計略のホームルーム

方波見

1学年1学期:マタイ効果に縛られている 第1の試練編

第1話 新生活の幕開け


 春爛漫。

 カーテンを開けたそばから、4月の太陽が新たな家の懐に入り込んできた。

 窓越しに広がるのは、桃色に彩られた桜並木。心躍る開けた未来を想起させる。


 冷泉聡司れいぜいそうしは眩しそうに目をすぼめながら、寝ぼけ眼で大あくびをした。


 冷泉は四角く切り取られた外の景色に大した感慨を抱くこともなく、ワイシャツのボタンをかけていく。

 

 寝起きでまだ頭が回っていない。朝はどうにも弱かった。


 ベッドから起き上がって歯磨きをして顔を洗って、靴下に次いでスラックス。それからワイシャツ。

 そしていまカーテンを開けたところだ。


 それでもまだ目が覚めていないとはどういうことか。頭も冴えない。

 新生活を迎えるにあたっての緊張から憂鬱を感じているのだろうか。


 (まあ、眠いだけだな)


 部屋にそそぐ陽は柔らかで、それは冷泉に悪魔の囁きを届けた。

 ロングスリーパーである冷泉には8時間睡眠が必須であった。

 横になったらさぞ気持ちよく眠れることだろう。


 日向ぼっこする猫の光景を脳裡に描いて、自身もそんな猫になりたいと本音8割で思う。


 冷泉を陽だまりのシーツが誘惑する。手のひらでシーツに触れると、二度寝を待っているかのようにぬくまっている。


 せめてもう一部屋あれば。ベッドが目につくところにあるというのが罪なんだ。

 ワンルームタイプの部屋であることを言い訳に悪魔の言葉に耳を傾けかけたところで、窓の外では並木道をいそいそと歩く幾つかの背中が目に映る。

 

 冷泉は理性でもって誘惑を振りほどいた。

 大きな伸びをひとつして、ネクタイを手に取る。


 と、違和感に気がついた。

 

 嘘だろ。

 シャツのボタンがずれている。それも第一ボタンから。面倒くさいなあと考えるのも面倒くさく、冷泉は淡々と掛け違いを直す。

 

 ここでため息をつかないことが肝要だ。ため息をつくと幸せが逃げる。それが真実か否か、信じるか信じないかは関係がない。この考えが頭によぎった時点で、ため息をついたら余計面倒な気分になってくるに違いないからだ。

 と内心で思う冷泉は掛け違いに気づいた時点ですでにため息をついていた。


 情報を得れば得るほど自由がなくなってくる気がするのは単なる気のせいだろうか。

 世の中の不自然さを呪いつつ、改めてネクタイを締める。

 適当に調達した壁掛け時計に目をやれば、もうあまり時間がない。


 朝が弱いというのは、どうにも不利な気がする。これも言い訳になるだろうか。


 別に答えを求めているわけでもない自問を宙ぶらりんにほったらかして、ラックにかけてある汚れ一つないブレザーを羽織る。髪を手櫛で整えてから、備え付けの鏡の前に立った。


 鏡に映る顔にはおよそ覇気というものが感じられない。いかにも寝起きといった自身の寝ぼけ眼とのにらめっこに、またしても大きな欠伸が出る。

 色素が薄く茶色がかった冷泉の髪の毛はもわっと膨れており、直したつもりの寝癖もさっぱり直ってはいなかった。


 (まあ、いいだろう)


 しかし冷泉はそれに合格点を与え玄関へ。  

 ローファーをひっかけ、扉のノブを捻った。


 今日はいつにも増して調子が悪いなと思いながら、硬質な金属音とともに新生活が幕を開ける。

 それは平常通りものぐさに始まった。




*****




 冷泉は寮の部屋から見えた桜並木のなかを歩いていた。人の流れに合わせ、入学式の行われる小講堂へと向かう。


 風にさらわれ地面に落ちた花びらは幾重にも踏みつけにされ、もうこうなっては誰も美しいなどとは思わないだろう。

 これが現実の無情というやつだろうか。

 

 最凶の敵が告げる真実があまりにも陳腐なもので肩透かしを食らってしまっても、世界はすました無表情。

 桜が単なる汚物となっても、だからどうしたと言わんばかりに時は流れる。


 やはり、風景は少し遠くから眺めるくらいがちょうどいい。何も見えないなんてこともないし、見えすぎて幻滅することもない。


 気の抜けた無表情で物憂げな思索をする冷泉は、もう半分の思考で「にしても、やたら広い学校だなあ」と凡人並の感想を洩らしていた。


 広大な敷地を有するこの学校の構造は昨日の夜に入寮したばかりの冷泉には皆目わからなかったが、しかし、人の流れに逆らうことなくこの日のために設置されたのであろう案内表示に従えば、目的地らしき建物が姿を現した。


 意匠を凝らされたことが一目で分かり、知識がなくとも洗練された印象を受ける円柱状の建物。


 一体、どれほどの金をつぎ込んだのか。 

 偉容を誇る建物に、冷泉は感心したようなしていないような息を漏らした。


 入学書類一式のなかに同封されていた学校案内のパンフレットから記憶を探れば、おそらく、心証館。

 ここには小講堂の他に、大講堂と大劇場が入っているらしい。大劇場では、プロ劇団の公演が開かれることもあるという。


 この建物を前にすれば、期待を隠せないといった表情で誇らしげに胸を張って歩く同級生の姿にも納得がいった。


 入り口を抜けると、コンサートホールを彷彿とさせる内観をしていた。高い天井に、静謐せいひつな雰囲気のロビー。


 入場開始時間はとうに過ぎている。入学式開始時刻までもう間がない。

 ゆるく弧を描いた宙に浮かんだような幅広の階段を上って小講堂の重厚な扉の前に行き着くと、冷泉はなんら躊躇することなくその扉を押し開けた。 


 後部席に腰掛ける他者からの視線をちらりちらりと向けられながらもそれをまるで意に介する事なく小講堂内を見回すと、階段状に並ぶ席のほとんどがすでに埋まっていた。

 

 入室した生徒から自由に席を選んでいいようだが、その選択肢はないも同然。

 まあ別にどこでもいいかと視線を走らせ、冷泉は一番近場で空いていた最後列の席に座り、開始を待った。


 それから少し。

 時計の針がカチリと動き、規定の時間を迎えた。


 舞台脇のマイクの前に男性が立つと、始りを察してか、そわそわとしていた衣擦れの騒めきが静寂に変わった。


 「一同、起立」


 進行役の教師の声に従い、皆が立ち上がる。


 「これより、第30回心証高等学校入学式を始めます。一同、礼」




 ――心証高等学校。


 名門校である。卒業生には各界における一角の人物が名を連ねており、この学校を卒業すれば成功が約束されると噂されるほどだ。とある制度の存在により高校の中では随一の知名度をもつが、その反面最も実態が謎に包まれた学校とされる。

 それは概ね、入学応募条件が非公開であったり入試内容が歪であったりするからだろう。


 心象高等学校は入学を公募していない。

 入学試験を受けられるのは、高校側が選び、入学案内が届けられた者たちに限られる。さらにその際の選定の基準は開示されない。

 また、入学試験では基礎学力の他に特別科目が存在し、得点の比重は特別科目に偏っているとも噂される。これもまた合格基準が開示されていないため真偽のほどは定かでないが、この学校の特殊性は窺えるだろう。




 学校長の話に始まり、来賓の挨拶、有志の上級生主体の耳慣れない校歌斉唱。風変わりだという校風に反して、形式通りの流れで入学式はつつがなく進行していく。


 冷泉は何の面白味も感じられないために式に対する興味が失せていた。式に向けられていた集中力は始めのうち数分で霧散し、思考は式とは何の関係もないところへはぐれていた。


 そのせいか、冷泉が起立に遅れること2回。横の席はまばらに空いている上、最後列だから問題ないだろうと、それも軽く片付けていた。


 「生徒会長の言葉」


 進行役の声に、そんな冷泉の意識がようやく式に引き戻された。


 予定によれば、これが入学式最後の項目らしい。最後が生徒会長からの言葉というのがこの場でこの学校の特色を示している唯一のものかもしれない。


 立って礼をして座って。それだけを繰り返してきたつまらない式ももう終わる。そんな解放感もあって、冷泉は身を持ち直した。


 生徒会長が舞台上へ歩みを進めた。

 皆の注目が集まるなか、生徒会長の一挙手一投足は自然体で、何の淀みも見られなかった。


 教職員のなかの幾人かは、生徒会長の様子を誇るように満足げに頷いている。


 生徒会長は冷泉の思い描いていた人物像よりも一回り大きかった。

 体はよく鍛えられていることが窺え、背筋は無理なく伸ばされている。


 生徒会長は舞台中央へ立ち礼式に則った礼をすると、マイクスタンドからマイクを取り、一度新入生全体を見回した。


 役者のような端正な顔立ちでありながら、坊主頭ということもあってか迫力がある。

 しかしそれだけではないだろう。

 強い目力の宿った瞳。並みの大人よりもよほど堂々としている。張りぼての虚栄心などではなく、自信が内から自然と湧き出ているように見える。


 冷泉は生徒会長の大人びた瞳を受け、この人が自身と同じ高校生だとはとても信じられなかった。 


 生徒代表。確かにそれに相応しいだけの風格が感じられた。


 たかが2年。しかしこの2年はこれほど大きいものなのか。元々それだけの資質を持っていたというだけのことか、それとも、学校生活のなかで培われたのか。


 一応それなりに覚悟していたつもりだったが、予想以上に苦戦しそうだ。

 冷泉は恐れるでも喜ぶでもなく、淡々と覚悟の在り方を改めた。


 「新入生の皆さん、入学、おめでとうございます。生徒会長の久我善治郎くがぜんじろうです」


 低く通った声が会場を支配した。


 「既に皆さん知っていることと思いますが、心象高等学校には学内金制度という特殊な制度が存在します。学内金。これは、本校で生活する人たちの間では主に『ポイント』と呼ばれているものです。この学校では、このポイントで生活していくことになります。充実した生活を送るには、ポイントを十分に得る必要があるということです。ポイントを得る機会は、試練と試験の大きく2つ。試練は、行事を指しています。心証高校では、各行事に生活の行く末を決めるポイントがかかわってくるので、我々生徒の間では試練と呼んでいるのです。試験は、学期末試験のことです。心証高校に中間試験はありません。そのため、一度の試験範囲が広く、難易度は高く感じられるでしょう。そして、そんな試験でもポイントがかかわってきます。つまり、今ここに居る皆さんは同級という仲間であると同時に、ライバルです。それでは、心証高生として、共に学んでいきましょう。ご清聴、ありがとうございました」


 そうして降壇すると思いきや、そのまま久我が続けた。


 「では、これで入学式は終わりです。これからクラス分けを行います。まずは各々、男女2人ずつの4人組を作ってください」 


 なるほど、自由席になっているのはそういう理由か。




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