2.junction・destination

2-1


 ――……気が付くと、我慢できなくなって、走り出していた。


 少女は先程までいた教室から飛び出し、あてもなくひたすら走っていた。

「ねぇ、新奈にいな、どこ行くの?」

 とある少年を連れて、彼女――新奈はその問いには答えず、つかんでいる少年の手をより一層強く握った。……どこか、遠くへ。そう考えていたら、彼女の足は自然と駅に向かっていたのだった。


    *


 事の発端は数時間前。その少年――流佳るかが教室でいじめられているのを、新奈が目撃したことからだった。

 昔から病弱だった流佳はよく学校を休んでいたため、周りと馴染めないでいた。それが原因なのか、優しすぎて文句を言わない彼の性格のせいなのか、以前からいじめられることが多かった。高学年になった頃からは無視をされることの方が多かったが、その時だけは違っていた。……突き飛ばすなどの暴力を受けていたのだ。

 新奈は自分のことを最初に責めた。――なぜ、自分は気付けなかったのだろうか。近頃、流佳が何か思い悩んでいる様子を時々見せていた。新奈はそんな流佳を気に掛けていた。けれど、新奈を心配させまいとしたのだろうか、流佳はいじめのことを彼女に打ち明けようとはしなかった。

 新奈と流佳のふたりはお互いを大切な存在だと思っていた。家が隣同士で幼なじみで、きょうだいのようでもあり、親友でもある――そんな存在。そう思っていたからこそ、新奈は流佳をいつも守って来た。……それなのに、どうして。

 その上、クラス委員でもある新奈が教師に呼ばれ、職員室を訪れていた時に限って、事件が起こったのだ。

「出て行けよ、お前のせいでクラスの奴らに迷惑がかかってるんだよ! ――ここには、お前のいる場所なんかねぇんだよ!」

 そんな言葉と共に、教室に響き渡っていたのは彼を馬鹿にしたような笑い声。そして、小さな泣き声が混じっていた。……泣いていたのは流佳だった。

 周りは誰も彼を助けようとはしない。――自分が標的になるのを恐れて見て見ぬ振りをしているだけか、面白がってもっとやれなどと同調して叫んでいるだけなのだ。

 そんな様子を見ていた新奈は気が付くと、何人かの少年に囲まれている流佳の前へ躍り出ていた。怒りを顔に浮かべた彼女の姿を見て、少年達は一瞬ひるんで、流佳から離れた。

「ねぇ、恥ずかしいと思わないの? いじめなんかして。 自分がされたらどう思うのか、考えたことあるの? ……いいわよ、そんなに言うんだったら、こっちから出て行くわよ! せいぜい、あたしたちがいない間によく考えておくことね! ――流佳、行こう」

 新奈はそう言い放って、流佳の手を取って立ち上がらせるとそのまま教室を飛び出て、走り始めたのだった。そして、現在に至っている。


    *


 駅に着くと、新奈はポケットから、いつも携帯している緊急用の財布からいくらか取り出した。そして、乱暴に販売機のボタンを押して、適当に二人分の切符を購入する。

 切符の確認もあまりせず、すぐに一枚分を流佳に渡し、新奈はそのまま彼を連れて、改札を通りホームへ入った。そして、ちょうど入って来た電車に乗り込んだ。昼間だというのに電車は満員で、ちょうど空いていた対面式の座席に、新奈は流佳と向かい合って座った。

 すぐに電車は出発する。しばらく、ふたりは黙り込んで、過ぎ去って行く窓の景色を眺めていた。止まることなく、電車は走り続け、間もなくトンネルに入る。どうやら距離が長いらしく、車内に電気が点けられる。

 暗闇しか見えない窓に目をやりながら、新奈は物思いにふけっていた。……夢中になって教室を飛び出したが、ひょっとすると怖気づいて逃げたように見えたのではないだろうか。今度教室に行った時、流佳がひどい目に合ってしまうのではないだろうか。時間が経つにつれ、だんだん不安に思えて来たのだ。

 以前に新奈の行動が空回りして、かえって流佳に迷惑がかかってしまったことがある。……またやってしまったかもしれない。新奈は自嘲しながら、流佳に話し掛ける。

「ねぇ、流佳、あれ、やっぱり逃げたように見えたよね。 ……ごめんね」

「謝ることないよ、おかげで助かったんだから。 新奈はいつも頼りになるね、ありがとう」

 けれど、流佳はそう礼を言って、笑ってみせた。新奈のことをよく理解している彼はいつだって、笑顔で感謝をしてくれるのだ。新奈はそんな優しい流佳が大好きだった。

「でも、これから新奈の方が大変なんじゃない? 僕のことなんかかばっちゃったら、今度は新奈が……」

 続けて、流佳がそんなことを口にしながら、心配そうな表情を見せた。……いつだって、流佳は自分のことより他人のことを気にする。そんなところも彼の優しさではあったが、新奈にとっては少し頼りなく感じるところでもあった。

「あたしは大丈夫だから、気にしないで! そんなことより具合は悪くない?」

 これ以上、流佳に心配をさせてはいけない。そう思いながら、新奈は首を横に振りながら、元気良く答え、そして話をそらして彼の顔色を伺いながらそう尋ねる。

「うん、平気だよ! 不思議だね、あんなにたくさん走ったのに、咳一つ出ないなんてさ」

 確かに、そう答える流佳の言う通り、いつもよりは随分顔色が良いようだ。新奈は安心して、胸を撫で下ろした。

 ふと、新奈は車内に目をやる。……そう言えば、電車に乗り込んだ時は疑問に思わなかったが、おそらくまだ昼を過ぎた頃なのに、昼間の電車はこんなに混んでいるものなのだろうか。他の座席も空いているところはほとんどなかった上、通路はかろうじて一人が通れるくらいの空間しか残っていない。新奈は不思議に思って、今度は人々に目を向ける。

「……えっ?」

 その次の瞬間、新奈は驚愕した。――人々が、ぼやけて見えたのだ。目を凝らして、新奈はもう一度人々を見つめ直した。

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