休憩室とコーヒーと



 深い青空が、鮮やかに視界に迫る。陽射しを反射して輝く雲が、そこに悠然と浮かんでいた。

 警察省の非違検察課が入っているフロアの片隅。そこにある休憩スペースの小さな窓からすら、夏の盛りの活力が生き生きと感じられる日和だ。


 八月も半ば。学生たちは、気の早い者ならそろそろ休みの終わりを意識しだす頃だが、佐倉と同居しているえせ小学生はどうなのだろうか。最低限のひと月は過ぎてしまったが、まだ戻る気配はない。最初の頃は、仕事で彼が省内をうろうろしていると、子どもが入り込んだと驚く者も多かったが、今やだれも気にも止めなくなってしまった。ちなみに、「未成年飲酒は禁じられているのに、児童労働はなぜ容認されているのか」と愚痴をこぼしていたのは、彼の上司によって華麗に黙殺されている。


 遅い朝食のごみを捨て、食後のコーヒーでも淹れるかと佐倉が立ち上がると、ちょうどドアが開いた。姿を見せたのは、小学生の相棒。黒髪の美青年。相変わらず鋭く整った顔は涼しげだが、どこか疲れが差していた。思い当る節があって、佐倉は八重歯をのぞかせ苦笑する。


「今日カウンセリングの日か」

「ああ、散歩拒否する柴犬を引きずる心地だった」

 ぼやいて、那世は共有の冷蔵庫から、ティラミスロールなるコンビニの新作を取り出した。カウンセリングは省から離れた病院で行われるため、見張りもかねて那世が送っていってやっているのだ。いまのところ初回以外は、素直に応じたためしがない。さすが育てた親は息子のことをよく理解していたな、という惨状だ。


「最終的には受けるくせに、あいつなんでちょとごねんだよ」

「わりと直球で生きてるくせに、芯のところの開示を気恥ずかしがるからな。そこが拗れてるから、ただ単に嫌なんだろ」

「本当にただのめんどくせぇ奴だな」

 問題があるわけではなく純粋に我儘、という揺るぎない事実に、佐倉は正直な感想を述べてやった。


「つか、毎回結果は問題ないんだろ」

「トラウマのトの字も、PTSDのPの字もない。・・・・・・逆に怖いぐらいだな」

「――あいつのタフさはしなやかさだから」

「知ってる」

 無の表情がほのか笑んで答えて、佐倉は手持無沙汰に顎をかいた。彼にはいまさらの言葉過ぎたようだ。だが、小さな憂いに不要なお節介とまではいかなかったろう。


 そこへ、またドアの開く音が重なった。昼食の少し前の時間帯ゆえか、立ち寄る者が多いようだ。

「あれ? 早乙女さんと長洲野さんじゃないっすか」

 おっとりと穏やかな笑顔の隣で、頭ひとつ分は高い強面が睨みをきかせている。ともに見知った顔だが、珍しい組み合わせだ。佐倉が捜一の応援に取られているのもあって、組織員の聴取に当たる長洲野と、早乙女が組むことが多いのだ。いまだけ限定のバディのようなものである。


「午前、取り調べ入ってませんでしたか?」

「それが思ったよりも早い段階で収穫があってね。班長に報告入れてきて、忙しくなる前の小休憩だよ」

 那世に微笑みながら給湯スペースへ向かった長洲野は、ふたり分のコーヒーを淹れはじめた。「早乙女くん、ミルクだけだよね」などと、勝手知ったるやりとりだ。このひと月あまりで、すっかりバディぶりが板についてきている。


「浮気っすか?」

「おいおい、俺ほど一途な男はいないぞ? 公私を班長と嫁に一筋に捧げてんだからなぁ」

「ちょ、オレは元から入ってないんすか?」

「公私で誤魔化してますけど、すでに二股なんでは・・・・・・」

「弄ばれちゃったかぁ~」

 尽くしてるのになぁ、と笑いながら渡されたコーヒーをありがたく受け取って、「人生最大のモテ期が来てんな」と早乙女は豪快に笑い声をたてた。


「それで、収穫って何があったんですか?」

「うん。詳しくはあとで班長からきちんと話があると思うんだけどね、組織員殺しで調べてた男、やっぱりクロだったんだ」

 那世の隣の椅子を引いて腰かけ、穏やかな声は静かに手元のコーヒーに砂糖を入れた。


「それで、殺しの理由なんだけど、被害者がずいぶん前から組織に内密に独自の売買ルートを作ってたようでね。地元の昔の友人づてに販路を広げていっていたらしい。それが露見して、ということのようだ。あの発見されたゴミ捨て場が、被害者の取引場所のひとつでね。制裁と取引相手への脅しを兼ねて、あの形での殺害と遺棄になったみたいだよ」


「凶器が対〈あやかし〉用の術式ナイフだったのは?」

「組織の方も、取引相手側の詳細は掴んでいなかったんだそうだ。ただ、特的暴力組織の品を横から掠める相手だからね。力のある〈あやかし〉がいる可能性もある。だから、こちらには相応の対応ができる、ということを伝えたかったらしい」

「物騒なメッセージなうえ分かりづれぇな、おい」

 誰に向けるでもない佐倉のぼやきに、もっともだとばかりにくすくす笑って、長洲野は続けた。


「ともかく、こちらとしては、次はその売買ルートを洗うことになりそうだ。詳細不明といっても、奴らも取引相手が本当にまったく分からないままで動いたわけではないだろうからね。実行犯の方も詰めていくけど、捜査で当たるのは、まずは被害者の地元かな。栃木県。関東圏で、いままで出てきてなかったルートだから――もしかしたら、誘拐に絡む可能性もあるかもしれない」

 甘い蜜色のたれ目に、ふっと研ぎ澄まされた鋭さが宿る。そこが長洲野の怖さなのだろう。ぬくもりのある温和さと、透徹とした鋭利さが併存する。被疑者が捜査線上に浮上して彼が聴取に入ってから、一週間も経っていないはずである。


「いやぁ、一緒に入ってて思うが、長洲野さんにだけは取り調べられたくねぇな。ふんわりしながら、当人の気づいてないところから踏み込んでって、核心を吐かせる吐かせる」

「早乙女くんが睨みをきかせてくれてたからね。それが効果的だったんじゃないかな」

 にこにこと、気の知れ合った空気を醸し出すふたりに、「早乙女さ~ん」と、佐倉がまた茶々を入れた。


「バディ、オレっすからね。忘れないでくださいよ。長洲野さんには藤間がいるじゃないっすか」

「いやぁ、藤間には、バディの僕以上に、譲れぬアレクサンドリアがいるしなぁ」

「そいつは強敵っすなぁ!」

「佐倉、お前も長洲野さんぐらい泰然と構えてろ。嫉妬はみっともない」

「アレクサンドリアと長洲野さんじゃ、強敵具合の質が違ぇからな?」


 おどけた調子を潜ませながらやきもきしてみせる佐倉の張り上げた声に、早乙女と長洲野の笑い声が重なった。南方の呼び出しが入るまでの束の間。コーヒーの香りとともに、休憩室にはくだらぬ話の花が、しばしのんびりと咲き誇っていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る