第4話 お礼②

 コーヒーを飲み終えると、沈黙の時間が訪れた。この前会ったときの、すごくぎこちない感じの沈黙とは若干異なる、ある意味自然な沈黙だった。


 ちらりと彼女を見ると、真由は穏やかな表情になって何かを考えていた。彼女特有の人見知りな感じは半分以上無くなっている。おそらく、彼女は仲良くなれば自然と話せるが、そうなるまでが問題なタイプなのだろう。わざわざマッチングアプリを使ってまで、コミュニケーションの練習をするまでではないと思えた。


「引っ越しとか、入学準備とかはもう終わった?」

「まだ、かな…。荷物の片づけは、もうすぐで終わるけど、その、入学準備は…全然」


 別に責めているわけでもないのに彼女は恥ずかしそうに言う。


「あんまり準備することもないよ、そもそも」

「そう・・・だよね」

「そう言えば、引っ越しは友達とかに手伝ってもらったの?女の子一人じゃ大変でしょう」


 彼女の息が一瞬止まる。そして、気まずそうな、不自然な笑みを浮かべた。


「私、友達いないし」


 そう言う彼女は寂しそうな表情だった。

 考えてみれば、俺みたいに友達と一緒に大学入学、というケースが稀なのかもしれない。


「でも、荷物少なかったから、そんな大変じゃなかったよ」

「へえ、女の子は荷物いっぱいありそうなイメージだったけど」

「少ない方が、楽だし…」


 俺は自分の散らばっているワンルームを想像する。


「まあ、それはそうだね。大学生の住むところって狭いし。物いっぱいあると片付けてもなんかごちゃごちゃって感じだしな」


 そう言うと、今回は不自然な沈黙が訪れる。その沈黙を破ろうとしたら、先に口を開けたのは彼女の方だった。


「ねえ」


 顔を上げると、彼女は真剣そうに俺を見ていた。



「私って今日、友達みたい・・・だった?」


 とても突然な質問だった。


「すごく自然だったよ」

「うん、そっか。ちょっと安心」


 彼女は恥ずかしげに笑った。


「練習に付き合ってくれて、ありがとう」


 彼女は軽くお辞儀をした。

 練習…か。その言葉に、妙な違和感を覚える。


「いやいや、俺も楽しかったし」

「本当?」

「本当」

「そうなんだ」


 彼女は安心したように胸を撫で下ろした。


 俺はもう一度、先の彼女の言葉を考えてみる。『友達がいない』というのは、ここに友達がいない、ということだろうか。それとも、言葉通りの『友達』がいないということだろうか。もし後者なのであれば、それは一体なぜだろうか。


 彼女は確かに、初見の人に対して極度な人見知りだけど、俺は今、彼女とのコミュニケーションにそれほどの不便を感じていない。つまり、初見の時さえ乗り越えれば、彼女だって普通に喋ったり笑ったりができるということだった。


 更に、彼女の顔は清楚で、正直に言うとすごく可愛い。性格もなんだか、穏やかで良さそうな人で、それでも自分の欠点を直そうと思い、似合わないマッチングアプリを使うほど真面目で。そんな練習が必要なほど、人間関係に困っているようには見えない。


「私、そろそろ行かなきゃ。後で、荷物が届くの」


 考えていると、ぽつりと彼女が言う。

 まあ皆、色々と事情があるだろう。俺はそう思いながら、彼女に答える。


「そっか、じゃあ行こうか」


 彼女は頷いた。





 駅前に着くと、俺は挨拶のタイミングを見計らっている彼女に言う。


「実は俺もこの駅。この辺って、そもそも駅ここしかないでしょ」


 そう言うと、彼女は首を傾げた。そして急に耳まで真っ赤になった。


「ご、ごめん。あの時はすっごく、その、慌てて…」

「いいよいいよ。謝ることじゃないし」

「うん…」


 それでも彼女の顔は真っ赤のままだった。このまま立っていても彼女をもっと困らせるだけだったので、俺はさっさと改札口を通った。その後を彼女が着いてくる。


「真由は何線?」

「えーと。中央線だよ」

「あ、同じだね。じゃあ一緒に行こう」


 彼女が驚く。


「え、夏樹くんも、中央線なの?」

「そうだけど、真由は東京方面?」


 その変にある女子大学などを思いながら言うと、彼女は首を横に振った。

 なんか少し、嬉しかった。


「偶然だね。前も一緒に帰れば良かったかもな」

「うん、そうだね」


 彼女は小さな声で答えた。


 俺たちは高尾行きの電車に乗り、ドアーの辺に立つ。立ち話をするには車内が混んでいたので、無言のまま車窓から東京の風景を眺めた。


 一つ一つ駅を通る旅に、俺は足がどんどん地に着かなくなった。暗くなりつつある東京の景色が、俺をもっとそういう気分にさせたかもしれない。


 彼女は、このまま一人で頑張っていけるのだろうか。俺が心配するほど、彼女は変な人ではない。逆に、大学に入ったらモテ過ぎて困るぐらい、人気者になるかもしれない。なのに俺は、いったい何を心配しているのだろう。


 ふと、袖振り合うも他生の縁と、その諺が思い浮かぶ。


 考えているうちに、俺の降りるべき駅は、次の駅まで迫っていた。



 理由は分からない。分からないけど。



 俺は決心を決め、彼女の方を振り向いた。

 すると、ちょうど同じタイミングで俺の方を振り向いた彼女を目が会った。


「あのさ、俺次降りるけどさ」


 何が話したいかも分からないまま適当なことを言ってみると、彼女はなぜか驚いた。


「私も、同じ駅」


 その言葉に、緊張が解れて消えてゆく。



 駅から出た俺たちは、近くの公園のベンチに座る。

 3月の日の入りは早く、既に空にはきれいな夕焼けが広がっている。普段ならなんの感想もなく無味乾燥に見上げていたはずの空に、今日は見惚れてしまう。

 彼女も俺と同じく、夕焼けを眺めていた。


「偶然だね。まさか同じ町に住んでたなんて」


 彼女は頷いた。


「私も、びっくり」


 彼女は来週には大学生になる。どの大学に入るかはまだ聞いてなかったが、きっとこの辺にある大学のはずだった。

 俺はこの辺の大学を考えてみる。しかし出るのは俺の通っている大学しかなかった。


「あの、真由の大学ってさ」


 彼女に訊いてみると、彼女はびっくりした表情になった。


「なぜ大学名を知ってるの?」

「この辺、その大学しかないから。そして俺もそこの大学生」

「え、本当に?」


 彼女は少しだけ大きな声で、驚いたように言った。


「偶然の重なりだね」

「うん、本当にそう」


 俺は顔を上げ、もう一度夕焼けを眺める。見ているだけで暖かさに包まれているように感覚になる。

 俺は夕焼けを見ながら、龍田にアプリを勧められた時を思い出す。


「俺ってさ、実はマッチングアプリ使うの初めてで」


 彼女の視線を感じる。


「友達に社会勉強とかなんとかの変な理由で勧められて、普通ならそういうの無視するけど、今回はなんか使ってみたくなってね。それで使ってみたんだ。そしたら真由と会って、財布一緒に探して、同じところ住んでると思ったら、実は同じ大学でね。めっちゃびっくりしたよ」


 彼女の方に目をやると、彼女は夕焼けと同じく暖かい目で俺の方を見ている。


「さっき、電車で『袖振り合うも他生の縁』とか考えてさ」


 俺も、自分が何を言っているのか良く分からない。


「うちの大学ってキャンパス小っちゃくて、一日に何回も知り合いとばったり会うんだよね。だから」


 らしくもなく緊張で声が震える。


「次、キャンパスで会ったらちゃんと挨拶しよう、友達として」


 真由の瞳が夕焼けに染められてゆく。赤い髪が風になびき、木漏れ日のように光っている。

 潤った瞳で彼女は、精一杯の笑顔を作って見せた。


「うん、宜しくね、夏樹くん…!」


 その笑顔を見て、俺は気付いた。

 俺は、真由の寂しい表情が嫌で、そんな表情しないように、友達になってあげたかったのだと。


 そして、俺のキャンパスライフはここから始まる、と。

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