8 アロエの毒

 夕方ごろに研究室に行くと流し台の中でアロエが燃え尽きていた。教授が半年前に知り合いの園芸店から譲り受けた平べったい鉢である。それが流し台に横たえられ、少量のガソリンを使って燃やされた。燃え残った土の中から、太い根が剥き出しになっている。それを見た悠二は不意に吐き気を覚えた。ガソリンのにおいを嗅いだからか、あるいは一酸化炭素を吸ったからか。

 閉め切られた研究室の中には煙が立ち込めている。そのために見過ごしていたのか、隅に置いてある机に少年が座っている。たしかに研究室には鍵はかかっていなかったと思い出す。少年の足元にプラスティックの赤い容器が置いてあった。

 少年は「アロエには毒があるんだよ」と言った。教授がアロエの鉢を持ってきた日、少年はすこし遅れてそこにやってきて、アロエを見るやそう言い放ち、研究員たちを沈黙させた。

「アロエの棘の先には毒があって、つねに周囲に毒を撒き散らしているんだ。もちろん微量だけど、長いことそれを吸っていると病気になって死んでしまうんだ」

少年はその後も研究室に来た。そして時々、思い出したように「アロエには毒があるんだ」と言った。悠二はやはり沈黙していた。

 近付いてくる悠二に気づくと、少年は顔を上げ、煙に挟まれて表情はぼやけて見えるが、清々しく言った。

「アロエには毒があるんだ」

「アロエには毒なんかないよ」、少年があたかも事実であるかのようにそう言うのと同じように、悠二は言う。

 しかし少年は首を振って「君は知らないだけなんだ。みんなまだ知らないんだ。ぼくがまだ論文を書いていないから、アロエに毒があるという事実が明らかにされていない。これはまだぼくしか知らないことなんだよ」

「君はアロエの研究なんかしたことないじゃないか」

「昔からしていたよ。ずっと子どもの頃から」

「じゃあデータはあるのか?」

「母さんはアロエの毒で死んだんだよ。ぼくの家にはずっとアロエが置いてあった。母さんが死んだとき、今まで親族なんて一人もいないと思っていたのに、たくさんの人が来て、勝手に葬式をおこなって、母さんの死体を燃やしてしまった。

 あれはアロエ農家か、あるいはアロエで金を稼いでいる奴らだったんだ。奴らは金のためにアロエに毒があることを隠しているんだよ。多くの食品や医療品にアロエが使われているけれど、あれも間違っている。アロエの毒が混ざっているんだ」

 少年の目には、窓から差しこんだ夕日の赤い筋が、煙の中を通り抜けていく四角い部屋の光景が映っている。顔の上に落ちている深い影が、焼き付けられたかのようにそこを離れようとしない。少年の口はぱくぱく動いている。そこから彼が押し流したものは、体系的な言語とはかけ離れた、支離滅裂な言葉の連なりであった。悠二は、ただそれを聞くともなく聞き流しながら、少年が言葉を吐くたびに小さくしぼんでゆき、やがて消えてなくなるのではないかと思い巡らす。

 喉の奥に張り付いた煙の膜を、唾液とともに飲み込んだ。そして吐き出した。

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