2-4


    *


 幼い頃は、流佳よりも新奈の方がよくいじめられていた。よく泣いていたのも新奈の方だった。新奈がいじめられる度、相手に仕返しすることもなく、黙って流佳が彼女の手を引いて、その場から離れる。そんなことが何度もあった。

 流佳のそんな姿が、新奈には頼もしく思えた。そして、彼に手を引かれる度、なぜか自分のことがとても情けなく思えて、より一層泣いていた。彼女の涙が止まるまで、じっと流佳は待っていた。

 けれど、ある日、流佳が新奈と遊んでいる途中に倒れてしまった。どうすることもできず、新奈はまた泣いたが、時間が経つ毎に苦しそうな彼を見て、いても立っていられなくなって、助けを呼びに急いだ。その後、流佳は病院へと運ばれた。

 一緒に病院へ付き添った新奈は流佳が心配で、また泣いた。彼の両親が泣いているのを見て、もっと泣いた。治療が終わって、辛そうに眠っている流佳の顔を見て、更に泣いた。

 それ以来、流佳の体調はどんどん悪くなっていった。見舞いに行く度、新奈は、彼がいなくなるように思えて、不安になった。そんな時はいつも彼の手を握った。――強くなろう、いつも流佳の側にいよう。そして、そんな決意を抱いた。

 新奈はあまり泣かなくなった。そして、いつしか流佳を守るのは彼女の方になっていた。だけど、彼が消えてしまいそうな、あの不安が消えることは決してなかった。


 ――突如、暗闇が広がった。


 遠くの方に、ルカの姿が見える。

 待って。ニイナは止めようと口を開いたが、声は出なかった。

 待って、待って! その間に、ルカがどんどん離れていく。思わず、ニイナは手を伸ばした。

 その手が届くことは、ない。

 ……これは、夢なんだろうか? 夢なら、お願い、早く――――!


    *


〝――夢じゃありませんよ――〟

 そんな声が耳元で聞こえた気がして、ニイナははっと目を覚ました。いつの間にか眠って、夢を見ていたいたらしい。ルカの手も離してしまったようで、彼はただ黙ってビンを抱えてうつむいていた。

「おはようございます、駅に着きましたよ。 今度の駅は少し特殊なので、ご案内しますね」

 ニイナを覗き込んでいたヴァイがそう言って、彼女が立ち上がるのを待っていた。

 ……あの声、ヴァイさんに似ていた気がする。ニイナはそう思ったが、当の本人は何の素振りも見せていない。……気のせいだったのだろうか。ニイナはひとまずビンを抱え、立ち上がった。

 今度の駅はヴァイの言う通り、今までとは少し違っていた。造りは同じだったが、大きな扉の代わりに、玄関に取り付けられている様々な扉が無数にあった。電車に残っていた「人々」も全員、その駅で降りたようだった。

「ここはね、生き残った人々が死者を迎える行事に呼び寄せられた魂達が、自分の家族などの元に〝行く〟ことができる駅なのですよ。 ここで降りた魂達は大抵、幸せな気持ちで生まれ変わることができます。 ……さて、わたくしにしっかりついて来て下さいね。 迷い込んでしまっては大変ですから」

 ヴァイの言葉を聞いて、ニイナは再び、ルカの手を握った。そうしていないと、やはり彼が消えてしまいような気がしたからだった。

 迷いなく、ヴァイは今までと同じ木製の扉へと、ふたりを案内した。鍵を開けて、その場に立ち止まるとこう話した。

「この駅には十五分ほど停車しています。 また、クラクションを鳴らしますからそれまでお願いしますね」

 ニイナとルカは庭園に入り、慣れた手付きで星くずのかけらを集め始めた。――が、そのすぐ後、手を止めたルカが彼女に呼び掛けた。

「……ねぇ、ニイナ」

 不安な気持ちと嫌な気持ちに襲われながら、ニイナはルカの方へ顔を向けた。……先程の夢が頭をよぎる。聞きたく、ない。

「僕ね、このままいなくなろうかなって思ってるんだ。 皆が言うように、僕の〝居場所〟なんてどこにもないような気がするんだ。 だから――――」

 ニイナは息を呑んだ。……本当に夢じゃ、なかった。彼が言おうとした言葉の続きを考えると、涙があふれた。

 ――だめ……だめだよ、ルカ! そんなこと言っちゃ! ルカがいなくなったら、お母さんお父さんが悲しむよ! それに、あたしだって! あたし、ルカと一緒にいたい! だから、ルカ、いなくなるなんて絶対だめだよ!!

 涙と共にあふれた思いを伝えようとしたニイナだったが、上手く声が出なかった。言葉を失ってしまって、口を開いても、ただ嗚咽が漏れるだけだった。……だめだ、このままじゃ、本当にルカがいなくなってしまう。焦って、ニイナはもう一度口を開こうとした。

 その次の瞬間、運悪く、電車のクラクションが鳴り響いた。それを聞いたルカがニイナに背を向け、強引に彼女の手を引いて電車へと戻った。そして、元にいた座席に座ると、黙ってうつむいていた。

 ……ルカをこのままにしておく訳にはいかない。何とか気持ちを落ち着かせ、涙をこらえて、ニイナはもう一度口を開いた。

「ルカ、いなくなるとか――死ぬなんてこと言っちゃだめだよ! そんなことしたら、色んな人が悲しむんだよ、家族とか友達とか……それに、あたしだって! それに、誰かがそう言ったからなんて、そんなのあてにしちゃだめ! ルカにも絶対〝居場所〟はあるんだよ!? 言われたからってこのままいなくなったら、それはルカが逃げたってことになるんだよ! そんなの絶対だめ、――諦めちゃだめ!! ルカが負けないように、あたしも強くなって手伝うから! お願いだから、いなくなんかならないで、あたしルカと一緒にいたいの……!! 一緒に頑張ろうよ、ルカ……」

 今度は何とか言葉にすることができたが、声が震えてしまっていた。話している内に、ニイナはまた泣いてしまっていた。

 相変わらず返事はなかったが、ルカはニイナの方を見つめて、悩んでいる様子を見せた。彼女の涙と思いを受け止め、迷い始めているようだった。

 沈黙が広がった少し後、ヴァイがふたりの元を訪れた。一瞬、ふたりの様子を見て何か言いたげな表情を見せたが、何も言わず、ビンの量を確認した。

「……さて。 おふたりには最後の仕事をお願いしたいのです。 ビンを持ってわたくしに着いて来て下さい」

 ニイナは涙を拭いて、ヴァイの後ろへと続いた。黙ったままだったが、ルカも同じように続いたのだった。

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