もうひとり


 +


 ようやく住宅街の道を真っ直ぐに走り始めた頃、もうすぐだと男が声をかけた。

 昨日の電話でひょんな弾みからひとり暮らしと漏らしたのを聞いたが、それにしては少々大きな戸建ての前で車は停まった。シャッターを開いて、屋内のガレージに入っていく。


 ガレージ内に車を停めきると、男は落とし物を取ってくるのでそのまま待っていて欲しいと、家の中へと消えていった。

 小さな電灯があたりを照らしてくれているが、二台分のスペースはある広いガレージには少々心許ない。そのうえ、人や物の動く気配を感知して点灯するタイプのようだ。このまま座っていれば、じきに消えてしまうだろう。


 北瀬は勝手に助手席のドアを開け、ぐるりとガレージ内を見渡した。車は一台だけで、空いたところはなにかの作業場にしているようだった。後部座席と同じように、無秩序に散らばった工具がそこかしこに積まれている。古いストーブの脇には、灯油ポリタンクがいくつも並んでおり、使い方が荒いのか、空になったものが蓋を閉めもせず転がっていた。こぼれた痕も見受けられる。ガレージ内が灯油臭いのはこのせいのようだ。

 危ないなぁ、と横目で見ながら、奥まった方へと足を進める。どうにも灯油以上に鼻につく臭いがあった。


 薄暗いガレージの奥には、作業台がひとつ置いてあり、その下にブルーシートがぐしゃぐしゃの塊になって置かれていた。屈みこんで、手袋のままそれを引っ張り出し、端を掴んで広げる。


 べったりと、生々しく飛び散った血痕とその臭いが鋭く鼻をついた。一緒に包まれていたらしい鉈が、ごろりと北瀬の足元へ転がり出る。

 と、同時に後頭部に固いものが突きつけられた。


「両手を顔の横にして、立て」

 車内ではもごもごと口ごもりがちだった男の声が、いやに明瞭に命じる。言われたままに手を掲げ、ゆるゆると立ち上がれば、彼の方を向くよう指示された。


「あんたみたいなのが殺しがいがある」

 男を睨む北瀬の視線は冷ややかで、研ぎ澄まされた刃の趣だが、揺るぎない優位さの自負からか、男に臆する様子はない。唇の間からヤニに黄ばんだ歯がのぞく陰湿な笑みには、傲りと陶酔すらうかがえた。


「都会の坊ちゃんは少し人が良すぎたな。それとも、いつも相棒の化け物に甘やかされてるから、危機感が薄いのか? のこのこ殺されについてきてご苦労なことだ。息が出来なくなってくその瞬間も、その涼しい顔でいられるか見ものだな」

「お話は嫌いだと思ってましたけど、そうでもなかったんですね。それと、僕の相棒は化け物じゃありませんよ。ただ、〈あやかし〉というだけです。男女の別や人種の別と同じように、身体的に違いはあるので別の名で区別はしますが、それは異なる存在として蔑むためじゃない」


「そういうご高説は聞き飽きたんだよ!」

 唐突に激昂し、男は苛立たしげに親指の爪をがりがりと齧りだした。

「それが! そういう態度が! いまみたいな世の中にしたんだ! 『違いはあるけど同じ存在です』? 『人も〈あやかし〉も関係ない』? そんなわけがあるか! 昔、異種族と交わった血が流れてる時点で、純粋な人間じゃないんだよ! 大昔の化け物の血が流れてる。だからあいつらをいまなお〈あやかし〉と呼ぶんだ。力がある。それだけで〈人〉にとって圧倒的恐怖じゃないとは言わせないからな?」


 確実に前へ進みながらも、いまなお依然と燻る〈あやかし〉と人の間の埋まり切らない断絶。それを支える言説を声高にぶちまけて、陰鬱な灰色の眼光は、忌避も侮蔑も露に、憎悪を叩きつけた。


「おまけに倦怠感なんていう説明のつかないもんのために、無駄に税金で医療費がかかって、施策で優遇されて、そんな〈人〉の助けがなければ満足に生きられない底辺のくせに、契約者を得たとたん仕事でまでいい思いをしやがる。おまけにただの仕事を『異能を使っての社会貢献』だなんだのと取りざたされて 思いあがる! それもこれもお前らのような裏切り者が契約者なんてやるからだろ? お前らみたいな偽善者面ぎぜんしゃづらが化け物に肩入れするせいで、俺たちまっとうな〈人〉を暮らしにくくさせる!」


「だから、契約者を殺したんですか? 裏切り者だから? それとも、〈あやかし〉は怖くて手が出せなかったってだけですか?」

 吹きだす男の憤りを、冷静な声音が遮った。それで余計に腹立たしげに、男の濁った眼は、苛烈に北瀬を睨みつける。


「怖いからじゃない。どっちにも思い知らせてやるのに、こいつが一番いいんだ! 裏切り者は苦しむ、化け物は無力になる。いいことしかない! だいたい、いまの世に〈人〉を殺したり、直接傷つけたりできる致命的な異能を持つ〈あやかし〉がいないのはどうしてだ? その昔に、〈人〉が選別してやったからだ。危ない化け物を排除して、だが、一部を残してやった。その慈悲が邪魔だった。全部殺し尽くせばよかったのに。お前たちみたいな、化け物を同じ人間などという奴らが邪魔をしたんだろうよ」

 北瀬の額に銃口を突きつけて、男はなおも吐き捨てた。

非違検察課ひいけんさつかも、お前が得意げに言ってたブルーズ・バディなんてもんも、そもそも〈あやかし〉がいなければ必要もないだろう? どうしてお前らは、契約者なんかになる? メリットもない。底辺の弱者を救ってやる、お優しい憐憫と優越感のためか?」


「なるほど・・・・・・そちらのご高説は分かりました」

 問いかけながらも、男に論じ合う気がありようはずもない。言葉も口調も冷淡に、北瀬は男の話を打ち切った。応じてやるだけ無為なことだ。

「それで、その結果が過去の四件と、今回の二件の殺人ですか。ずいぶん高い志のわりに二十年もの間なにもされてなかったのは、おおかた事故とやらのせいでしょうけど、急に再開されたのはまたどうしてです? 今回最初の被害者の女性と、お知り合いだったりしましたか?」


「たまたま契約者だと知っただけだ。そうだと分かれば、放っておけないだろう。だから家から出るとこをつけて、人気のないところでこいつで脅して、あとは前と同じ通りだ。おかげで、世間に黙殺されかけていた同志たちが大盛り上がりだ! これは〈人〉の世を取り戻す聖戦なんだよ! 警察はSNS上の真実の声なんか見向きもしないから、知らないかもしれないがな」

「知ってますよ? ずいぶんもてはやされてました。二件目が起きたのは、それからすぐでしたね」

 高揚する声に静かに返して、北瀬は突きつけられたままの銃を物ともしない眼差しで、男へ微笑みかけた。


「最初の被害者、家から出たところを迷いなく殺したんですか。僕のように、事前に胸の痣を確かめもせず?」

「お前の場合は警察だったからな。万一〈あやかし〉の方が契約者騙ってたんじゃたまらないから調べたが、分かりきってるもんをいちいち確認しない」

「そして首を絞めて、顔を削ぎ落して捨てたわけですか。絞めるのがお好きなようなわりには、次の被害者は出来なかったようですけど?」

「あの女の時は! 手が痺れて思うように絞められなかった! だから変えた! それだけだ!」

 得意げな調子から一転、挑発的に不能を疑われて男は声を荒げた。


「死にぞこないの裏切り者が偉そうに口を開いてんじゃねぇ! お望みならすぐにも絞め殺して、その綺麗なつらズタズタに切り落してから相棒の化け物の前に晒してやるよ! どんな惨めなザマになるか見ものだな!」

「そうですか。でも……出来もしないこと、そう咆えるもんじゃないですよ」

 低く、冷めた笑い声を潜めて北瀬が囁き返した。瞬間。


 苛立つ男がなにを言われたか理解するより先に、北瀬の腕が伸びた。引き金を引く間もなく銃身を引っ掴み、あらぬ方向にひん曲げる。狼狽に息飲む暇も与えず、その腹に強かに膝がのめり込んだ。苦痛に噎せ込んだところを後ろ手に引き倒して、床に押し伏せる。


「お前、契約者のはずじゃ・・・・・・!」

「ええ、非力な契約者ですよ。ただ、相棒の〈あやかし〉おかげで、こうしてあんたみたいな人殺しの化け物を捕まえられるんだよ!」

 もがこうとした腕を掴んで捻って、背中で纏め上げ、動きを封じる。


 同時に閉じられていたシャッターを押し上げて、警察官たちがなだれ込んできた。歩み寄る鳴滝に、北瀬が視線で、押さえ込んでいる男の両手首を示す。無言でうなずいた鳴滝が、その後ろ手に二十年越しの手錠をかけた。


「どうして、警察がこんなに・・・・・・」

「地道な捜査っていう魔法かな。有村ありむら文人ふひと

 茫然とする男の正面に、北瀬はにんまり口角を上げて屈みこんだ。名を呼ばれ、さらに愕然と見開かれた瞳に、穏やかなのに毒々しい嫌味をのせて北瀬は言い募る。

「容疑者リストにあがってたんで、ちょっと身辺洗い出してたんだ。迎えに来てくれた車、ナンバーは変えてたけど、車種がこちらで確認してたのと同じだったからね。あと俺、仕事用と私用と、それから追跡用で携帯三個持ちしてたんで」

 GPS機能がつつがなく作動している、電源の入った三つ目の携帯をおもむろに取り出してやる。


 車種を遠目に確認した時点で、怪しいと踏んではいた。その疑惑に確証を得たのが、有村に車の窓を開けられた瞬間だ。彼からは電話で申告のあったとおりの〈あやかし〉の匂いがしなかった。だからペースメーカーの話も最初から信じなかったのである。


 携帯の電源を律義にふたつも切り、刑事というには儚く弱々しそうな見た目の青年が無防備に乗り込んできた時点で、有村は欺けたと軽んじてしまったのだろう。追跡の手がないかを確認しつつ、念のため無駄に迂回路を通って警戒した気でいたようだが、その実ずっと居場所を特定され、居住も割り出されていたのである。


「一応、盗聴器も持たせてもらってたんで、さっきの供述も録音してあるけど・・・・・・証拠がないどころか、こちらを舐めきってくれて、片付けてすらいなかったんじゃぁね。こんな惨めなザマにもなるわけだ」

 警官たちが眉を顰めて確認をしているブルーシートの方へ冷めた視線を流し、北瀬はそう侮蔑の口調で言い捨てた。


 そこで、屈みこんでいた彼の尻を、軽く背後から靴の爪先が小突いた。痛くもないくせに「いてっ」とぼやいて振り返れば、黒い眼差しが、柔らかな呆れを浮かべて見下ろしていた。


「説諭に精を出そうとしているところ悪いが、俺の携帯を返せ」

「相棒の心配より先に携帯の心配なわけ?」

 吐息をけぶらせる冷気とは別の、彼が纏う冬の匂いに笑う。

「心配する要素があるとすれば、お前が犯人を過剰に殴り倒さないかどうかだけだったからな」

「ブルーズ・バディの名に誓って、そんな乱暴なことはしてないよ」

「一番信用の薄いところで軽々しく俺の名を出すな。出すならせめて正直に言え」

「いや、俺の名でもあるし。うん、でも……まぁ、ちょっと盛りました。はい。だけど、警察としては逸脱しない範囲」


 分かっているんだぞ、と白い目で睨みやられれば、無駄を知ってか、一転、北瀬は鬱憤を晴らす挙動があったことを認めた。深く深く吐き出された露骨なため息に、気づかぬ素振りを貫き、これ見よがしにかざしていた携帯を那世に手渡す。


「で、そのあたりはともかく、こいつの話は聞いてた?」

「ああ。真実の声とやらは右から左だったが」

「いいねぇ、那世も言うようになった」

 難しい顔になるよりずっと良い、と、風貌に似合わぬ様で、北瀬はけらけらと笑い飛ばした。


 例え周囲がどれだけ〈あやかし〉の存在を貶めて叫ぼうと、もし、いまいるこの場が二十年を遡っていようと、北瀬はそう、気にせず笑うのだろう。そうして、那世の隣に居座ろうとするのだ。騒がしくほころぶ、春の香りを携えて。

 それに想像を超えた確信があって、那世は思わず肩をすくめた。


「雑音に耳を傾けるには、俺の周りは、騒々し過ぎるからな」

「ま――この仕事、馬鹿みたいに忙しいからね」

 いやに満足げな響きをはらんだ返しに、青い瞳はさすがに意図を掴みかねたのか、訝る色を淡く引いた。が、追及はやめたらしい。無表情に浮かぶ穏やかな色彩。それで、答えとしては充分だったのだろう。


 そんなふたりの脇を、鳴滝に引き起こされ、刑事たちに囲まれて、有村が引っ張られていった。通り過ぎ様、凝りもせずに例のご高説で口汚く罵っていく。逮捕を受けたぐらいでは、彼の歪んだ不満と怒りは誰かを殴り足りないのだ。口惜しいことだが、捕まえて罰を与えることは出来ても、悔いを感じさせることは出来ない。


 罪と思わず誰かを殴りつけ続ける暴挙に、優しく付き合ってやる義理は微塵もない。それどころか、応じてやることは彼には報酬だ。北瀬と那世は男を一瞥すらせず、冷ややかに視界から切り離した。もう彼のことについては、基本は県警の仕事である。


「有村の動機は、現状への不満と己の感じる不当の是正、そして承認欲求。先の言動から鑑みるに、今回は特に最後のが大きかったようだね」

「二十年の空白を生んだ腕の麻痺を押して犯行に及んだのは、一件目のリーク後、盛り上がった真実の声とやらが、犯人を褒めそやしていたからだろうな。〈人〉の世を取り戻すための聖戦、かつての英雄の再来というのは・・・・・・まあ、盛り上がる展開だ」

 皮肉を隠さぬ那世の物言いに、北瀬も冷えた笑みに口角を引き上げた。


「有村はさぞ、悔しかったろうねぇ。昔日の手柄を横取りされて」

「二十年前から今日にいたるまでの鬱憤も、溜まっていたところだったろうしな」

「だから・・・・・・二件目を起こした。自分こそが〈人〉の英雄だと主張するために」

 赤黒く濡れたブルーシートを視界の端におさめ、北瀬がやるせなくついた吐息が白く凍える。署内で見た少年の姿が、頭の端を過らずにはいられなかった。


「――で、ハニー。やっぱり俺の聞き間違いじゃなく、あいつ、一件目についても、確かに顔を削ぎ落したって言ってたよね」

「ああ、安心しろ、ダーリン。俺にもそう聞こえた。それに家を出た被害者を、確認もせずに対象と断定したようだったな」

「妹さんも、一緒に住んでるのにねぇ……」


 顔の傷つけ方が違った。遺棄場所の選び方が違った。殺害方が変わった。灯油の臭いがなかった。――初手からずっとあった小さな違和感の積み重ねが、ようやく確かな形を得はじめていた。


「時に犯人ってのは、善良な協力者を気取る」

「捜査状況を把握するため、または攪乱するため――確か今回、もうひとり協力的な人物がいたな」

 青と黒の視線が一瞬絡んで離れる。到着した鑑識班と入れ替わりに、ふたりはガレージ外に停めてある車に向かった。


「過去四件と、今回の二件目。それをやったのは、奴なのは違いない」

「けど、今回の発端の一件目は、別に犯人がいる」

 どちらともなく伸ばし合った腕が、互いの痣ある胸元を手の甲でこづく。コートの裾を雪舞う夜の空気にはためき翻らせ、確信の証拠を見出すため、ふたりは車へと乗り込んだ。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る