at home


 ◇


「頭は大丈夫か?」

「聞き方」


 目の前のパソコン画面から、視線をちらりとも上げずに投げかけられた那世の問いに、北瀬は渋い顔をする。


 的場の逮捕から一夜明けるのを待たず、非違検察課の一行は八房署を去り、刑事捜査局へと帰って来ていた。頭部への負傷ということで、北瀬だけは念のため病院へ検査送りになり、昼を過ぎたいま、ようやく遅れて自分の机に戻ったのだ。


「なにも問題ないよ。てか、ちょっと鼻血出ただけだし。班長が大袈裟なの」

 椅子に身を投げ出し、北瀬は大きく伸びをする。そのままぐいっと背を逸らしたかっこうで、彼は隣の那世を逆さまに仰いだ。


「それより那世のワイシャツくんの方は?」

「あいつは殉職した」

「可哀そうに・・・・・・。代わりに俺の鹿パーカーあげるよ」

「いらん」


 心の底から言い捨てて、那世はココアを飲み干し、クリームパンの袋を開ける。見ているだけで口内が塩分を求めるな、と思いながら、北瀬は姿勢を戻して、那世の見ていたメールを盗み見た。


「八房署からか。昨日の今日でさして進展はないだろうけど、被害女性の身元ぐらいは聞けたりしてる?」

「残念ながら、難航してるみたいだな。聞けないんじゃなく、的場も覚えてないんだと。どこの誰かはどうでもよかったんだろうな・・・・・・。店のポイントカードの登録情報から被害者の住所を特定していたそうだが、その情報も足がつかないよう消してたらしい。そして家からも現場からも、被害者の持ち物は見つからず。となると、遺体と失踪者リストから辿るしかない。横断的な捜査が必要になるから、またこっちに協力依頼をするかもしれない、ということのようだ」


「強姦犯に猟奇殺人犯と逮捕が続いて、犯人の生い立ちだ人物像だとあれこれ世間は騒いでるけど、こっちの仕事はまだ終わってないんだよって感じだよなぁ」

 憂鬱なやるせなさを溜息に変えて、北瀬はぼやいた。


「ともあれ、うちのチームに任せてもらえるにせよ、もらえないにせよ、被害者の身元が早く分かるといいよね。残された方には、辛く重い現実になることだけどさ・・・・・・やっぱ、大事な人の元に、出来るだけすぐ、帰してあげたいじゃん」

 切実に紡ぐ青い瞳は、メールの向こうに、あの日廃工場で見つけた彼女たちの姿をじっと思い出しているのだろう。軽妙さがなりを潜めて、その横顔は愚直なほど真摯な色を湛える。それをすぐ隣で見る瞬間の身の引き締まる心地よさとともに、「そうだな」と、那世も静かに頷いた。


 それに気づいているのか、いないのか、ふっと一瞬嬉しげに引き上がった北瀬の口端が、次にはいつもの軽い調子で那世をのぞき見る。

「ところでさ、那世に相談のってほしいんだよね。那世っていうか、那世の彼女の意見を聞いてきてほしんだけど。ホワイトデーのお返し。こう、期待を持たせないけど、蔑ろにされた感じはない、無難なやつってのがどんなもんか、」

「悪いが、もういない」

「はい? え? もう別れたの?」


 遮って、あっさりと告げられた事実に北瀬が素直に驚きをみせれば、那世はちらっとその顔に横目をやって、おもむろにクリームパンをかじった。


「バレンタインデーの後ぐらいに、お前が酔った勢いで迷惑行為をしかけてきたことがあっただろ。飼育中のクワガタの幼虫の観察レポートを、深夜にもかかわらず五分おきで電話してくるっていう」

「その節は悪かった。腐葉土の中からちょうど姿がのぞいたんで、俺の中の少年が興奮してしまった」

「あの後半に、彼女から電話があってな。名前も見ずにまたお前だと思い、直前の通話のノリで喧嘩腰に『黙れ、ハニー』と出たら――ハニーの存在でもめた」

「俺じゃん」

 淡々と語られる衝撃の真相に、北瀬も思わず真顔で返す。


「いや、待って。でもそれ、ちゃんと俺だって説明した? だったら別に、別れ話まで発展しなくない?」

「そもそも深夜に愛情確認の電話がかかってくる時点で、お察しの状態になっていたんでな。生活リズムが合わない、現場続きで会えない、約束してもドタキャン、会えてもすぐに呼び出しで消える・・・・・・などの日常から、積もり積もった不満がぶちまけられ、たやすく修復不可能な領域に達した。まぁ……とどめの一撃が、箸にも棒にも、巨木にすらひっかからないものだったのは遺憾の極みだが、いずれこうなるのは変わらなかっただろ」

「いや・・・・・・俺が言うのもなんだけど、俺としても、せめてもう少しまっとうなきっかけで終わらせといてほしかったよ?」

 しみじみと深いため息をつく那世に、真面目に抗議して北瀬はいう。


「けど、ま、正味なところ、この仕事ほんと人と付き合うのに向いてないんだよね。定職であること以外にいいところがないっていうか。この前、親戚の結婚式に行ったとき、縁談話っぽいのに巻き込まれたんだけどさ、うちの母親が『警察の人間と結婚するより、警察の人間と結婚してくれるような度量の相手を見つけるべき』って熱烈に説いて、話が見る間に流れていってさ・・・・・・正論だし助かったんだけど、すんげぇ釈然としなかった」

「次長が言うと、説得力とこの組織の劣悪さの重みが増すな」


 遠い目をして虚空を眺めやる北瀬の手元は、黙々とパソコンを起動している。何日机を留守にしようと、雑談に興じていようと、指先まで仕事が染みこんでいるのだ。よどみなく働く彼の手元に、那世は悲哀の視線を落とした。


「家庭を築く気も自信もさらさらないんだけどさぁ。仕事が恋人を通り越して、家庭面して寄り添ってきてるから、逃げ出せる外の家庭がほしくなる」

「そういう発言をしているうちは家庭は出来ない。安心して仕事と添い遂げろ」

「やだ! なんかせめて相手は生物がいい!」

「クワガタ」

「あれはワクワクはあるけど、ぬくもりがないもん!」


 痛切に頭を抱えるくせに、その指先が意志と関係なく未決書類フォルダを開いている。哀れなワーカホリックだ、と、那世は嘆く相棒を黙って同じ穴から観察した。


「お、北瀬、おかえり。頭大丈夫?」

「班長、聞き方」

「平気だそうです」

「なら良かった」


 ふたりの後ろを颯爽と通り過ぎ、南方は自席に放り出してあったコートに袖を通す。ふっと彼女の顔にたたえられた笑みに、いやな予感を部下たちが感じ取ったのと、南方が口を開くのは同時だった。


「じゃ、次の事件よ。飛行機使うから、車で空港ね。途中で官舎寄ってあげるから、三分で必要な荷物纏めてきて」

「寄ってもらっても、もうパンツの補充がありません!」

「あんたたちのパンツなんて、コンビニでも大手衣料品販売店でも、どこでも買えるでしょ」


 南方は取り合わずに笑い飛ばす。唇を尖らせながらも、北瀬はせっかく起動させたパソコンを再度閉じた。未決書類の数は、また見なかったことにするしかないようだ。


「都心に住む者の驕りで語らないでくださいよ。那世が行くたびに糖分の呪文を唱えてる大手コーヒーチェーン店がない場所だってあるんですからね?」

「むしろ、お前はいつもカフェラテ一択で飽きないのか?」

「俺は糖分よりカフェインと牛乳の優しさを求めてるんで」


 ぼやく那世に返しながら引き出しを開けて、ここの予備もつきてる、と北瀬は肩を落とす。だが、南方はあっけらかんとしたものだ。


「ないなら裏返して履きなさい」

「ひどい! 長洲野さんにはそんな薄情なこと言わないくせに!」

「長洲野さんはそもそもパンツに困らない」

「これだから家庭のある男は」

 冷静な隣からの一言に、いじけて北瀬はぐっと唇を噛み締める。


「理論が逆だ。家庭があるからパンツがあるんじゃなく、たとえひとりで暮らしていようとパンツに困らない生活を送れるから家庭が持てる」

「ぐぅの音も出ない」

「ほら、じゃれてないで行くよ。長洲野と藤間も待ってる」

 うなだれて机に伏せた金糸の頭を、支度を整えた南方が軽く平手ではたいて、さっさと外へと足を向ける。


「そうそう。歐明堂おうめいどうのケーキ買ってあるから、車内で食べなさい」

「北瀬、とっとと行くぞ」

「裏切られた」

 間髪入れない那世の声かけに、露骨が過ぎると北瀬は呆れて彼を見上げる。


「せっかくの歐明堂のケーキなら、優雅にゆったり家で食べたかったなぁ」

「観念しろ、ここがお前の家だ」

「認めがたいが、そのようだよ」


 机を片付け、上着を羽織る。少ない貴重品をポケットにねじ込んで、ふたりは並んで足早に歩きだした。


「ところでさ、アットホームな職場って、真っ黒の代名詞じゃなかったっけ?」

「さて、どうだったろうな?」

 言葉のわりに愉快げに引き上がっている口端に、同じ調子で、低い声もあえて答えをはぐらかした。





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