第12話:路銀


「何の用なの? 私しつこい奴は嫌いなんだけど」

 麗奈は攻撃的にタンカを切る。


「ゴブリン族には、女が生まれないんだ? 何故だかわかるか?」


 ホブのすっとんきょうな質問に、麗奈がイラついた。


「言ってる意味がわかんないんだけど? 人間の言葉、ほんとは分かんないんじゃないの?」


 麗奈の言葉を無視するように、ホブが続ける。


「人間の女とるために、神が俺たちを作ったんだ。だから、俺もお前を慰めてやらないといけないと言っているのだ、ギヒヒ」

「あら、そうなの? でも、私はあなたと寝るつもりはないわ。ほかの人を探して」


「ここに、お前以外に女はいない! 今までも! そしてこれからもな!」

「じゃあ、一人でマスでもかいてろ、このクソ野郎!!」


 麗奈がそう言うと、入れ墨が光る中指を、ホブに向けて大きく突き立てた。

 ホブに、このジェスチャーの意味が分かったかは不明だが、それを見て大笑いしている。

 自分でも中指を立てると、もう一方の指で輪っかをつくり、そこに中指を出し入れして卑猥な笑みを浮かべた。


――He's a creep! (変態やろうめ!)


 その光景を目にした麗奈は完全にぶち切れ、ファイティングポーズをとった。


「俺とやろうってのか、お嬢ちゃん? 人間で一番強そうだったあいつに勝ったこの俺様と?」


 そう言われ、麗奈はさらに頭に血が上る。

 しかし、怒りながらも冷静だった。むしろ、冷酷になっているのかもしれない。


「試合では、あんたが負けたのよ! 卑怯な手を使ってしか勝てないルーザーよ! LOOSER(この負け犬)!」

 額に右手で「L」の字をつくり、相手を挑発する。


「調子に乗りやがって、くそアマがぁ!」


 頭にきたホブが、麗奈を捕まえようと胴体にタックルをする。

 しかし、麗奈は難なくバックステップで、これをかわした。


 今度はホブが、真上からかぎ爪を叩き落とす。

 麗奈は半身でそれをかわし、その体勢のままジャブを打ち込むと、あごにストレートを放った。


「こんなパンチ、さっきの奴の方がいくらかマシだったぞ。こんなぬるい攻撃で戦おうとは片腹痛いわ!」


 たしかに、敬吾のパンチは1tにも迫る強烈なものであったろう。

 それに比べ、麗奈のパンチ力は200kgにも満たない。

 しかし、200kgとはいえ、男子のミドル級なみのパンチ力であり、体重の軽い麗奈にしては異常ともいえる数字だ。


 麗奈はホブの言葉に動じる気配もみせず、小刻みに前後のフットワークを刻み続ける。

 女子3階級を制してきた女王の風格がただよった。


 ホブのかぎ爪は、執拗に麗奈をつけ狙う。

 その度に、麗奈は攻撃でかわし、合わせるようにワンツーを放った。

 ジャブはその時々で狙いを変えたが、ストレートだけはホブのあごを正確に狙い打つ。

 その精密さは機械のごとく、寸分たがわず同じ場所にヒットさせた。

 ホブのあごは徐々に赤く腫れていく。


 一方のホブは、麗奈を捕えきれない。

 麗奈のフットワークは女子にありながら、世界最速とまで言われている。

 人間なみのスピードしかないホブに、捕えられるはずはない。


 しびれを切らしたホブが、両手を大きく広げ、覆いかぶさるように麗奈に突進する。

 麗奈は華麗にサークリングしながら、ジャブを3発入れると、渾身の右ストレートをあごに放った。


「ノー・タイム……、 フォー……、 スカム (クズに用はない)……よっ!」


 本日何十発目かのストレートが、鮮やかに決まる。


 その瞬間、ホブはふらつきながら大きく後退し、あごを押えて頭をふった。

 弱いパンチでも、正確に同じ場所にヒットすれば、ダメージは蓄積するのである。

 麗奈のパンチは敬吾の約5分の1だが、5発正確に同じ場所に当てれば、敬吾の1発と変わらない。


 それに先ほど、ホブを治療していて、彼女はこの小鬼の弱点にも気づいていた。

 敬吾との一戦で、首に異常が出ていたようである。あごの動きが妙であったのを見逃さなかったのだ。

 恐らく、頸椎を損傷したか、その周りの筋肉を痛めたのであろう。


「このくそアマ、いい気になりやがって!」


 顔を紅潮させた小鬼は怒り狂い、腰巻から例の匕首あいくちを取り出した。

 刀身30cmの長物である。

 ホブがその刃先を振り回すと、麗奈は積極的に踏み込まなかった。


 刃物を持つ相手と戦う場合、振り回している時には隙がない。

 唯一、相手の刃物を取り上げるチャンスは、とどめを刺す「突き」が来た時だけである。

 麗奈は、攻撃が当たらないギリギリの位置に身を置き、とどめの一発が来る瞬間を待っていた。


 それにしても、ホブの様子がおかしい。

 さきほどから、しきりに股間の腰巻に左手を入れ、もぞもぞと動かしている。

 こんな時に一体何をしているのか。


 それよりも今は、目の前の動きに集中したい。

 ほんの一瞬出遅れただけで、命取りになるからだ。


 ホブの匕首が麗奈の顔先で3回小刻みに空を切る。

 麗奈には、これが「突き」へ移る予兆だと、すぐにピンときた。

 案の定、次の瞬間には、刃物がまっすぐ喉元へ向かってくる。


――今よ!


 麗奈は合気道の円運動で半身を後退させ、すぐさま、匕首を握る小手先をとらえた!


「ばかめ!」


 ホブがそう叫びながら、麗奈の肩をもう一方の手で押した。


――え!?


 次の瞬間、麗奈の足元が滑り、床に倒れこむ。

 見ると、地面に大量の油があふれているではないか。

 ホブが腰巻をさわっていたのは、この油を撒くためだったのである。


 ホブは麗奈の足を両手で掴むと、力いっぱい彼女をふりまわし壁に叩きつけた。

 麗奈はとっさに頭をかばったが、反動が強く頭を打ってしまう。

 頭から出血し、視界がかすむ。

 意識が飛ぶ直前であろう。


「キ……ラ……助けて……」


 そう小さく叫んだ途端に、意識を失った。

 ホブは、彼女を引きずったまま霊安室へ入っていく。

 床に血の痕跡を残して。



 そのころキラは、ジュードと入場門前ですれ違っていた。

 ほんの50m先で麗奈が危機に瀕しているなど想像もしていないだろう。


「いい試合だったぜ! 俺も勇気が湧いてきたよ。ありがとな!」


 キラが元気よくジュードに話しかける。


「……すけて……」


 何か後ろから声がした。

 キラが振り向くと、うしろには看守が身体検査が終るのを、腕組みして待っている。


「はやく検査をすませろ、馬鹿タレが!」


 そう看守に急かされ、何の声だったのか確認できない。

 キラは思い出したように、握りしめた銀貨を目の前の看守に渡した。


「何のまねだ? こんなもので俺を買収しようというのか?」


 看守の意外な反応にキラが慌てる。


「そ、そうじゃないけど……、ほらいつもお世話になってるお礼ってか、その何だ……ははは……」

「心がけは結構だが、それは三途の川の渡し賃にとっておけ!」


 そういうと、背の低い目の前の看守は汚い歯をみせ、意味ありげに笑った。


「あ~、そういうことね。俺を殺したくてしょうがないって訳か?」


 キラは、賄賂を受け取らない理由を理解し、目を細めながら皮肉な笑みを浮かべる。

 それを聞いたジュードが血相をかえ、看守の元に駆けつけた。


「この馬鹿が何か失礼なことをしたんですね? いやぁ~ほんと馬鹿な奴なんで、これで許してやってくださいな」


 ジュードが、持っていた腰袋の銀貨を全て看守へ差し出した。

 20枚ほどは入っていただろう。


「お前まで、俺を買収するつもりか? 侮辱するなら許さんぞ」


 そう言っている看守の顔は笑っている。

 しかし、いつも進んで賄賂を受け取る看守が、一向に受け取る気配がない。

 やはり、キラを処刑する計画のようである。


「おやっさん、ありがとう。でも大丈夫だぜ。どっちみち、あの相手じゃ凶器持たれたところで、同じだよ。それより看守、はやく検査終わらせてくれ」

「お前は裸同然だ! 検査などする必要もない、さっさと行け!」

「じゃあ、この布も持って入っていいよな?」


 キラが、身にまとっていたぼろ布を指さして、そう聞いた。


「その布は、飛び散ったお前のはらわたを隠すのに丁度いい、持って入れ」


 看守は薄気味悪く笑うと、キラの頼みをすんなり受け入れた。

 よっぽど処刑に自信があるとみえる。


「わしもここで見届けたいんですが、いいですかの?」


 ジュードは部屋へ戻るつもりだったが、キラを心配してここに居残るようだ。


「それは構わんが、ここは特等席だからな。それなりの観戦料はおいていけよ」

 看守は、そう言いうと片手を差し出して、銀貨を催促した。

 ジュードは渋々、さっき見せた銀貨をすべて看守へ渡す。


「すまねーおやっさん! あいつに勝って、倍にして返すよ!」

 キラは織っていたぼろ布をたたんで小脇に抱え、入場門へと進んでいった。



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卑怯なホブが、霊安室に連れ込む……

死地と知ったキラは、新たな秘策を思いついたのか!?


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