第11話:存在さえ許せないほどの憎悪



 ジュードが闘技場で戦っていたころ、麗奈は獣人達の治療をしていた。

 試合が気がかりである。しかし、彼らの苦戦を見るのは、それ以上に辛かった。

 気丈に振舞ってはいるものの、内心は不安でしょうがないのだ。

 むしろ治療に専念しているほうが、気が紛れ、幾分こころが落ち着いた。


 治療といっても、ここにいる選手は人間ではない。

 麗奈にも、獣医としての心得はなかった。

 しかし獣医学も、元は人間の医療を応用したものである。

 例にもれず、獣人たちも構造的には、共通部分が多かった。


 それに他の動物たちとは違い、簡単な言葉は理解しているようである。

 問診まではいかないが、患部を指さすなど、ある程度のコミュニケーションはとれていた。


 今治療しているのは、闘技場で戦っているジュードの弟を殺した、リザードマンである。

 そう思うと、治療など行いたくはない。しかし、医者としてのプライドがそれを可能にしていた。

 医者はどんな凶悪犯であっても、治療を施す職業だ。

 なぜなら、目の前にある命の重さに、優劣などないからである。


 激しい戦いの後だというのに、リザードマンの身体には傷一つない。

 無くした眼球以外、どこにも異常が見当たらないのだ。

 そもそも、体中が硬い皮革に覆われ、素手で怪我を負わせること自体、不可能ではないかと思われた。


 その表皮をよく見ると、無数の大きなトゲが突き出している。

 トゲの大きさは部位によって違なるが、身体の正面や背中に、かなり大きな物が並んでいた。

 このトゲに拳を打ち込めば、打った拳が怪我をするであろう。

 ところで、ハ虫類の腹は背中にくらべ、皮膚が薄いのではなかったか?

 おそらく、二足歩行になる過程で、腹にも丈夫な皮革ができたのだろう。


 尚、この突起の正体は、ハ虫類が持つ「皮骨」とよばれるものである。

 皮骨とは、体の表面でカルシウムが結晶化した、皮膚にできる骨のことだ。

 ワニなど一部のハ虫類は、この皮骨のスパイクで身を守っている。

 つまり、リザードマンも、全身を鋭い牙のようなスパイクが覆っているのだ。


 麗奈はリザードマンのえぐられた瞼を、医療用針で縫い合わせようとした。

 だが、硬質ゴムのような分厚い皮膚に阻まれて、針がうまく通らない。

 幸い、出血は止まっていたので、仕方なく医療用の瞬間接着剤で傷口をふさいだ。


 リザードマンの処置が済み、看守に手渡された患者リストに目を通す。

 次の患者は、なんと敬吾を殺した、小鬼のホブ・ゴブリンである。

 薄暗い部屋の中、松明たいまつ片手に小鬼の元へと向かった。


 先ほどのトカゲ男も憎い相手だが、ホブには一層深い憎しみがある。

 敬吾を殺したという事実に加え、卑劣な手段で対戦相手を惨殺したのだから。


――こんな奴の治療をするなんて!


 治療を投げ出したい気持ちであった。だが、試合に出ない条件として引き受けたのだから仕方がない。

 メモ書きにある簡易地図どおりに進むと、顔を腫らした小鬼が、壁に寄りかかって座っている。


 麗奈は覚悟を決めた。


 ホブと目を合わせることもなく、斜め前に座ると、さっそく湿った布で顔の洗浄をはじめる。

 すると突然、信じられない言葉が耳に飛び込んできた。


「お前の仲間にやられたんだぞ!」


 驚いたことに、ホブは言葉を話せるようである。

 ドワーフが言葉を話すのだから、他に話せる種族がいても不思議ではない。

 しかし、下等だと思っていたゴブリン族が、言葉を発するのは意外であった。


「あら、そう。私の仲間なんか、あなたに殺されたけれどね」


 淡々と話しながらも、麗奈の言葉に私怨しえんがこもる。


 治療中ずっと、あの惨劇が頭を離れない。

 卑怯な火炎攻撃で、敬吾を焼いたこと。

 隠し持った刃物で内臓を引きずり出し、無抵抗の相手を笑いながらめった刺しにしたことなど。

 勝利を目前に殺された敬吾は、さぞ無念であったろう。


 その犯人を自分が治療しているのである。

 いっそこのまま、メスで喉元を切り裂いてしまおうか? そんな衝動も湧き上がってくる。

 しかし今は、この場から抜け出したい気持ちの方が、ずっと強かった。


 最小限の処置を済ませ、麗奈はそこから立ち去ろうと無言で立ち上がる。

 すると、ホブの大きな手が、彼女の細い腕をつかみ引き止めた。


「ずいぶん愛想がないな。女に触れるのは、久しぶりなんだ。俺を慰める手伝いもやってもらうぞ」


 獲物を狙うハ虫類のような目で、麗奈を見つめ、舌なめずりをする。


――汚らわしい!


 そう思い、心得のある体術で、小鬼の手を簡単に振り払ってしまった。

 麗奈はボクシングの他に、合気道を習得している。

 合気道とは力学や人間工学に基づき、相手の力やその力の方向を利用して、防御や攻撃に転ずる護身術だ。

 力で男性に劣る女性には、ボクシング以上に有用な格闘技であるといえる。

 特に、圧倒的な体格差があるこの世界では、その有用性は計りしれない。


 驚いた様子のホブを尻目に、麗奈は一言も発さずホブの元を去った。


「「わぁぁぁぁぁ!!」」


 闘技場から、客たちの歓声が聞こえる。

 ジュードとウェアウルフの、勝敗が決したのだろうか。

 麗奈は結果を知るべく、部屋奥の小窓まで移動する。

 そこには、両手を高らかに上げるジュードの姿があった。


 ジュードの勝利に胸をなでおろすと、すこし気持ちが高揚する。

 そういえば、先ほどからトイレを我慢していたことを思い出す。

 極度の緊張と冷えで、尿意が近いのだ。


 この建物にも当然、トイレらしき施設がある。

 人間のそれとは形式もサイズも違うが、用を足すには事足りた。

 場所は、今いる大部屋を出て右側へ向かい、霊安室の対面である。

 ちなみに、霊安室を超え、右へ曲がるとキラ達のいる入場門が目前であった。


 本来なら、キラやジュードに付き添ってもらいたいが、もはや限界に達している。

 それに、戻ってくるジュードと廊下で合流できるだろう。

 トイレがその道中にあることも、彼女に安心感をあたえた。

 麗奈は意を決し、大部屋の出口のトンネルをくぐり、廊下へと抜ける。


 この建物では、何もかもサイズが巨大である。

 壁の厚みは以前説明した通りだが、廊下とて例外ではない。


 その廊下は、車道と言ったほうが相応しく思えるほどの大きさだ。

 おそらく、車が2台通れる道幅ではないだろうか。

 床はモルタルに小石が敷き詰められ、足元から刺すような冷気を感じた。


 天井は、闘技場の塀と同じぐらいの高さがある。

 その高い天井付近では、壁がうっすらアーチを描いているのが見えた。

 薄暗い廊下に人影はなく、10mほどの間隔に設置された、松明の明かりだけが道しるべである。


 霊安室まで来ると、麗奈が入口の前で立ち止まった。

 ここには、ジュードの弟や敬吾たちが眠っている。

 信心深い彼女は、胸の前で手を合わせると、目をつむり祈りをささげた。


――主よ、どうか彼らを、安らかに眠らせ給え。


 静かに黙とうをささげる。すると突然、背後から聞き覚えのある声がする。


「ははは、奴のはらわたは、拝まなくていいのか?」


 なんと、殺した張本人のホブである。


 敬吾の眠るこの場所で、不謹慎にも程がある。

 怒りで上気した麗奈の顔を、入口の松明が煌々と照らす。

 その修羅のごとき形相は、現役時代でさえ見せたことのない、険しいものであった。



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怒りを露わにした麗奈!

このままホブと激突するのか!?


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