルは真っ平らではなかった。レーラが大事にするのは物語が収められた本ぐらいで、この家の大抵のものは潮風でぼろぼろだった。


「ただ私には。他に行くべき場所が、ないだけ」


 超常らしかぬ、その言葉を聞いて。

 風音の影に隠れるように、ノエは止めていた息を深く吸い込む。


「ところでレーラさま」


 椅子を引いて立ち上がるノエ。


「私とこうして顔を合わせるのもそろそろ飽き飽きではありませんか?」


 何事もない振りを装って、二人分のティーセットを片付けながら、話を続ける。


「いえ、飽きさせるようなお話は断じてしていないつもりですが。私、旅人らしくあまり一所に留まれない厄介な性分で、実は少し目新しさに飢えているのです」


 何が言いたいのか分からない、そんな意を主張するようにレーラの目がノエを追う。

 ティーセットを向こうの方に片し終え、空手になったノエはレーラをくるりと振り向いた。満面の笑みと、レーラの視線がかち合った。


「たまにはお茶会の趣向を変えてみようかと思いつきまして。例えば場所や時間を変えるというのは、それなりに簡単で効果的です。いつもとはちがうお菓子や茶葉を用意するのもいいと思いません?」 


 背筋をぴんと伸ばして、手を差し出す。まるでダンスにでも誘うかのように気取って。


「というわけで、明日は私と町に遊びに行きませんか、レーラさま」

「まどろっこしいのよ、おまえの誘い」


 レーラは呆れたように息を吐いて、口端を僅かに吊り上げる。


「行かないわよ。面倒くさい」

「いけず」



   2



 誘いを無下に断った次の日は、朝からしとしとと雨が降っていた。降り行きは柔く、けれど空は埃の掃き溜めのように曇っている。海面は空の色を写すように濁り、ざざ、と雨混じりの波音を響かせていた。

 こんな天気ではそもそも、町に行けるはずもなかった。いや、行く気など端からないのだが。明日の空模様も気にせずに誘いを口にするのは如何なものか。

 レーラは崖の上の家でひとり、いらただしげに指でテーブルを叩く。窓の庇で雨宿りするかもめがその様子を眺めていた。


 レーラは雨が嫌いだ。肌に纏わり付く湿っぽさが嫌いだ。本を読もうにも紙までじっとりと重い気がする。いっそのこと外に出てずぶ濡れになる方がましだった。

 レーラは扉の方を見る。閂は開けてある。ノエはいつも昼時に来て、お茶会を始め、物語り、日暮れ前に帰る。けれども。今日は雨だから、ノエは来ないだろう。

 対面にある空っぽの椅子が、久方ぶりに存在を主張していた。


 ──ねえ、レーラ。一緒に〝お茶会〟なんて素敵じゃない?


 雨音に混じりに、いつもの幻聴。無人の椅子に、いるはずのない相手の、ぼやけた輪郭をレーラは見る。レーラは目を瞑り幻覚を振り払い、幻聴を掻き消すように爪でテーブルを鳴らす。

 ふと、テーブルを叩くレーラの指が止まった。家の近隣に張り巡らせた結界の内に、人の気配が生じる。瞼を上げる。


「……まさか、来るとはね」


 レーラは椅子に腰掛けたまま杖を手に取る。テーブルの上の銀の燭台に、贅沢な蜜蝋を挿す。今日は灯りが必要だ。雨の日の石造りの部屋の薄暗さは、ひとりで本を読むには耐えられても、二人で茶会を開くには暗すぎた。

 間も無く、ノックの音。窓のかもめは雨の中に飛び立つ。そして遠慮なく扉が開け放たれた。


「こんにちは、レーラさま。今日は良い天気ですね。恵みの雨です」


 入口で雨除けの外套を脱ぎ、ブーツの泥を落とすノエ。その表情は晴天の日と寸分違わない。


「あきれた。おまえ、旅人の癖に雨が好きなの?」

「嵐も好きですよ」

「いや、それは全然わからないわ。人間の価値観じゃないわ」

「えぇー。雷とか、綺麗じゃありませんか」


 嵐は厄災、雷は凶兆、少なくともレーラの知っている人間の価値観ではそうだ。不吉な夕暮れが好き、なんてかわいい発言だった。どうにもノエの感性は常人のそれではない。


「……まあ、いいか」


 いつものエプロンドレス姿になったノエは、テーブルに籠を置き、もはや勝手知ったる様子で食器類の用意を始める。


「今日はなんと、レモンのタルトです」


 白いテーブルクロスの上。台の上に取り出された黄色のタルトは、蝋燭の火に当てられつやつやと輝いていた。

 ノエの用意する菓子は二人で食べるには多い。けれどノエは毎度空になった籠を抱えて帰っていく。というのも、残りはすべてノエが平らげるからだ。二日目のチェリーパイも、物語を終えた後にノエが始末した。


「というかおまえ、食事代わりにこれを食べているわよね。いつも菓子でいいの? 人間は確か、ケーキのみでは生きられないのでしょう?」

「朝と夜にしっかりと頂いているので大丈夫ですよ?」

「しっかりと」


 まだ食べているのか。というか、確かこの辺りの人間は一日二食だったはずだ。つまりこの菓子は、ノエにとって食事がわりではなく、純粋な間食ということになり……


「育ち盛りなので」

「それはなんだか嘘な気がするわ」


 童顔の割には均整の取れた肢体が、何よりも雄弁だった。




 お茶の用意に取り掛かりながら、ノエが問う。


「レーラさま、今日はどんなお話にしましょうか」

「そうね。雨だし、浮かれた話を聞く気分じゃないの。人間以外の話がいいわ」

「では。愛されすぎて壊れてしまった小鳥の話をご用意しますね」


 しゅるしゅると湯を沸かす音が鬱陶しい雨音を覆う。真っ白なテーブルの上、溶ける蜜蝋、火の揺らめき、つるりと滑らかな黄色のレモンタルト。そこに、今から小鳥の物語が添えられる。椅子はまだ空のままだが、そこに幻の影はもうなかった。

 それなりに悪くない一日になりそうだ。満足げに椅子の背にもたれかかろうとして。レーラははっと扉を振り返る。結界の内に、もうひとつ、気配が増えていた。


「どうかしましたか?」

「茶会はお預けみたいね。──客がくるわ」




   3




「やぁやぁレーラ様! お元気でしたか!」


 訪れた客人。玄関に立つのは、嘴のように鼻の尖った仮面をし、口元だけで胡散臭い笑みを浮かべた年齢不詳の男だ。針金のように長い手足をした長身。外套はずぶ濡れで、その手には黒い布を被せた鳥籠を提げている。


「いつも通りお暇なはずと思っておりましたが、まさかまさか先客がいるとは。珍しいこともあるものですな!」


 出迎えたレーラは、騒がしい男に早くも疲れた表情を見せる。


「鳥籠屋。おまえが来るのはもう少し先ではなかった? いつもの品の用意はまだよ」

「いやぁ、それが本日は別件で」


 この騒がしく卑俗な男は魔女レーラと長い付き合いの客だった。レーラは定期的に彼の願いを聞き、男はレーラの生活に必要なものを提供したり不必要なものを押し付けていったりする。


「まあいいわ。中に入りなさい。おまえの分の椅子はないけど」


 テーブルのもとで、ノエはにこにこと微笑んだまま行儀よく待っていた。猫を被って静かにしていると、ノエはまるで何処ぞの令嬢のような気品があった。上流階級の育ちでもないのに、ただ侍女の経験があるだけにしては奇妙なくらいだった。レーラは男を指差す。


「こいつは魔術師よ」


 なるほど、と合点がいったように頷くノエ。魔術師とは後天的に魔術を得た人間のことを指す。彼らは人外に憧れ、〝魔女〟を敬っている。

 男は先客のノエに挨拶をしようと、芝居がかった一礼をしてみせた。


「鳥籠屋のロビンソンと申します。……やや、ややや! よく見ると、なんと、綺麗なお嬢さんじゃあありませんか。紫の瞳に幼顔、さては旅芸人、紫の一族の血を引いてらっしゃる? しかしこの所作はまるで西方の上流階級のそれ。一方でお召し物は給仕服? いや、この布地は、丈夫で汚れることも燃えることもない〝白鳥染めの刺草布〟ではありませんか! 給仕服などに使っていい素材ではありませんぞ! いやはや、一体何者なのか……」

「ええと」


 上から下まで舐めるようにノエを見定め、ぶつぶつと独り言を捲し立てるロビンソン。困惑するノエに構わず、ロビンソンはくるりと大袈裟な動作で振り返る。外套から水滴が飛び散った。ノエは咄嗟にタルトを持ち上げて、水滴から庇う。


「レーラ様!」


 そしてロビンソンは鼠のようにずぶ濡れのまま、地べたに這い蹲り、手と頭をつけた。


「このお嬢さんをあたくしめに譲っておくんなせぇ!」

「いや私のじゃないから」

「なんとぉ……」


 レーラはタルトを元に戻し、濡れた床を鬱陶しそうに眺める。ロビンソンはというとそんなレーラには最早目もくれない。大変不敬である。そのままノエに向き直り、土下座から一転、今度は恭しく膝を付いてノエの手を取った。


「ではお嬢さん」

「ノエと申します」

「ノエさん、あなたはいくらで当方の商品になってくださいます? 三食昼寝付き、至上の美姫に育て上げてしんぜましょう!」


 はて? とノエは首を傾げる。


「お話が見えないのですがお伺いしても? 商品とは、どのような意味でしょう」


 ロビンソンは然り、と頷いた。


「自己紹介もまだでしたな」


 ロビンソンは立ち上がり、魔術で身嗜みを整える。指をひとつ鳴らせば濡れ鼠の外套は消え、成金趣味の礼服姿に変わる。そして片手には、相変わらずの布をかけた鳥籠がある。


「あたくしは鳥籠を持っているせいで〝鳥籠屋〟などと呼ばれていますが、扱う小鳥はただの小鳥ではございません! さぁさ、この魔術を、とくとご覧くださいませ」


 二度目の指を鳴らす。鳥籠はノエの背の高さまでたちまちに大きくなった。かけ布は立派なカーテンのように垂れ下がる。ロビンソンの魔術に、ノエは目を丸くする。得意げな顔をしたロビンソンは、布に手をかけ、「ほいっ」と引き剥がす。

 鳥籠の中には、ドレスを纏うひとりの女が入っていた。女は鎖に繋がれこそしていないが、魔術で眠らされるのか目を瞑ったまま身動ぎひとつしない。ノエは表情を僅かに硬らせた。


「おい、鳥籠屋。自己紹介よりも前に、濡れた床を拭け」


 部屋を圧迫する鳥籠に苛つきが臨界に達したレーラは、ロビンソンの背を杖で小突く。骨に響くいい音がした。「ひゃい、いえ、ハイ! 今すぐに!」


 レーラは席に戻る。そしてノエに説明の続きをする。


「こいつはね。いわゆる高級奴隷商よ」


 奴隷──ノエに〝商品〟と言ったのはそういうことだ。


「聞き捨てなりませんな、レーラ様!」


 床を拭いていたロビンソンは雑巾を握り締めて、立ち上がる。


「うちの磨き上げた珠玉の姫君たちを奴婢呼ばわりたぁ!」

「売り買いするのは同じでしょう。」

「至宝に値札を付けないのは冒涜じゃあないですか。それに客も選んでおります。大事に扱ってくれない相手にうちの商品を卸すなんてとてもとても」


 ノエは愛想笑いを浮かべながら、黙ってその会話を聞いていた。奴隷、人間の売り買い。そう珍しい話ではない。ただノエのような旅人にとって奴隷商は身近な脅威でもあった。あまり良い思い出はない。


「そこまでにしておきなさい。ノエは普通の人間よ。おまえの人外じみた価値観に付き合わせるのは可哀想だわ」

「おっと、ノエ殿は普通の人間でしたか」


 驚いたように仰け反る。ついでに呼び方まで変えた。普通の人間がレーラのもとを訪れていることに敬意を払ったのだろうか。長身のロビンソンはノエの顔色を伺うように視線を下げた。


「大変失礼いたしました。先程のあたくしの物言い、お気に障りましたか?」

「いいえ。私も魔術師の方と知り合うのは初めてではありません。そちらの鳥籠、とても不思議な魔術ですね。物語にしてもよろしいですか?」

「それはそれは、光栄ですな!」


 人間の間では一般に、詩人に物語られることは名誉なことだとされている。それは魔術師相手でも変わらない。


「ええ。私は言葉以外の何をも持たぬ、しがない〝物語屋〟ですが。同じレーラ様の客人として、お近づきの印に」


 鳥籠屋に合わせた物言いでノエは自らを表す。


「もちろん、本物の魔術をそのまま語ることは致しません。大事な秘密、ですものね」

「おお、話のわかっているお方です!」


 仮面で顔半分の表情が見えない分、感激を全身と声音で表す。


「レーラ様! よい友人を持たれましたなあ! 魔に理解のある人間など、今日び中々おりませんぞ。……やっぱりあたくしめに譲っちゃくれませんか!?」

「友人じゃないし私のじゃないし、こいつはおまえの手に負えないじゃじゃ馬よ」

「ちぇー」


 口を尖らせながらもあっさりと引き下がる。


「レーラさま」


 呼びかけに、レーラは頷く。

 茶番はここまでだ。今のは人間であるノエが、鳥籠屋の機嫌を損ねないよう懐に入るために必要な時間だった。

 魔術師はただの人間にひどく冷酷だ。気に入られなければ害される。気に入られ過ぎても害される。ノエは自分をレーラの客であると牽制して誘いを躱し、ロビンソンの懐に入った。鳥籠の中に女が現れた時、滲み出た不快感を一瞬で隠した。中身には言及せず、魔術のみを讃えてみせた。随分と手慣れた、ひとでなしのあしらいだった。気に入らないのは、レーラの協力を前提としていたところだが。


「で、そろそろあんたの用件をいいなさいな。その、鳥籠の中の女のことでしょう?」


 ええ、と肯定して、ロビンソンは未だ部屋を圧迫する鳥籠の扉を開ける。ようやく、魔術で眠らされていた女が、ぱちりと目を開けた。


「小鳥が壊れてしまったのです」


 静々と女が出てくる。亜麻色の髪の、美しいが少しやつれた女だ。ロビンソンは女の顎をくいと持ち上げる。喉には包帯が巻かれていた。女は返事がわりに、けほっと咳をした。


「ナターリア。それがこの商品の名前です。手塩に掛けて育てた娘で、それはそれは綺麗な歌声を持っていたんですが……先日、何故だか壊れてしまいまして」


 仮面の奥の瞳は見えないが、痛ましげにロビンソンは言う。売り物とは言うが、大切に扱っていることに嘘偽りはないのだろう。


「参考までに言いますと。ナターリアの値段は、この指輪と同じくらいですな」


 一番大きな宝石が乗った指輪を掲げてみせた。一瞬で悲壮感が消えた。呆れるレーラと、宝石の価値がわかるのか、「そんなに」と慄くノエ。


「高級奴隷、至上の美姫を扱う鳥籠屋。魔術師にしては有名なほうよね。知られているのに捕まっていないし。何せ贔屓にしている人間が沢山いるんだもの。ま、その美姫も買った後はその美しさを維持できないんだけど」

「人間の世話ごときが、うちの整備に勝るはずはありませんからねぇ。ちなみにナターリアが高値な理由は歌声にありまして。なんせ優れた芸には、魔法に似た力が宿ります」


 たとえば人魚の歌声や、花妖精の舞いはそれ自体に魅了の力を持っている。人間の芸事もまた、ほんの少し、特別な力を宿す。特にそれらを生業とするような者にとっては。

 詩人の言葉はするりと頭に忍び込み、歌姫の声は耳より心を揺れ動かす。


「そのとっておきの喉が壊れたとなれば、値は随分と下がる。まったく商売上がったりですよ」


 声のないナターリアは、ロビンソンの指に嵌る一番控えめな装飾の指輪くらいの値段になるのだそう。


「それでも、相当なお値段です……」

「そうなの? お金のことはよくわからないわ」


 着飾ることのないレーラにとって、宝石類は魔法薬の材料としての価値しかない。


「そういうわけでして。レーラさまには、この喉を直して・・・・頂きたいのです」


 ロビンソンの依頼内容。つまらない願いだが、相手は贔屓の仲。断る理由はまずない。


「報酬は?」

「詩集を。社交界で流行りものをお持ちしましょう」

「まあいいでしょう」

「いやはや、レーラ様は本当に物語がお好きですなあ」

「退屈しているのよ。長生きも飽きたわ」

「ぐぬぬ羨ましい」


 魔術師となった人間は、不老不死に憧れている。彼らは人間を辞めることを望み、だから、生まれながらに人間ではない〝魔女〟たちに従う。それが魔女と魔術師の関係だった。


 そんなこんなで、此度の取引は成る。


「当方は所用があるためこれにて一旦失礼。夜には迎えに参りますので!」


 そう言って、嵐のようにロビンソンは雨の中へと消えていった。


「ようやく煩いのがいなくなったわ」

「賑やかなお方でしたね」


 残されたナターリアは対照的に、気配を消してしまいそうな程縮こまっている。

 我が物顔に図々しく振る舞うノエに慣れてしまっていたが、本来、魔女に対する人間の反応といえば、緊張をあらわにするナターリアの方が正しい。


「ところで、レーラさまとロビンソンさんの関係って、どんなものなのですか?」


 ノエは自らの興味に遠慮をしない。


「関係も何も。魔女と魔術師の関係よ。鳥籠屋は魔術師として私に敬意を払い、対価を差し出し、私はそれに応える。それだけの」


 敬意を払われているのかどうか怪しい言動だが、少なくとも奴は、ノエよりはまともである。


「割り切ったご関係なのですね」

「そうよ。それが何?」

「いえ、レーラさまがちゃんと交流をされているのが意外だったので。お聞きしたいなと」

「本当に失礼ね」


 そしてノエはひそりと耳元で囁く。


「〝愛を知りたい〟というのはロビンソンさんには話していないんですね」

「……? 当たり前でしょう」


 レーラは、さらりと答える。


「おまえに話したのは、おまえの覚悟という見せ物に、対価を支払っただけのことよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る