ゴミ捨て場の遺体
現場はふたりのいたゲームセンターから、さらに歓楽街の中心部に踏み入った、ビルの谷間の隙間のゴミ置き場だった。雑然とした狭い通りに数台の警察車両が器用に停車し、規制線が張られている。ゴミ置き場へ繋がる裏路地は黄色いテープと車の向こうだ。良くも悪くも事件慣れしている土地柄か、警察と関わりたくない者が多いからか、規制線間際まで近づく人だかりはない。日中の
これならあまり悪目立ちせずにするりと現場へ入れそうだと、北瀬と那世は足早に歩み寄り、黄色いテープに手をかけた。だが、
「駄目だよ、君たち! 勝手に入っちゃ!」
慌てた若い男の声に止められた。同じ制服は制服でも、きちんと職業に見合った警察の制服姿が駆け寄ってくる。しかしどこかまだ着られている心地がする初々しさは、この時期特有の新任警察官のものだ。
ふっと北瀬の顔つきが、妙な凛々しさを湛えて引き締まった。薄い形の整った唇が、得意げに笑みを引く。
「ご存知ない? 俺たち、ここの刑事さんに知り合いがいる高校生探て、」
「非違検察課捜一の那世です。こっちの詐称探偵は北瀬」
勢いよく隣の金髪頭を引っぱたき、戸惑った警察官へ那世は冷静に自分の警察手帳を見せる。
そこへちょうど折よく裏路地から男性刑事がやってきて、ふたりを通すよう声をかけてくれた。少々早く現場に着いたため、連絡が前後してしまったらしい。「信じかけました」と言ってくれる若い優しさに詫びを述べつつ、那世は
路地の奥は行き止まりになっていて、そこに回収される前のゴミ袋が不法投棄ぎみに積まれている。カラスについばまれたのか生ゴミが散らばり、視界の端にはハエのたかる無惨な鼠の死骸が転がっていた。加えて、長年ゴミ置き場として使われているせいもあってか、空間全体に異臭が染みついているようだ。
ひととおりの捜査、鑑識作業は済んでいるとのことで、新宿署の刑事たちの動きはやや落ち着いてきている。渡された予備の手袋をはめ、北瀬は髪も縛って、ふたりはゴミとともに打ち捨てられた遺体を見下ろした。
「発見は十四時半過ぎ。発見者は、開店準備のため、前日に溜めていたゴミをここへ一時的に置きに来たそこのビルの居酒屋の店員だ。まだきちんとした検死結果はないが、死後硬直具合からして死亡推定時刻はおそらく深夜過ぎと見て間違いないようだ」
少し気だるげなぼさぼさ頭の刑事の説明を聞きながら、ふたりは遺体の傍らに屈みこんだ。
「胸をぶすっ、頭ばんっ・・・・・・のわりに出血量が少ない」
「ずいぶん派手に
「で、交渉成立か不成立かは知らないけど、この世のしがらみからまで解放してやったわけか。こいつをひとりで制圧するのは難しそうだからねぇ。複数犯か、単独犯なら顔見知りか〈あやかし〉かな」
被害者は三十代前後の大柄な男だ。シャツの袖からのぞく、刺青の入った二の腕もたくましい。ただの成人男性では、ひとりでどうこうできる相手ではないだろう。
「この遺体の下のブルーシートは、ここに元々あったわけじゃなさそうだね。これに包んでここまで運んできたわけか。・・・・・・わざわざ?」
「隠すにしては場所が悪い。裏路地の奥のゴミ置き場とはいえ、このビル内の店舗のものたちが定期的にゴミを出しに来るし、確か回収日も明日だ。ちなみに、このシートは最初からこの状態でしたか?」
「ああ。ご丁寧に開いてあってね。発見者が触ってないことも確認済だ」
那世の問いかけに刑事が答えれば、「だろうねぇ」と被害者の胸元をしげしげ見ながら北瀬がぼやいた。
「見つけてくれなきゃ意味がない。そういう殺し方だ。ナイフの
「ナイフの柄を刺したあとに折れば、簡単に抜けない。だがすでに縛った相手にやる必要はないからな。見せつけたい相手に対し、苦しんで死ね、というあたりか」
「もしくは、苦しめて殺す。まぁ、どっちにしろ物騒だ。遺棄場所をここにしたのも、なんかしらの意図があるんだろうね」
言いながら、北瀬は男の服をまくり、胸元を確認した。
「で、俺たちに声がかかった理由はこいつのせいですね?」
柄の折れたナイフの刃の部分が、刺された箇所からわずか見えている。乾いた血がこびりつき読み取りづらいが、その刃にはなにやら文字のようなものが彫り込まれていた。
「対〈あやかし〉用の術式ナイフ。文字からして欧米のどっかのかな」
「国は違えど、効果に違いはないからな。あっちの方が国内より出回ってる数も多い。だが、被害者は〈あやかし〉ではなく、人、か・・・・・・」
契約者を得た〈あやかし〉は個々の差はあれ、人より頑強な肉体を得る。それを人と同じように斬りつけられるよう作られたものが、術式入りのナイフだ。傷つけることが前提の刃物であるため、国内で公然と所持を出来る者は警察、または国防関係者しかいない。そうでない者は、海外からの密輸に頼るのだ。
「殺し方のスタイルといい、凶器といい、個人の犯行ではなさそうだな」
「まあ、見た目で判断して悪いけど、この被害者もいかにも暴力的な組織に属してま~す、って風体だしね。なんか〈あやかし〉絡みの案件で揉め事が起きたんじゃない?」
「だから凶器にあえて〈あやかし〉用の刃物を選び、殺し方も処刑と分かりやすい方法を取った、ということか?」
「そうそう。敵対組織か、裏切った奴への見せしめ殺人。あちらの世界じゃままあるでしょ」
屈みこんで頭をつき合わせるふたりの鞄からは、それぞれ駄菓子とぬいぐるみがのぞいている。小道具まで仕込んでいるとは細かいものだと、彼らを後ろから見やりながら事情を知らない刑事は感心した。目の前にある遺体と、ゴミ置き場というロケーションと、会話内容にさえ目をつむれば――少々つむるところが多いが――仲良し男子高校生だ。少なくとも疲れた刑事にはそう見えた。
「初手から路線を絞り込み過ぎるのは反対だが・・・・・・確かにこのやり方、見覚えがあるな。別件捜査まっただ中の
数年後には息子もこうなるのか、などと、圧しかかる疲労ゆえ偽高校生相手にぼんやりそんな考えを巡らせていた刑事は、しかし最後の那世の発言に慌てて意識を引き戻した。
「そう、そこなんだよ。ナイフももちろんだが、それもあって、非違検察課にこの件を連絡したのが大きい。いまあんまり、ほかの事件であの組を突きたくないんでね」
「ですよねぇ。なんでよりにもよっていま、って感じはあります」
ほとほと困ったという様の刑事に、北瀬も深く頷いて立ち上がる。合同捜査の方は規模も大きく、時間もかけている。そのためどうしても関わる者たちも殺気立っていた。下手にそこに突っ込んでいけば、捜査妨害の誹りとともに内乱だ。
「とはいえ捜査止めとくわけにもいきませんしね。合同捜査と並行して、こちらも連携のうえ進めてきましょう。関係者への聞き込みや聴取は、俺たちも慎重に行います」
「そうしてもらえるとこちらも助かる。被害者もカタギではなさそうだから、前歴があれば指紋からすぐ名前は割れるだろ。判明次第、検死結果の詳細とあわせて連絡をいれよう」
「ついでにその時に凶器の写真も頼めますか?」
何枚か携帯のカメラに刃の部分をおさめつつ、那世が願い出る。
「出どころを調べたいのですが、もう少し刃の術式がきちんと分かった方が、早く特定できると思うので」
携帯画面の刃は映りはいいが、やはり遺体に深々と突き立てられたままでは、肝心の部分が見えづらい。その申し出に、刑事がもちろんとうなずくと同時に、ちょうど彼へと無線が入った。呼び出しのようだ。好きに捜査を続けてくれと残し、刑事はその場を後にした。
「なんていうか・・・・・・東京府二十四区内って、特有の縄張り意識のなさ、あるよね」
「警察省と警視庁の場所が近いからな。国の警察が偉そうな顔をして乗り込んできたというよりは、お隣さんが手伝いにきてくれたくらいの感覚なんだろ。特に二十四区内はこちら絡みの案件も多い。互いに線の引き方に、慣れが生まれてもいるところもあるだろうな」
「まあ、うちの課はよそに邪魔しに行くところから仕事が始まるようなもんだから、気楽でいいんだけどさ。おかげで、ほいほい声がかかるよねぇ」
「横の繋がりが円滑なのは喜ばしいことだろ。で、好きにしていい捜査についてだが、どうだ? お前、他になにか感じるか?」
「ん~、ここ臭いきついからなぁ。そのあたりは残念ながら分からないや」鼻をひくつかせ、ぐるりと周囲を見回してはみたものの、北瀬は空のもろ手をあげる。「パッと見、気になるものもなし・・・・・・現時点で俺に特別出来ることはないね。なんで、通常の警察らしい捜査しか出来ないかな」
「じゃあ、地道にそいつを片付けて、類似案件について捜査四係に確認に行くか」
「ちょうどいいや。俺、捜四の班長に用があるんだよ」
楽しげに踊った声に合わせるように、かけなおした北瀬の鞄の中で猫のぬいぐるみが跳ねた。その真っ黒な丸いビーズの瞳と、那世の視線が絡む。場にそぐわない平和ないとけなさをただのビーズに感じてしまい、那世は己の憂鬱なほどの疲労具合に頭を抱えた。
「・・・・・・猫、落とすなよ」
「あ、やべ。危ない危ない」
乱雑に猫たちを鞄に押し込み、北瀬はチャックをしめて、あらためてゴミ山へと向かった。
その背中を追いかけた那世のわきを、一筋。五月の瑞々しさを携えた風が、淀んだ裏路地の奥から空へ、逃げるように抜けていく。那世はなんとはなしに、その風の先を振り仰いだ。
ビルの薄汚れた背面に囲まれた、狭い四角の先。切り取られた澄んだ青がある。そんな小さな空すらも、春薫る季節に涼しげに輝いて見えた。ただ唯一、見捨てられたこの場だけが、別世界のようだ。
被害者がどんな人物かはまだ知らない。ろくでもない人生を、疎むべき性根で送ってきたのかもしれない。だがどんな相手にせよ、ここが終着点となってしまったことへ、那世は哀悼のため息をただひとつ、小さく落とした。
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