しろのからす

1

突如として南極の中央に巨大な穴が出現した。


南極観測隊の隊長である五十嵐は数十名の隊員たちとともに、南極の中央にある巨大な穴を調査するため、穴のある中央の地点までアリの行列のように一列になって歩いていた。防寒具を身にまとった五十嵐たちは、厚く積もっている、湿った雪の上をぶ厚い長靴でもってギュッギュッと踏み歩いてゆく。凍えるほど冷たい南極の風が五十嵐たちの鼻先を真っ赤に染めている。


「五十嵐隊長! 途中報告になります。穴の地点まであと一キロほどになります」と、先頭の五十嵐のすぐ後ろを歩く岩月副隊長が言った。


「了解。目的地点まであともうしばらくだ。みな気をゆるめずに」


五十嵐たちはまたもくもくと歩き始めた。目的地の穴までもう少しと言う現実を前に、五十嵐たちの好奇心は高まるばかりである。


そしてしばらく歩くと巨大な穴の縁が見え始めた。五十嵐たちの好奇心はいよいよ最高潮に達した。


岩月は小鼻を膨らませながら息を荒くした


「いよいよですね。五十嵐隊長。僕は、僕の心臓がドキンドキンと脈を打っているのが分かるくらい興奮しています」


「ああ、俺の心臓も胸から飛び出さんばかりにドキンドキンしているよ」


五十嵐も興奮した様子で目を輝かせながら言った。


巨大な穴は野球グランドほどの大きさだった。穴の縁は絶壁になっていて穴の底は見えない。穴の底はまるで地獄の底と繋がっているかのように漆黒の世界が広がっている。が、穴の縁の一部にちょうど大人一人入れそうな小さな穴が空いていた。が、こちらも穴の底は見えない。なにか動物の出入口のようにも見える。


岩月はその小さな穴に重りの付いた巻き尺を垂らした。


「測定開始。五メートル、十メートル、二十メートル、三十メートル、五十メートル、測定限界値に達しました。五十嵐隊長、この小さな穴はいったいどこまで続いているのでしょうか」


五十嵐は怪訝そうな顔をして


「はて。奇妙だな。この巨大な穴といい、この小さな穴といい、まるで底無し沼のように、底が永遠にないように思える。よし、俺がライトを照らして少し覗いてみよう」


五十嵐は両ひざを雪の上について腰をかがめて小さな穴を覗きこもうとした。が、その瞬間だった。五十嵐が穴を覗きこむが早いか、五十嵐の体は凄まじい重力にでも引き寄せられたかと思うほど、瞬く間に穴の中に吸い込まれてしまった。


「うあー、五十嵐隊長ーッ!」


岩月は半べその顔を歪ませながら叫んだ。

                                 

2


穴の底で五十嵐はふと気がついた。けれども辺りは墨を塗ったように真っ暗である。ただ聞こえるものと言えば自分の荒い吐息と、激しく鼓動する心臓音だけであった。


「ちくしょう。一体ここはどこだ。たしか俺は――そうだ、思い出したぞ。穴を覗き込んだ瞬間に穴のなかに吸い込まれてしまったんだ」


しばらく真っ暗な穴の底に倒れていた五十嵐だったが、やがてだんだんと暗がりに目が慣れてきて、薄っすらではあるけれども、あたりがぼんやり見えはじめた。すると遠くの方から黄色に発光する物体が五つか六つほど近づいてきた。ちょうど暗闇で猫の目がギラギラ光っているようなそれである。五十嵐は言いようのない恐怖心にかられてその場から逃げ出そうとした。が、その時だった。突如として耳鳴りと同時に、重たい重力場にでも入ってしまったかのように、体が金縛り状態になって一歩も動けない。


そうしている間にその黄色に発光する物体は五十嵐の目の前までやって来た。と思うと、稲妻が光ったかのようにあたり一面が紫色の閃光につつまれた。五十嵐はとっさに目をつぶった。けれども目をつぶったまぶたの中でも閃光の残像がチカチカ光っている。五十嵐はあまりの突然のことに一時はパニックにおちいっていたが、やがて目の中の閃光の残像も消えると落ち着きを取り戻していた。そうして恐る恐るまぶたをゆっくり開けた。が、まだ視界がぼんやりする。けれども光を感じることからして辺りが明るいことだけはなんとなくわかった。すると五十嵐の肩を軽く叩く者があった。


五十嵐は「ワァ!」と叫んだなり「何者だ、俺の体に触る者は!」とまた叫んだ。


「人間ヨ。落ち着け。人間ヨ。落ち着け。まずは呼吸を整えるがいい。そうすれば視界がはっきり見えてくる。」


と重たくのしかかる機械音のような声とも言えない声が聞こえてきた。


五十嵐はその謎の声に言われるがまま呼吸を整え改めて目をみはった。すると五十嵐の目の前に得体のしれない巨大な生き物が数人立っているではないか。五十嵐はあまりの恐怖に言葉も出ずただ口を半開きにしながら失禁していた。


その得体のしれない生き物は人間のような体つきはしているが妙に体は細長い。腕と脚も同断である。背丈は三メートルはあるかもしれない。衣類は何も身につけていない。体の色は乳白色で金属のように全身がつるつるしている。しかし目だけは大きい。その目はヤギの瞳孔のように横長である。


そしてその謎の生き物は地面に倒れ伏している五十嵐に向かってまた話はじめた。


「人間ヨ。聞け。オマエは我々の領域に近づきすぎた。一度この重力場に入ってしまえば生きて地上に戻ることはけっしてできない。覚悟するがいい。」


五十嵐はこんな絶体絶命の状況下においても、恐怖心とは別に好奇心の感情が芽生えた。そうしてこの非現実的な出来事を前にして直感的に思った。いま自分の目の前で人間の言葉を喋る奇妙な生き物は地球の生き物ではない。奴らはきっと地球外生命体であると思った。しかし五十嵐は自分の命が脅かされているにもかかわらず、不思議なことに妙に落ちついていた。いや、謎の力でもって落ちつかされていると言ったほうがいいのかもしれない。


「なんだと。生きて帰れないとはいったいどういうことだ。俺を煮て喰うつもりなのか。おまえらはいったい何者なんだ。その風体からして地球の生き物ではないはずだ。答えろ。この化け物め」


「人間ヨ。では答えよう。オマエは我々の宇宙船に侵入してしまった。だから二度と地上には出られない。ちょうど高密度の重力であるブラックホールに吸い込まれて出られない事と同じだ。そして我々はオマエを煮て喰ったりなぞはしない。我々は肉食性ではない。草食性だ。植物と光のエネルギーとわずかな酸素があれば生命を維持できる。だから安心しろ。」


「地上に出られないんじゃ安心なんてできるわけがないだろう。こんな得体のしれない化け物を前にしてな。けれど俺を喰わないことだけは分かったが、いったいお前たちは何者で、ここで何をしているんだ」


「人間ヨ。では特別に教えてやろう。人間の知能で理解ができるか分からぬが。」


と言って謎の生命体は唇のない小さな口を動かし話はじめた。


「我々はラプラト星からやって来たラプラト星人だ。ラプラト星は太陽系のもっとも外側を周る惑星だ。三千六百年周期で太陽の周りを公転している。我々が最初にこの蒼い惑星に降り立ったのは二十万年前の満月の日だった。なぜこの地に降り立ったのかと言えば、はるかむかし我々ラプラト星人は植民できる遊星を探していた。そして地球が我々の植民星の候補地の一つとなった。この地球には我々に必要な森林と酸素と太陽のエネルギーが十分にあった。が、我々の生体がこの地球の環境に適しているのかはまだ不十分だった。そこで我々はこの地球に我々の生体機能が適しているかどうかの実験をすることにした。そして地球上でもっとも知能のあった猿人と我々の遺伝子をかけ合わせてハイブリッドの生物を誕生させた。それがホモサピエンス、いわゆる人間だ。しかしこの実験は二十万年もの歳月を要する実験だった。しかしようやくその時は来たのだ。人間の知能が我々の知能の基礎を築きはじめて高度な文明をも築きはじめた。現在の人間は量子の領域まで踏み込むほどの科学が発達し他の遊星への移住も開始しようとしている。これこそが我々が求めていた実験データだ。ここまで科学が発達できるならば我々もこの惑星に移住することのできる証明になる。我々が再びこの地に降り立ったのは言うに及ばず、地球への植民計画、それから人間の殲滅だ。しかし我々は元来平和な種族だ。だからはじめは人間たちとの共存を考えていたが、どうだ、現在の人間の行っている愚かな環境破壊は。このまま人間を生かしておいたらこの地球に我々が植民できなくなってしまうほどの環境になってしまう。それに我々の宇宙船が降り立った南極の地に穴が空いてしまったのも温暖化が原因だ。本来のデータからすれば着陸後にはこの宇宙船の地は雪で覆われることになっていたはずだった。それらの原因はオマエたち人間の心が利己主義の塊だからだ。猿人の遺伝子配分が多すぎたのが人間が利己主義の塊の心になった主な原因だろう。そして人間の身勝手な利己主義のおかげで温暖化は促進されている。地球温暖化の原因は二酸化炭素だ。人間による化石燃料の燃焼で排出される二酸化炭素、森林伐採によって森林が吸収する二酸化炭素の減少、家畜のゲップや糞から排出されるメタンガスなどが温暖化の主たる原因だ。加えて人間は人間同士殺し合いの戦争までする凶悪な種族だ。さらには他の生き物を絶滅に追いやったり、家畜として食べるためだけに飼育したり、見世物とするためだけに狭い檻に閉じ込めたりする凶悪な種族だ。我々ラプラト星人は平和と自然を愛する種族だ。だから人間はこの地球に適さない。人間がこのまま繁栄し子孫を残してゆけば必ずや地球は滅ぶ。そうなる前に我々は地球のため、他の生き物たちのためにも人間を殲滅させなければならないのだ。そして我々はこの地球で平和に自然と生き物と共存して繁栄してゆくことになるだろう。話は少し長くなったが理解はできたであろう。最後に宣告しておく。人間の殲滅の日は今日から十日後の九月五日の新月の日だ。さらばだ人間どもヨ。」


五十嵐はとつぜん人類誕生の起源やら、人間の殲滅計画やら、ラプラト星人の植民計画やらを聞かされ頭の中は迷宮路のように思考がぐちゃぐちゃになっていた。するとラプラト星人はすべてのいきさつを語りつくすや否や、細長い指先から紫色の電流を五十嵐に向かって放った。と思うと、その紫色の電流は五十嵐の手首へぐるりと巻ついた。五十嵐は言うまでもなく感電してその場へ倒れ伏した。


3


「五十嵐隊長、五十嵐隊長。しっかりしてください。大丈夫ですか。五十嵐隊長」


五十嵐はなんとなく聞き覚えのある声に目を覚ました。そこは観測基地内のベッドの上だった。


「五十嵐隊長! ようやく目覚めましたね。みな心配していたんですよ」


と、五十嵐の視界に岩月が心配そうな表情で語りかけていた。


「うう……。俺は助かったのか……。ここは観測基地……。穴は、穴はいったいどうなった?」


「穴ですか? 何言っているんですか。穴の調査なら明日ですよ。大丈夫ですか。五十嵐隊長?」


「明日? そうか。あれは夢だったんだな。あんなことが現実に起こるはずがないからな。しかし俺はいったいなぜこんな所で寝ていたのだ?」


「五十嵐隊長。覚えてないんですか。五十嵐隊長はここへ到着するや否やとつぜん倒れたんですよ」


「なに、そうだったのか。しかしまったく覚えていないな。むしろ俺は穴の調査に行って、穴の中に落ちて、それからラプラト星人に出会って色々な――」


五十嵐がここまで言いかけると、岩月は急にその話をさえぎって


「五十嵐隊長、大変だ。手首に電流が走ったかのような火傷跡がありますよ。どこでそんな傷を負ったのでしょうかね。いま手当しますね」


「えぇ?!」

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しろのからす @sironokarasu

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