焼き鳥と記者発表



 金碗かなまり署の片隅の小さな会議室。ひと通りの備品を運び入れ、非違検察課へと割り当てられたその部屋の端で、元から置かれていた旧式のテレビが、昨日の記者発表の様子を映し出していた。


『皆様の不安ももちろんのことですが、現時点では、先ほど鳴滝なるたき係長の方から説明があったように、過去の事件との関連性は断定できません』


 画面越しの音色でもどこか耳を引く声は、しかし常よりも覇気がなく、しおらしかった。電話片手に、那世が見るともなしに画面に目をやれば、見慣れた男が見慣れぬ風情で映し出されている。

 線の細い面差しに、星影を落としたような金色の髪も淡く揺れ、事件のことを痛ましく口にする瞳は悲しげに曇っている。刑事らしからぬ楚々とした雰囲気は、いっそ弱々しくすらあり、手を伸ばせば容易く砕けてしまう硝子細工のような美しい脆さがあった。


 しかしその男はいま、目の前ではコンビニの焼き鳥をいきおいよく口で串から引き抜いている。たぶん、画面の人物とは他人の空似なのだろう。もしくはテレビが古いので、電波が乱れている。そう事実を歪曲したくなる程度には、ふてぶてしい空気しか纏っていない。間違いなくこちらの男は、砕こうとするとお返しに強烈な右ストレートを叩き込んでくる手合いだ。


『県民の皆様、そして、契約者の皆様には、もちろん十分注意をしていただく必要はあるのですが、こちらの恐怖は犯人にとっては報酬となり得ます。県警も県内の警戒態勢を強め、犯人逮捕に総力をあげています。同じ契約者として、僕がお伝えしたいことは、どうか不要に恐れないでほしいということです』


 眼前で焼き鳥にかぶりついている男とは似ても似つかぬ折り目正しさと慎ましさで、テレビの男性は柔らかに語りかける。そして、ことゆるやかに、衆目を誘うよう隣へと視線を動かした。


 黒髪の怜悧な目元の男が、その眼差しを受け止め、ひどく優しく頷いた一瞬が映し出される。こちらも鏡でよく見た顔だが、いかんせん、我がことながらそんな男を那世は知らない。

「このバディ、絶対寝てる相手のすね蹴ってきたりしないよね~」

 重ねてどこからか、聞こえよがしなぼやき声がした気がしたが、電話の応対のため、那世は即座に右から左へ流して消した。そもそもテレビの彼の相棒は、だらしなくコタツで寝そうにない。自分のことは棚に上げきって、図々しいものである。


『契約相手の〈あやかし〉に助力を請うのも、心強くてよいかと思います。〈あやかし〉の皆様も、ぜひ、力を貸してください。僕も、いち契約者として述べるならば、〈あやかし〉の彼がそばにいてくれるからこそ、恐れずにこの憎むべき犯罪に立ち向かえます』


 温和な口調は耳に心地よく、人によっては内容半ばに、良い声だと聞き流してしまうだろう。しかし気にする者にとっては、〈あやかし〉と契約者の立場、そして契約者として〈あやかし〉に寄せる信頼を、いやに耳に残す語り口だった。


『〈あやかし〉と人の隔てなどなく、共にいまを歩む僕たちにとって、此度のことは本当に・・・・・・本当に、耐えがたく悲しい事件です』

 画面では、淡雪の儚さを纏う青年が、憂い深く告げたのち、思わず言葉を詰まらせた。

 そこへすっと隣から伸びた腕が、いたわしげに彼の手からマイクを柔らかに受け取る。〈あやかし〉の相棒が、青年を支えるように寄り添って、代わりに口を開いた。


『だからこそ必ず、この社会への裏切りともいえる犯罪者は、私たちブルーズ・バディの名に懸けて、総力を挙げて早期に逮捕してみせます』

 毅然とした口調で、黒髪の青年は頼もしく言い切る。そんな相棒を仰ぎみたか細く繊細なかんばせが、花のように淡くほころんだ――ところで、ちょうど那世の電話が終わった。


 受話器を置けば、「お疲れ~」と、もごもご肉を咀嚼しながら雑なねぎらいがかけられる。テレビからは同じ声と同じ顔が、たおやかに情報提供を呼び掛けているように聞こえるが、やはり古いと音声や映像の調子が悪くなるのだろう。


「ずいぶん長い電話だったけど、わざわざ名指しでの情報提供、実りはあった?」

「あった顔に見えるか?」

「見えないけど一応礼儀で聞いといた」

 串に残った最後のもも肉に噛みついて引き抜きながら、身も蓋もなく北瀬は言った。


「結局、なんの電話だったの?」

「要約すれば、『昨日の記者発表を見て、ふたりの姿にたいへん好感を持った。特に那世刑事が好きです。提供する情報はないが、この思いをどうしても本人に直接伝えたかった。頑張って相棒さんを守ってほしい。おふたりともとても素敵でした』……というような内容を、手を変え品を変え、三十分語られた」

「情報提供という名のただの熱烈な迷惑好意と応援メッセージじゃん」


 ずいぶん丁寧に、しかし北瀬から見ればおざなりさの見え隠れする態度で謝辞ばかり述べていると思ったが、確かにその内容だと無碍にこちらから切れないうえに、他の言葉をかけようもない。

 どっと疲れた様子で、那世は静かに机の上に積まれた饅頭へ手を伸ばした。体が癒しを求めているのだろう。  


「名指しの情報提供っていうから、当たりだと思ったんだけどねぇ」

「まあ、期待をしなかったといえば噓にはなるな」

 むしゃむしゃとあんこを咀嚼しながら、憚りなく那世は頷いた。

「挑発に乗ってくるならそう遅くはないだろうから、今日、明日にでも来なければ不発か」

「え~、せっかく課内で評判の『最高の薄幸系美青年』の力を遺憾なく発揮したのに~?」

「課内では上に『黙ってて動かなければ』がつくだろ」

 さっそく次の饅頭を口にほうる涼やかな横顔は、相変わらずにべもない。


 記者発表の狙いは、人々に警戒を促すことや正確な情報の発信ももちろんあったのだが、今回はなにより犯人をおびき寄せたいのだ。

 ただでさえ、二件目のやり方から警察に接触したがる傾向が見受けられる犯人だ。こちらが普通に捜査していても、内情を探るため、もしくは己の影響力を実感するために、情報提供者を気取って警察に関わろうとしてくる可能性は高い。なのでさらにその意欲がそそられるよう、犯人が反応を起こさずにはいられないような餌をぶら下げてみたのである。


 過去の四件と、今回の二件。被害者は女性、もしくは華奢な体格の男性ばかりで、いわゆる力が弱そうに見える相手だった。加えて、契約相手であった〈あやかし〉にも共通点があり、みな社会的に多くの人に認めらやすい仕事での成功者であった。

 つまり犯人は、〈あやかし〉を嫌い、裏切り者の契約者を憎むが、その中でも特に、世の承認を得た〈あやかし〉から、いかにもその庇護下にありそうな弱々しい契約者を奪うことを好むようなのだ。


 もちろん、実際には被害者たちはそうした単純な一方通行の守り守られの関係ではなかったのだが、犯人にとっては、己が勝手にそういう力関係だと認識できる情報さえあればいいのだ。だから記者発表でふたりは、か弱い〈人〉と頼りにされている〈あやかし〉を露骨に意識して演じてみせたし、互いの親密さと信頼感も過剰に演出しておいた。おそらく、その甲斐あって先の長電話に繋がったのだろうから、見た者に意図した伝わり方はしているに違いない。


「刑事らしからぬ儚い薄幸系美青年の俺。そしてなんかその後ろで『俺が守る』づらしてる〈あやかし〉の相棒。おまけにそいつらは東京府から来てて、若手のくせに記者発表取り仕切ってる国家公務員。〈あやかし〉の那世から直々に、『てめぇの方が社会の裏切り者』呼ばわりもしてやったし、犯人的にイラっとしてほうっておけない要素満載のはずなんだけどな」

「罠としては、おそらくそれなりに機能するだろ。あちらも警察の動向は気になるはずだ。発表は見てるに違いない。こちらが望む一番過激な行動に出るかはともかく、俺たちに何らかのアクションを起こしたくなる程度には、鼻についたはずだ。だから班長も一言くれた」


 昨夜、南方から、九州の事件が片付かないのでふたりの方にまだ合流できない旨の連絡があったのだ。だが忙しい合間にも、くだんの記者発表についてはきちんと確認してくれたらしい。そのためメールの末尾に、ご丁寧に追伸として短い一言が添えられていた。


「立派な詐欺」

「ほんとさ~、言うに事欠いてそういう褒め方する~?」

 北瀬はひどく不服げに反り返って天井を仰いだ。

「刑事史上に残る珠玉の名演技とか、いまだ並ぶ者を見ない気品あふれる記者対応とか、いろいろ言い様あるじゃん?」

「お前、どこのワインだ?」

 つれなく冷ややかな一言は、相棒の実のない嘆きなどどうでもいいらしい。その手は四個目の饅頭を引き寄せつつ、どばどばと手元のコーヒーにシュガースティックを注ぎこむことに忙しいようだ。北瀬は相手にされなかった虚しさのまま、その相変わらずの糖分の凶行を、ある種の感嘆とともに横目で見守った。


「それで、『俺が守る薄幸系美青年刑事』、さっきの用件はどうだったんだ?」

「やだ、痺れるほどに悪意しかない呼び方」

 砂糖にコーヒーを混ぜる指先も優雅に、聞き慣れぬ優しげな響きが呼びかけてきて、北瀬はぞわりと背筋を震わせ、反らせていた身を起こした。


 記者発表の場だけにいた異様に睦まじい刑事バディたちは、すでにテレビ画面から姿を消していた。いま画面には別の県民へのお知らせが流れ、ここにはいつもの北瀬と那世しかいない。


「まあ、取りたてて問題はなかったよ。こちらからの連絡じゃなく、リーク報道で連続殺人絡みだって知ったわりには、隠したことを責めもされなかったしね。むしろこっちの捜査をずいぶん心配してくれた」

 ちょうど那世が名指しの電話を受けた頃合いだった。綾乃あやのが警察署を訪れてきたので、北瀬が応対に顔を出したのだ。


「ただ、七森ななもりさんの方が、ずいぶん憔悴してるらしくってね。契約者だから狙われた――って、思い詰めてるそうだ・・・・・・。そのことを彼女も気に病んでたよ。二件目の被害者のことも、他人事に思えないとずいぶん胸を痛めてた。だから、なにか協力できることがあればなんでもするので、いつでも連絡してほしいってさ」

「それをわざわざ伝えに来てくれたのか?」

「そ。電話は繋がらなかったらしくってね」


 話題性のある事件のせいで、昨日から情報提供の電話がひっきりなしに鳴り、回線を増やしても追いついていない。雪道に慣れている彼女が、繋がらぬ電話よりも直接会うことを選んだのも、無理なからぬことだ。今日は幸い雪も小降りであるし、彼女が姉と住んでいた自宅もここから近い。


「それでご足労のお礼を述べて、今後の助力についても再度よろしく頼んだんだけど・・・・・・さっそくひとつ協力してもらったんだ」

「なにをだ?」

「ネックレスを借りた」

 そういえば戻ってきた時、彼は証拠品をならべた机の方になにかを置いてから、電話する那世をしり目に焼き鳥を齧りだしていた。

 これこれ、と立ち上がったその手に、ハンカチにのせたままの華奢なネックレスを持って、北瀬は那世を振り返る。


「被害者の琴乃ことのさんの手、ネックレス握ってて、それで検死報告によると、わずかだけどこじ開けようとした痕が指先に残ってたって話だっただろ。それでそのネックレスとこの借りたやつが――」

「同じ、だな」

「そう。聞いたら、お揃いで作ったらしいよ」

 細い金鎖の先に、七つの小さな石が柄杓のような形で連なっている。独特な形のネックレスだ。


「こぐま座なんだって」

「なんでまたその星座なんだ?」

「いや、そのあたりの趣味嗜好とか選択の機微は俺にはよく分かんないけど、熊が好きとかなんじゃない?」

「たぶん絶対に違うだろうな」

「捻り出してやったのにこの仕打ち」

 即座に否を下した甘ったるいコーヒーの香りに、北瀬は苦々しげに舌打ちしてみせた。


「微塵も捻りがないだろ。で、それを借り受けた理由は、わざわざ犯人が奪おうとした姉のネックレスと比べるためか?」

「そんなとこだね。ま、参考程度にって。綾乃さんにもそう説明して借りた――でも実のところは、なんか気にかかったってのが強い」

「なんかって、なんだ?」

「う~ん、そこはこれから検証~」


 証拠品として袋にしまいこまれた被害者のものと、寸分違わず同じ作りだ。石の違いもなければ、姉妹の区別をつける他の細工もない。まるで持ち主たちのようだ。ただ、こぐま座と分かって見てみれば、その尾の部分――北極星にあたる石だけ他より大きく、異なる色で眩かった。

 その輝きに惹かれるように、鼻先に迫るほど近くまで北瀬はネックレス引き寄せ、眺めやる。

 そこへ、開いたままの扉を律義に軽く打つ、ノックの音が響いた。


「一酸化炭素中毒だ」

 枯れた渋い声がふたりに検死報告を手渡す。県警捜査一課の鳴滝だ。少し白いものが混じりだした灰色の頭髪は、長年のならいで整えらながらも、連日の慌ただしさに乱れが出始めていた。五十を過ぎてもがっしりと引き締まった体躯で、尖った威圧感が滲み出ている。近ごろ孫が怖がり出したと嘆いていた厳めしい顔の眼光は鋭く、眉間には歳月で染みついた皺が刻まれていた。


「練炭ですかね」

「ガスより扱いやすく、入手もしやすいからおそらくはな。より手軽に車の排ガスという可能性もあるが」

 那世の問いに鳴滝が頷く横で、報告書を眺めつつ、「それにしても」と北瀬は首を傾げた。

「比較的簡易とはいえ、中毒死させるのは絞殺に比べれば足がつきやすく、手間もかかる。なのにどうして今回は殺害方法を変えたんだろ?」

「前回の被害者の件がなければ、再開時点で何かしらの理由で絞殺が不可能になっていた、または、模倣ゆえに殺害方が異なると推測するあたりだが・・・・・・」


「ん~、どちらだとしても、ちぐはぐするんだよなぁ」

 低く心地よく響く相棒の受け答えに思考を整理しながら、北瀬はなお唸る。

「那世の言うとおり、前回の件さえなければ、もしくは事件発生の順番が逆なら、殺害方の変化は納得いく理由が考えられる。でも実際はそうじゃないし・・・・・・それに俺としては、二十年の空白を経た今回の二件、犯行のスタイルがなんかごちゃごちゃした印象があるんだよね」


「確かに、二十年前の四件は殺害方、遺棄場所の特徴、遺体への儀式的損壊、すべてが最初から一貫していたな。だが今回の一件目は遺棄場所と遺体の状態が違った」

「そして二件目は、殺害方だけが違う。・・・・・・鳴滝係長、過去の事件当時に公にされた情報って、被害者が契約者であることと殺害方法だけでしたっけ?」


「いや・・・・・・目につく場所に遺棄されていたからな。遺体の傷についても報道機関に流れた。ただ、いまのように情報網が一般にも広がってはいなかったから、顔の傷については一定の規制を願い出て、ただ『顔面を傷つけられていた』とだけ報道されたはずだ。速報時や一部のマスコミ報道では削ぎ落されたとの表現もあったかもしれないが・・・・・・あまりに惨いからな。特に被害者の家族には、そう何度も聞かせたくない、出来れば秘したままでおきたい情報だ」

 頭を抱えた深い吐息に、北瀬も那世も、ふと少し前に署内で見かけた、場にそぐわない幼い影を思い出した。まだ五歳と聞いた。泣き腫らした目元の父親に手を引かれた、被害者の息子だ。


「――今回は、第一発見者が警察官だったのが、せめてもの救いでしたね」

 那世は静かに、それだけ口にした。

 警察官が見つけたことで、被害者の姿が一般の人の目に触れる前に規制をはれた。それだけで、この情報の渦の中、幼い子に無防備なまま真実が突きつけられる機会が少なくなる。もしかしたらそれは邪魔な目隠しなのかもしれないが、それでも、思い出す母の顔が傷のないままであればいいと、身勝手に願ってしまうのも仕方ないだろう。


「次の前に絶対ぶち込んでやろ」

 ぼそりと低い声が、決意を刻むように囁いた。その怒りと闘志を潜めて、青い切れ長の瞳が凛と鳴滝を改めて振り仰ぐ。

「そういえば、違いといえば、鳴滝係長、例の灯油の方はどうでした?」

「ああ、分析結果が出てる。過去四件と今回の件については着衣に付着があった。だが、前回はなし。なにか手がかりのひとつになればいいが・・・・・・。それとこれも目を通してくれ。二十年前の事故のリストだ」


 今回の件が同一犯による犯行の再開ならば、模倣犯以上に空白期間がなぜ存在したのかが問題となる。環境の変化、別事案での逮捕及び収監、事故による怪我の影響――それら考えられる可能性をひとつずつ検証し、潰していって、犯人へと繋がる道筋を見つける必要があった。

 鳴滝が机の上に広げた資料はそのひとつだ。それを仲良くそろってのぞきこむ金と黒の頭上に、遠雷に似たひび割れを含む声が、引き続き明瞭に降る。


「二十年前の最後の一件から数か月間内の県内の大きな事故と、その医療記録になっている。まだ全事故を医療記録と照合しきれてはいないが、大きな事故となると治療を行う病院も限られるからな。すでにあやしいのが何件か見つかったんで、取り急ぎ持ってきた。被害者となった契約者の住まいからは離れている者もいたが、みな居住地が、〈あやかし〉側の住んでいる所と近い」

「職業は薬剤師、区役所職員、医療事務・・・・・・どれも個人情報にアクセスしやすいな」

「このリスト内の人物については、至急いまの状況を確認したいね。場合によっては、掛け持ちで悪いけど藤間ちゃんにもデータ送って手伝ってもらおう」

「こちらも残りの事故と医療記録の照合、別方向の犯罪記録の洗い直しも行いつつ、このリスト内の人物から優先的に現状を調べていく」

「俺たちもリストの人物当たるの手伝わせてもらいます。あ、そうだ。あと色々やること増やしちゃうんですけど」

 そう北瀬は立ち上がると、なんの申し出だと待ち構える鳴滝へ、ハンカチにのったネックレスを託した。


「これ、ちょっと調べてもらいたいんで、鑑識に回してもらえます?」

「構わんが、何を調べるんだ?」

 いかつく肉厚な大きな手に、華奢なネックレスを心許なげに掲げ、鳴滝が首を捻る。孫もそんな感じで抱き上げているんだろうな、と、厳格な顔にのぞく困惑を微笑ましく見やりながら、北瀬が口を開きかけた、その時。


 電話が内線を示す音で鳴り響いた。受話器を取った那世が何事か聞き取って、平淡に、けれどどこか淡く誘う調子で笑んで北瀬を振り返る。

「北瀬刑事ご指名の情報提供の電話だそうだ」

「へぇ、今度は〈僕〉にか」

 整った面差しが甘く、けれどほのか意地悪く微笑みを象った。


「熱烈な応援メッセージじゃないといいな」

「その時は、那世くんに助けてもらうね」

 ぞわりと眉根を寄せた那世が苦言を申し入れる前に、金糸が柔らかに舞って受話器を奪った。「繋いでください」と頼む声音はすでにか細くたおやかだ。

 ぶ厚い化けの皮だと感心しながら、那世は、耳に違和しか残さないまろい音色の『君』づけに粟立った肌をなだめる。そんな彼の横で、ふと昔気質むかしかたぎの鬼刑事が相好を崩した。


「君たちは、本当にいいな」

 なんのことかと訝しむ那世を見上げ、剣俊な眼差しが切望を込めて囁く。

「都合がいいと思われるかもしれないが――孫たちの行く末が、君たちのようであればいいと・・・・・・どうしても、な」


 どこか、昔日への悔恨を抱いたまま漏らされた鳴滝の願いは、那世の時は願われ得なかった明日だった。己が家族の人柄だけが、そんな明日を思い描けなかった所以だとは那世はあまり思えないでいる。人の思考は思いのほか、その生きる場所と時に染まらぬことが難しい。あの時この故郷の地ではまだ、〈あやかし〉への忌避の念から、芽吹き難い願いだったのだろう。


 だがいつの間にか、この雪深い故郷の地ですら、その願いは当然に抱かれるべきものとして染みとおってきているのだ。いつかの誰かが、苦しみもがき足掻いた分だけ――雪が融けて、春に移ろうように。


「――出来れば、未来のお孫さんの契約者は、ああいう手のかかる輩じゃない方がいいと思いますよ」

 大きな猫を引っ被っている相棒を瞳におさめて、那世はゆるやかに進言した。その言葉とは裏腹に含まれた、春を慕うような響きに、鳴滝はただ低い声で「そうかもしれんな」と笑いを喉の奥で転がした。





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