桜が攫う



 昼間は明るく爽やかに緑広がる公園も、夜はその茂る木立ゆえおどろおどろしく影が落ちる。舗装された小路が植栽しょくさいの中をうねりながら伸び、ところどころに遊具や広場が配されていた。北瀬の嗅覚がなければ、ここだけでも探すのに手間だっただろう。

 しかし、警察犬も顔負けの働きで的確に位置を掴んだ北瀬の鼻は、公園南西部の遊具広場にいると教えてくれた。


「『北を正面に、二時の方角から行くから。そっちは見ないように』」

「お前も六時は見るなよ」

 そう互いを見つけ合わないよう位置情報を交換しながら、公園の茂みに身を隠して進んでいく。


 このあたりは、昼ならば花見スポットとして賑わっているのだろう。並ぶ桜の樹々が、いまが最後の花盛りと、夜風に薄紅の花弁を散らして咲き誇っている。

 月明かりとか細い外灯に煌めく花吹雪も見事なものだ。夜を纏い妖艶に踊る。これは夜桜を眺めに来る者がいてもおかしくない見栄えだと、那世はいっそう気を張り詰めた。


 遊具広場の中央にそびえる、アスレチック型の滑り台。そのトンネル状の登り口に潜んでいるようだと北瀬は告げた。

 絶妙に姿が見えない角度のトンネルだ。遮蔽物がほとんどないので危険だが、近づくしかない。


「『さきに俺が行くよ。俺の方からは間に桜がある。あれにいったん身を隠せばいけそうな気がする』」

 ふたり同時に赴くのは、失敗時のリスクが高い。他の生き残りの捜査員たちもこちらに向かっているだろうが、この場にいるのはふたりだけだ。


 無線越し、ともすれば風のそよぎにかき消えそうな息遣いによって、那世は北瀬が音ひとつなく駆け出したのを知った。

 だが、彼が桜の樹の影に身をひそめようとした、その時。


 川風が突風となって吹き荒れた。暗闇に目立つ金糸を隠すため、目深にかぶっていた帽子がふきあげられる。舞う砂埃に一瞬、北瀬が目を庇って腕を掲げた。

 その、瞬間。


「あ、まず、」

 北瀬の声が小さく呟きかけ、まさかと那世が彼のいるべき方を振り返った、刹那。


 それはまさしく、桜が攫っていったような光景だった。


 吹き過ぎる風にざわめく花吹雪。花弁を纏いなびく金糸の髪が、薄明りに煌めいていた。浮かび上がる白い輪郭に、見開かれた青い瞳。すらりと細い体躯。その儚く溶けそうな彼の姿すべてが、足元から淡い薄紅の光の花びらとなってかき消えていく。


 ついさきほどまで鼻先を掠めていた、爆ぜる春の香り。それが完全に途絶え、那世は息をのんだ。

 見られたのだ。おそらく、風に驚いて身を乗り出した奏の視界に、彼女を見るより先に入ってしまった。


 しくじったな、と、形容しがたい憤りが、胸を焦がして這いあがってきた。異能を解けば、無事でいると分かっているのに――。


 だが、おかげでか、滑り台のトンネルから、露骨に動く気配がした。探しに来た人間に驚いたか、また消してしまったことに動揺したか、軽い足音が滑り台の方から駆けてくる。那世の身をひそめた茂み近くを、通り過ぎようとしている。

 相手はこちらに、気づいてはいない。


 千載一遇の好機だ。申し訳ないながら、那世は茂みの前を駆け抜けかけた気配に、唐突に腕を伸ばした。


「見つけた……!」

 細い少女の身体が、びくりと跳ねた。怯えたかんばせが歪むを押しとどめるように、那世は警察手帳を掲げる。


梶谷かじやまことさんの頼みで君を探しに来た警察だ。話を聞いて、オヤシロの位置も特定してある。もうすでに警察が向かっているから、お母さんの身柄も保護できる。だから、その……安心していい」

 少々焦って、矢継ぎ早に難しい言葉を重ね過ぎたかもしれない。気づいて言葉を濁らせた那世は、最後にそっと、泣きそうな少女へ声をかけて苦笑した。


 それでふっと、掴んだ腕のこわばりがほどけたのが分かった。ぎゅっと唇を噛みしめた涙目が、那世に弱々しくすがりつく。


「……お母さんを助けて……」

「ああ……。分かってる」

 その黒髪をなでてやりながら、静かに那世は頷いた。


 本部の南方たちに連絡入れて、奏の迎えを頼みつつ、自身はオヤシロへ向かえるよう手配を要望する。

 かくれんぼはおしまいだ。隠されているモノは、もうなにもない。だから――

 次はこの事件に、終止符を打つ番だ。

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