イン
ペチペチと頬を叩かれるような不快感と顔に滴る、冷たい水の感触がする。何? 冷たいんだけど。
「ん。やめて」
「カエデさん、起きてください」
重たい瞼を開き、何度かまばたきをする。目の前にはサダコの顔。こちらを心配そうに覗き込んでいる。
「……サダコ?」
「目を覚ましましたか? 良かったです」
「なんで床で寝てるん……?」
確かマウンテン鼠の尻尾を切って、空を落下。それから……目を大きく開きサッと立ち上がり自分の身体を確かめる。
「痛っ」
右の手首は完全に折れ腫れている。少し触るだけで痛く、手首から骨の軋む音を身体に伝わる。不思議水を大量に飲み腕に掛けると痛みは大分減ったが、骨は折れたままだ。これ、治るの?
無言で辺りを見回す。サダコ、オハギ、肩で未だ根を張るギン。それから広がる森……?
「オハギ、ギンは大丈夫?」
「大丈夫なの。もうすぐ起きるの」
肩にいるギンはいつもの感じで寝ている。
オハギはもうすぐ起きるといったけれど、所詮は妖精の『もうすぐ』。不安はある。
それに、この森は何? 森なのに、森の匂いがしない。何ここ。
困惑する私にサダコが尋ねる。
「カエデさん、大丈夫ですか?」
「ん。手首は折れているけど、大丈夫。それより、ここどこ?」
「……アレの腹の中です」
サダコの言葉が一瞬分からず、眉を顰める。
「え……は? アレって? まさか、マウンテン鼠じゃないよね?」
「……はい。その腹の中です」
「はぁぁ?」
なんでマウンテン鼠の腹の中が森なん? もうこれサダコも私もあの世にいるんじゃない? 訳がわからないと頭を抱えると右手首がズキッと痛む。
あー、夢でもあの世でもない。これ、現実だ。サダコの言うことが正しければ、確実にインザ鼠している。
「本当に?」
「間違いなく」
私は鼠の唾液いっぱいの口を見た瞬間に気絶したけれど、サダコはマウンテン鼠に呑まれこの場所まで落ちる全てを覚えていた。どうやら、マウンテン鼠にサダコの放ったシールドのまま丸呑みにされたので助かったらしい。
「シールドでも、あの力で噛み砕かれていたら防ぎようがありませんでした」
「いや、助かったよ。本当、ありがとう」
「それより、見てください。ここの植物はおかしいです」
サダコにそう言われ、足元にある草を摘めばサラサラと灰のように砕けた。手から落ちた灰はそのまま地面へと吸収されていった。
「何これ……」
「私の考えが間違いでなければ、ここは誕生したばかりのダンジョンです」
「ん? ダンジョンの中のマウンテン鼠の中にダンジョンがあるってこと?」
「そうです。でも、このダンジョンは成長が異常で危険です」
「何それ、最悪じゃん」
よく見れば、地面のところどころが白い。
ジッと観察していた白い地面から急にボサッと草が生える。成長が早いってそういうこと? 生い茂った草を抜けば、また灰のように散った。サダコはそれを急な成長の障壁ではないかと予想。
「これだけの成長のエネルギーを補うのには、相当の力がいるはずです」
「力って何?」
「手っ取り早いのが妖精ですね」
苦笑いするサダコの顔色は悪く、額には汗も出ている。それに、さっきから右肩を無意識に守っているように見える。そういえば、落下の時も様子が何かおかしかった。
「右肩、見せて」
「だ、大丈夫です。外れただけですから、先程元に戻しましたので」
「いいから、早く見せて」
「分かりましたけど、本当に大丈夫です」
石の魔石を発射した時に、私への衝撃の一部をサダコが受け止め肩を脱臼したようだ。あの頑丈なホブゴブリンに怪我をさせるって……もうあれは封印。絶対封印するから!
脱臼した肩を自分で地面に打ち付けて元に戻したと言うサダコ。そんなので治る? ホブゴブリンの治療法なん? 脳筋説が濃くなるばかりなんだけど。
サダコに肩を見せてもらったが、外傷がないのでよく分からない。触っても平気そうな顔をしているけど……グッと肩を押すとサダコの顔が少し歪んだ。肩は元に戻っているが、痛みはまだあるようだ。
「大丈夫じゃないじゃん。これ飲んで」
「これは、奇跡の泉の?」
「うん。早く飲んで」
サダコには遺品を渡す過程で不思議水の話もしていた。サダコが生まれた時にはすでに湖はクラーケンの縄張りになっていたので、不思議水を飲むのは初めてだと言う。
「痛みが引いていきます」
「大丈夫そう?」
「身体が軽いです」
腕を振り回しながら言うサダコ。元気になったらなそれでいい。
「ここ、出口とかあるの?」
「出口は分かりませんが、入り口はあそこです」
サダコが見上げた天井を見れば、真っ白の中に黒い禍々しい穴がひとつあった。
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