第3話 平穏はやがて壊れる③


 ごく平凡に、穏やかに暮らしていたとある村。その村が今、襲われていた。


 

 「ぎゃぁああっ! だずけてっ! だずけてっ! いやぁあ、いやぁあああ、あなたぁああ!」


 「やぁ……」


 村のあちこちから種々の絶叫が響き、諦観のうめきがこぼれていた。



*****



 突如として村に現れた一団。

 村人は当初、その者たちの身なりをみて貴族か、それに準ずる立場にある人たちなのだろうと推測した。

 となるときっと、領主様のとこの人に違いない、と。


 この村の領主はとりたてて横暴な振る舞いをする者ではないが、辺境の村人たちにとって、貴族というなによりも権力の象徴となる存在が畏怖すべき対象であることに変わりはなかった。


 どんな用があってこんなところに来たのか。

 村人たちの疑問は尽きなかったが、その一団と極力目を合わさぬようにした。

 外にいる者は視線を下げ、家屋にいるものは息を潜めた。


 その様子を物珍しげに眺めながら、一団は悠々と村の中央を歩いていた。


 そこで他より二回り大きな家から、事態を聞いたのだろう、村長が慌てて外に出てきた。


 「これは皆さま、本日はどういったご用なのでしょう……?」

 

 静かな広場に、村長の声だけがか細くただよった。


 返答はない。

 村長は居心地を悪くして、不安を宥めるように自身の両手をり合わせた。


 それから数秒。

 さすがにいぶかしく思い、村長がおずおずと顔を上げる。

 そして――


 「ひっ……」


 蚊の鳴くような悲鳴が洩れた。


 一団は、一様に村長のことを見やっていた。

 妙なものでも見るように、凝視していた。そのあかい瞳で。


 そこから、地獄はつくりだされた。



*****


 

 エマはひとり、震えていた。

 自身の身体を掻き抱いて、声を押し殺す。


 ――ギィ。

 

 「おっ、発見」


 しかし、見つかってしまった。


 エマは大切な日々を思い出していた。お父さんやお母さんのこと、その他にも大切な思い出はいっぱいあるが、今思い浮かぶのは、いつからか恋心を抱いていた幼馴染のことだった。


 (エル……、エルは無事でいて…………)





*****





 マイケルに先行すること数分。

 リエルは村の入り口が見えるところまで来ていたが、いまだサグに追いつくことはできていなかった。


 村を目の前にした今となっては、あちらこちらから火の手が上がり、夜を早めるかのように黒煙が太く空に続いている様子がリエルの目に映っていた。

 ただの焚火で済ませられるような事態ではないのは誰の目にも明らかだった。

 

 (サグはもう村のなかへ入って行ってしまったのか)


 姿が確認できないとなれば、そう考えるほかなかった。

 あの道から村までは一本道、いくら経験がリエルほどないとはいえ迷うことがあるとは思えない。 

 

 さらに近づくと、村の方からがやがやとした喧騒が聞こえてきた。そしてそれが絶叫であることに気がついた。


 (……みんな!)

 

 リエルは先ほどから頭をもたげてくるいくつもの不安に急かされるように村へ入った。


 リエルはまだ辛うじて火がつけられていない外縁部の家屋に身を隠すようにして、慎重に歩みを進めた。

  

 何が起きているか分からない。であれば何が起きても不思議ではない。


 そして実際に燃え盛る家屋を間近で見て、何者かによって意図的に火がつけられたのだとリエルは確信していた。


 橙の炎の音。家々が傾ぐ音。

 ただそれ以外は、いやに静かだった。


 リエルはまず村の入り口からほど近いエマの家へ走った。


 幸い火はつけられていない。

 が、今朝エマが耕していた畑には血が染みていた。

 

 それはエマの父さんのものらしかった。

 昨日の陽気な声が嘘で会ったかのように体が変な方向へひしゃげ、仰向けに倒れている。光を失った瞳は、どこかの空中をぼうっと見つめていた。


 リエルはどこか呆然とそれを見やり、開け放たれたままの戸を潜った。

 エマやクレアの姿はなかった。

 籠が落ち、パンが辺りに散らばっている。鍋からは湯気が立っていた。


 リエルは踵を返し、自身の家へ走った。


 ――大丈夫、エマもクレアさんも無事だ。大丈夫。


 リエルは自身の家の前で立ち尽くした。家は、燃えていた。


 ――そんなはずない。父さんも母さんもマルスも、皆、逃げているはずだ。


 日が昇ると同時に起き、家族皆で朝食を摂る。日が高くなるまでは薪を割ったり畑を耕したりして、その後は弓と短剣を持って狩りに出かける。

 獲物を取ってくると喜ばれ、エマの色っぽくなった姿に心なしかドキッとする。ことりことりと煮え立つ、小さな家に充満する香りを嗅ぎ、また家族皆で食卓を囲む。


 毎日おいしい料理を作ってくれる母と、屈強な体をした狩りの名手である父、最近生意気になってきた年の離れた弟。


 そんな、良くも悪くも代り映えのしない日々を、彼は愛していた。


 ――無事だ、みんな無事だ。そうだ、そうに決まってる。父さんがついてるんだ。すでに逃げているに違いない。

 けど……。けど、もしかしたらまだどこかに身を隠しているのかもしれない。


 湧き上がる焦燥に耐えながら、リエルは村を行く。そしてとうとう、村の中心。どこかにいるであろう賊に見つからないように建物の影から顔を覗かせる。

 そこで、彼は見てしまった。


 「…………」


 普段は交流の場として使われ、行商人や大道芸人たちが訪れたときにはお祭りのように盛り上がる中央広場。

 そこに、幾重にも人が積み上げられていた。その小山から少し視線をずらすと、折り重なった見慣れた人たち。


 どれほどの苦しみを味わったのだろう。

 父は眼球を抉り取られ、乱雑に四肢をもぎ取られていた。

 母は全裸に剥かれ、無数の切り傷を与えられていた。その腹は割かれ、腸が飛び出していた。


 愛の大きさ故か、まだ距離があるにもかかわらず、リエルは無惨になり果てた死体が紛れもなく自身の両親のものであることに気が付いてしまった。


 そこには、たっぷりと贅肉をつけているのであろう者が一人、背中を向けて立っている。見知らぬ人物。


 その太った男の横顔が見えたとき、瞬間、リエルの頭は沸騰した。

 

 男は顔を恍惚に濡らしていた。

 

 リエルの理性は一瞬にして消し飛び、短剣を腰に構え突進していた。

 しかし狩人としての才であるのか、湧き上がる激情を吐露することもなく、ただ静かに向かっていく。


 ところが、もう数メートルというところで急に後ろから太い腕が伸び、リエルは首を捕らえられた。

 咽喉を締め上げられ、足が浮く。気管が潰され、呼吸もままならない。


 そんな中、太った男で隠れていたのだろう、その傍らでマルスがへたり込んでいるのが視界に入った。

 蒼白い顔で絶望の色を浮かべてはいるものの、まだ生きている。よかった。リエルは心からそう思った。


 「……兄ちゃん…………」


 マルスも兄を認め、ぽつりと零す。


 その声にいつもの生意気なところは微塵もない。喜びも混じってはいない。

 けれど、またたきほどの間であったけれど、マルスが微かに顔をほころばせたのを見た。


 ――ああ、助けてやる。


 マルスは生きている。なら、ここを何とか脱出しないと。今はとにかく、マルスと共に逃げ延びないと。

 そんな使命感がリエルを胸中に湧き上がる。


 その時リエルへ顔を向けた太った男から声をかけられた。


 「なんだ? 君たちは、親しい仲なのかな? 兄ちゃんってことは、兄と弟。兄弟ってことだね?」


 分かりきった無意味な疑問を発する太った男の声は、存外優しいものだった。


 「兄弟かあ。……うん、いいねえ」


 しかし、そう続けられた言葉にあるのは、溢れんばかりに注ぎ込まれた攻撃的な残虐性。


 リエルたちをなぶるように、面白可笑しそうに顔を歪めた。

 それは、病んだ画家の描いた狂気的な表情に似ていた。


 最初から分かっていた。

 この男は問うていたのではない。拷問しているのだ。


 僕たちは今、拷問されているのだ。


 リエルは自身の内に渦巻きはじめたどす黒い感情を押し殺し、努めて絶望を装った。

 全身を脱力し、首を絞められるままにする。


 嗜虐しぎゃく趣味を覗かせるこいつらなら、すぐに絞め殺すようなことはしないだろう。

 そんな打算があった。

 

 そして読み通り――


 「なんだよ。もうへばっちゃったのかな? だめだよ、これからが面白いとこだから。まだ死んではだめだ。希望を失くしてはいけないよ?」


 ――太った男の声に追従するように、リエルの首を絞める拘束は緩み、足が地に着いた。踏ん張りが利くようになった。

 気道はわずかに閉められている程度。呼吸するには何ら問題ない。


 リエルは脱力したまま自身の体の具合を確かめた。

 この状況で動かせるのはどのくらいか、腕の可動域は狭められていないか。


 今武器になるのは、右手に握る短剣だけ。ならばどうする? どこを狙えば最も早く、そして確実に逃げ出せる? 

 心臓を一刺し。

 それができれば一番いいが、拘束している男はかなり筋肉質だ。十全に力を加えられない状態で後ろ手に心臓を狙っても、そこまで届かない可能性がある。

 では、頭か。

 脳に突き刺すことができればいいが、男の背が高いため、刃が到達する前に見切られてしまうだろう。

 ならば――

 

 リエルは右手で短剣を弄び、逆手に持った。


 ――手数は増えるが、仕方ない。まず男の腕を削る。それから拘束を逃れ、太った男を一刺し。マルスと脱出する。


 高鳴りそうな心臓を鎮め、裂帛れっぱくの気合は心中に押しとどめ、筋肉に緊張を走らせる。

 そして、腕を振り上げた。




 ――狩人は決して大きな音を出してはならない。


 まだ小さかった頃、憧れの父に口を酸っぱくして言われたことだ。

 狩人の掟。狩人は決して、伝説に登場する剣士のような派手な振る舞いはしない。

 狩人は戦う者ではなく、狩る者。故に、互いの力をぶつけ合う展開になる前に、一方的に仕留めなくてはならない。

 気配を消し、余計な敵をつくらない。そして、一方的に、確実に。



 父からの教えはリエルの身に染みていた。既に一方的な状況ではなくなってしまっているが、最善が無理なら次善。それで十分。問題はない。


 心中の雄叫びは漏らさず、渾身の力を込め大男の腕に短剣を突き立てた。


 が、思ったよりも浅い。男も怯んだような様子を見せてはいない。

 なら、もう一度。と短剣を引き抜こうとするが、それはびくともしなかった。ならばと、抉るようにねじ込もうとするが、浅く止まったまま。まったく先へは進まなかった。


 「痛ぇな」


 まるで応えていないというように、寧ろ嬉しそうに男はリエルの耳元で低く呟き、拘束が強まった。再び足が持ち上げられ、気道が締まる。


 そうして放たれた、小突くような膝蹴り。

 リエルと男は密着している以上、威力が出るはずもない。事実、男の動きはごくごく小さなものであった。

 しかしその一撃でリエルの大腿骨はいとも容易く折れた。


 ぽきっ、と枯れ枝を踏み鳴らしたときのように、軽い音が鳴った。


 「っぁぁあああああああああああぁぁぁ!」


 不意に訪れた激痛。反射的にリエルの口からは人間のものとは思えないほどの悲鳴が上がった。


 まずい、これで他の奴らにも気づかれてしまうかもしれない。そんなリエルの焦燥とは裏腹に、悲鳴はなかなか止んでくれなかった。

 それほどまでに屈辱的で冒涜的で絶対的な痛みであった。意思とは無関係に溢れ視界を滲ませる涙が心底腹立たしかった。


 「ちゃんと抵抗できるんじゃないですか。危うく騙されるところでしたよ。人間にしてはやる方じゃないですか、ねえ?」


 リエルの滲む視界の先、太った男が言った。


 「でも、所詮は人間です」


 拘束している巨体の男が返す。


 「あはははっ! そりゃそうだ! 確かに、ヴァンゼルムくんの言う通りだ! 所詮は人間。というより、我々と異なる時点で劣等だ。元より虐げられる側なんですよ。弱いから、守れない――」


 言いながら、太った男がびついた斧を振り上げる。べっとりとついた血や髪の毛を除けば、どこか見覚えのある斧だった。


 これから何が起こるかを察して、リエルは拘束を振りほどこうと藻掻いた。痛みにもだえながらも、足掻いた。

 無力な羽虫のように、しかしそれでも必死に四肢をくねらせ身をよじった。


 しかし、その抵抗は当然のごとく封殺され、ヴァンゼルムの巨大な手で頭を鷲掴みにされる。そのまま顔がマルスへ向くよう、強制的に固定された。


 リエルが弟の目を見る。項垂うなだれるマルスもゆらゆらと首を上げて、兄を見た。


 「……にいちゃん…………」


 その顔には、何も浮かんでいなかった。


 自身の死を目前にして、そこには怒りも悲しみも怖れも不安も諦めも、およそ感情と呼べるものはなにもなかった。

 精神がすり潰されて、まるで既に死体になっているかのようであった。


 それは、意志を持っての行動であったのか、はたまた反射的な何かなのか。マルスは傍に転がる両親の亡骸なきがらに目を落とした。

 やはり、そこには何の感情も見ては取れない。


 太った男はその様子に満足したのか、自身の重たい頬肉を醜悪に持ち上げ、続けた。


 「――そんなにひ弱な力では、大切な弟すら、守れない」


 演説のような芝居がかった調子で言葉を区切り、男は言った。

 そこには、明確な嗜虐しぎゃくの喜びがあった。愉悦に目がきらめいていた。恍惚こうこつと酔っていた。


 斧が振るわれる。

 膂力りょりょくに頼った力任せの雑な一振り。


 それは微かな抵抗を感じながらも、ぶちぶちと筋線維を抉っていき――


 

 ごちゃ。


 ――マルスの頭が、地に堕ちた。


 「…………ぁあ」


 リエルの喉から、呻きのようなものが洩れた。


 「つまらないですね。もっと叫んでくれてもいいのに」


 男は、少し期待外れだ、と落胆の色を滲ませる。


 「……でもまあ、こんなものでしょう。それなりに楽しめました。それじゃあ、もう死んで結構ですよ」


 新たな血と肉がこびり付き滴る斧を片手に、太った男は悠々と、弾むような心持ちで足を進める。

 リエルの方へ一歩、また一歩。なぶるように、ねぶるように。


 「何をしているのですか? こんなことを許した覚えはありませんが」


 唐突に発せられた声の持ち主は、太った男の背後から歩いてきた。


 全体的にすらりとした背の高い男。年は三十には届いていないぐらいだろうか。

 しかし銀髪をオールバックにし、燕尾服を無駄なく着こなしている姿は、その外見年齢にそぐわない風格を感じさせた。

 理知的な表情には、リエルに対するものか、或いは同胞に対するものか、蔑みの色も窺え、どこか圧迫感を与える男だ。


 その隣には、この場にまるで似つかわしくない、小さな少女が共に歩いていた。


 「レープマン男爵、何故このような、命令されてもいない行動を取っているのですか?」


 「あっ、これは、その……ははは。まあ一人や二人、三人くらいは構わないでしょう? こいつらは人間。単なるゴミです」


 新たに現れた銀髪の男に問われたレープマン男爵と呼ばれた太った男は、声を引き攣らせ狼狽えながらも答えた。


 「弁明など訊いていない。エクトレラ様、いかがなさいますか?」


 銀髪の男は返答を一蹴し、隣を歩く少女にうやうやしく伺いを立てた。


 「好きにしていいわ。でも一応、殺さないでね。そんなんでも、殺すと面倒なことになるから。ちょっとは時間もかかるだろうし」


 「畏まりました」


 銀髪の男は慇懃いんぎんに頭を下げると、音もなくすんなりとレープマン男爵の方へ歩みを向ける。


 レープマン男爵は先ほどまでの弱者を甚振いたぶる態度とは打って変わり、小鹿のようにぷるぷると震え出した。

 きょろきょろと忙しなく目を動かし、何か打開策を見つけようというような素振りを見せるものの、結局、その場を動くことはしなかった。


 「ぁぎゃぁぁああああああああああぁぁあああああ!」


 リエルが瞬きを一つすると、誰かの絶叫が空間をつんざいていた。その主は、倒れていた。レープマン男爵は両脚を失い、顔を砂で汚していた。銀髪の男を見ると、その手から肘にかけてが赤塗れている。

 手刀で脚を切り落としたのだと、リエルは目に映る証拠から導き出される簡単な答えを無理やり受け入れた。

 

 その心中は、荒れ狂っていた。

 こんなのは人間じゃない。人間であるはずがない。なんだこの化物は。こんな人間を、僕は知らない。


 「この程度で済むことに感謝しなさい。最近のレープマン男爵の言動は目に余ります。あまり酷いようなら、ゆくゆくは粛清という手段を取る必要も出てきます。今一度、自身の忠誠の在り方を確認してください」


 銀髪の男は酷薄に言った。

 返答を期待したものではなかったのか、銀髪の男はレープマン男爵から離れ、再び少女の隣についた。


 その間、リエルはレープマン男爵を凝視していた。穴が空くほどにその光景を見つめ、呆然とした。


 脚の付け根が熱を発し、蒸気を昇らせている。

 レープマン男爵の両脚は再生を始めていた。骨が形成され、赤い肉が纏わりつき、それはすでに元の形を取り戻しつつあった。


 そういえば、と今もなおリエルを拘束しているヴァンゼルムの腕を見やれば、そこにはすでに傷一つなかった。


 

 ――化物。


 

 しかし少女と銀髪の男が近づいて来るたび、ヴァンゼルムは怯えるように小さく後退した。


 「何をしている。早くその人間を降ろせ」


 銀髪の男が苛立ちを混じらせた怜悧な声を発すると、息を呑んでヴァンゼルムはぱっと拘束を解いた。


 ぶらついた右脚では着地もままならず、足の甲をぐにゃりと曲げながら、リエルは地に尻をついた。


 感覚が麻痺しているのか、痛みはなかった。

 そのままリエルの思考はふわふわと定まらないものになり、ただ自然と、少女の向こうに横たわっているはずの家族に意識を向けた。


 リエルの瞳に少女はまるで映っていなかった。透視などし得ない彼が少女という障害物を透かして見ることなどできないはずであるが、確かに、その瞳には愛する家族の姿が映っていた。


 少女はリエルのその様子に少々不満げに眉をしかめたが、すぐに余裕の微笑を湛えた。


 少女がリエルの目前で膝を立てて座り、両手で、いまだ自身に意識を向けていないリエルの両頬を挟んだ。そして、その瞳を覗き込む。


 「綺麗ね」


 そこで初めて、リエルは少女の顔を間近に認識した。


 レープマン男爵にも、ヴァンゼルムにも、銀髪の男にも、そしてエクトレラという眼前の少女にも。同一の特徴があった。


 ぎらりと深くかがやく紅い瞳。



 ――ああ、そうか。こいつらが…………。


 リエルは一年ほど前、都会から流れてきたのだろう話を耳に入れていた。辺境の村には碌に情報は集まらないものであったが、それでも話には聞いていた。


 曰く、大陸の侵攻を企む者たちがいる。その者たちは人の姿をしていながら白狼族にも劣らぬ腕力をもち、なにやら特異な能力を使う。尖った耳と、鋭く発達した犬歯を持つ。そして、血を煮詰めたような紅い瞳。半ば伝説のものとして語られているその種族は、その特性から、こう呼ばれる。


 ――吸血鬼。


 やさしく触れられているはずなのに、リエルの頭はぴくりとも動かなかった。

 目だけを動かしてみると、周囲には、他にも紅い瞳の者たちが集まって来ている。


 それは『誓い』と呼ぶにはあまりにも禍々しく、おどろおどろしい。もはや、一種の呪いに近いのかもしれなかった。

 しかしこの時、リエルは確かに誓った。


 ――皆、僕はやるよ。父さん、眼球を抉るよ。母さん、全裸に剥いて腹を割くよ。マルス、断首して晒すよ。吸血鬼こいつらる。ぶち殺すよ。


 

 

 そして為すすべもなく、リエルの首筋に少女の鋭く伸びた牙が立てられた。

 

 リエルの意識はおぼろになってゆく。

 生気が根こそぎ奪われていくような……、それでいてどこか心地良いような…………。


 ふわりと、血生臭い少女の匂いが香る。



 ――吸血鬼を、一人残らず殺す。滅ぼしてやる。


 胸中で自身への誓いを再度唱え、彼の意識は途絶えた。





*****





 「美味しかった。これは期待できるかもしれないわね」


 流麗な所作で口を拭うと、少女はリエルを見やって上機嫌に呟いた。



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