第3話 お礼①

 彼女から連絡が来たのは、春休みの終り頃だった。

 サークルの皆とライングループで新歓活動について話しているところ、彼女からメッセージが届いた。


【真由:あの、お礼の件だけど・・】


 ラインなのに、なぜか『あの』と『・・』が着いている。自然と、頬を赤らめた彼女の姿が思い浮かび、俺は笑いながら返事をした。


【夏樹:そう言えば、言ってたよね。お礼するって】

【真由:うん、それで良かったら、もう一度会えないのかな、と思って】

【夏樹:いいよ、最近暇だし。あ、できれば4月になる前がいいね。学期始まると色々忙しくなるし】


 少し間をおいてから彼女から返事が届いた。


【真由:今週の週末とか・・空いているかな】


 カレンダーアプリで確認してみると、特に予定は入っていない。そのことを彼女に伝えると、数分後に待ち合わせの日時と場所が送られてきた。


【夏樹:これ、前と同じ時間と場所だね】

【真由:え、ダメかな・・】

【夏樹:いやいや、ダメじゃないよ。遠くないし。じゃあその日また】

【真由:うん!また】


 マッチングアプリで彼女とマッチングされたときのことを思い出す。そのときのすごく硬い文章と比べれば、メッセージでのやり取りはかなりの進化を遂げていた。





 駅前は相変わらず人が多く、俺みたいに誰かの待ち合わせをしている人も何人かいた。俺はつい、この前彼女が隠れていた壁の方に目をやるが、彼女はそこにいなかった。

 吹いてくる風と共に、桜が舞い落ちる。前と比べると、ぐんと春の匂いが増していた。

 そして俺は、桜満開の時期に女の子と二人で会うのは、今日が初めてであることに気付く。

 胸がドキッとするのを感じる。

 そんな、デートでもないし、と思いながら雑念を追い払おうとすると、今回は真由の笑い顔が思い浮かぶ。

 ・・・まあ確かに、可愛かったけど。


「何、考えているの・・?」

「うわっ!」


 急に声掛けられてびっくりしてしまった。

 いつからそこにいたのか、彼女は首を傾げている。俺は目を逸らしながら言う。


「服変わったね」


 彼女は少しだけ眉をひそめた。


「服ぐらい、いっぱい持ってるけど・・」

「あ、そりゃそうだよね。ごめん。うっかりしてて、変なこと言っちゃった」

「そんな、謝らなくてもいいよ・・」


 彼女は困ったように両手を振った。何もかも、遠慮しがちな子だ。





 彼女が選んだところは、以前言ったイタリアンレストランとは反対の方向にあって、そこまで続く道は桜に満ちていた。桜色に染められている道を見ているだけで心が癒される気がした。


「桜って、いいよね」

「わざわざこの道にしたんだ。夏樹くんが、その、好きかなーと思って」


 そう言って彼女は俺の方をちらりと見て、また前に視線を戻した。

 桜が好きかどうかって一度も考えたことがなかった。俺にとって桜はただ、冬が終わり、春が来たことの象徴であり、家族一緒に花見に行く程度の、その季節を表す存在に過ぎなかった。なのに今日は心が癒されたような気分になる。不思議な感覚だった。


「そうだね。俺って、桜好きだったかもな」

「良かった」

「私もね、桜は好き」


 風が吹き、桜が舞い上がっていく。彼女は髪を耳に掛けながら、舞っていく桜を見詰めた。彼女の赤い髪と桜色がとても似合っていて、まるでのような感じがした。


 視線を感じて振り向いた彼女とぱったり目が合った。彼女は慌てながら目を逸らした。


「私、変なことでもしたのかな・・」

「いや、別に」


 俺もなんか照れ臭くて顔があげられなくなった。





 彼女が案内してくれたカフェは、とても洗練されたところだった。コーヒーは飲んでも、ドトールやスタバ以外はカフェに行くことがなかった俺におって、ここのインテリアは新鮮そのものだった。

 丸いテーブルの席に座ると、彼女はキラキラする目で店内を見渡した。


「良く見つけたね、こんなきれいなところ」


 そう言うと、彼女はテーブルにおいてある自分のスマホを指した。


「検索したら・・すぐ出るし」

「俺は見ても良く分からないんだよな」


 すると彼女の頬がほんの少し赤くなった。まだ褒められることには慣れていないようだった。

 俺はまず何かを注文しなきゃと思い、メニューを彼女に渡した。彼女はメニューをもらったまま、首を傾げている。


「先に決めってという意味。僕は普通のコーヒーにするから」

「あ、そうだね・・。じゃあ私、決めるね」


 そして彼女はメニューをめくり始めた。真剣そうな表情でたまに眉を寄せたり、何かを考えるように視線が右上に行ったりしながら、メニューを何回も読んでいる。


「何頼めばいいのか分からなければ、俺のオススメとかはどう?」

「ごめんね・・」


 彼女が安堵するのが見える。

 俺は彼女からメニューを返してもらい、メニューを一つずつ確認する。イタリア語っぽいメニューが多く、俺にも正体の知らないものがほとんどだった。その中で俺が頑張って選んだベストアンサーは『キャラメルマキアート』だった。


「苦いものよりは甘い方がいいよね?」


 念のため訊くと、彼女はうん、と頷いた。

 俺は店員を呼び、温かいコーヒーとキャラメルマキアートを注文した。ゆっくり待っていると、すぐ二杯のカップを持った店員が戻ってきた。

 そして俺はコーヒーを、彼女はキャラメルマキアートを啜る。


「美味しい」


 彼女は嬉しそうに言った。


「ちょうどいい甘さでしょ?」

「うん。すっごく美味しい」


 そう言いながらまた啜る。やはりキャラメルマキアートは誰も裏切らない。俺も、最初はあれでコーヒーに入門したし。

 気付くと、彼女は俺の方を見ていた。


「どうしたの?」

「今日はね、私が奢りたいの」

「確かに、お礼とか言ってたよな」


 彼女は頷く。


「そして・・」


 彼女は自分のバッグから何かを探した。財布を探しているのかなと思ったら、彼女が出したのはプレゼント用に包装されている四角い何かだった。彼女はそれを、俺の方にそっと置いた。


「その、お礼でちょうどいいと思って・・」


 予想もしなかった展開にドキッとした。女の子にちゃんとしたプレゼントなんて、もらったことがなかった。


「これ、開けてみてもいいの?」


 彼女は頷く。

 俺はごくんと唾を飲んでから、包みが破れないように気を付けて解き、中身を確認する。


 それは、本屋で彼女が勧めてくれた黄色い表紙の本だった。


「他に何をあげればいいのか分からなくて、その、やっぱり嫌だった・・?」

「そんな、嫌なわけないよ。超うれしいよ」


 おずおず訊く真由に向け、俺は嬉しさを込めて笑ってあげた。すると彼女は安心したようで、ゆっくりとキャラメルマキアートを味わった。

 この機会に、読書にチャレンジしてみよう。俺はそう思いながら、コーヒーを啜った。

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