第8話:名手


 麗奈は大学時代、女子プロボクサーだった。

 アメリカ大手の薬品メーカー、TDP社の社長令嬢でありながら、大変かわった経歴を持つ。

 幼いころより何不自由ない生活を送り、勉強はもちろん、語学やヴァイオリンといった習い事まで、国内屈指のチューター(家庭教師)から指導をうけた。

 高校は、かの名門・フィリップス・アカデミーへ入学。卒業後は、イエール大学・医学部へと進む。


 彼女の人生は、一見順風満帆に見えた。

 しかし、ある時期を境に服装やメイクが奇抜になってゆき、周りにまで攻撃的となる。

 そして、遂には大学まで休学してしまうのだ。


 休学の間、彼女はただ遊んで過ごした訳ではなかった。

 ボクシングに打ち込み、数年の間にプロデビューまで果たすこととなる。

 挙句、世界3階級の王座まで獲得するという、偉業を成し遂げてしまうのであった。


 とは言え、見た目はどう見ても華奢な女性にしか見えない。

 身長171cm、体重50kg。

 いくら彼女が強いといえど、このフィジカルで、大型モンスター相手に勝てるとは思えない。


 運悪く、今回戦うオーガは通常のものよりさらに大きい。

 ざっと身長350cm、体重500kgを超える。通常オーガ2匹分ちかい巨獣である。

 ちょうど、バッファローが2足歩行しているイメージといえば、想像がつくだろうか。

 タックルされれば、軽自動車にはねられるのと大差ないのだ。


 今日観た敬吾の試合が、キラの脳裏に浮かぶ。


――敬吾があれだけ苦労しても、結局ホブ一匹倒せなかったんだぜ。あんなデカいの相手じゃ、麗奈はぜってー死ぬ!


 無残に殺され、内蔵が飛び出た麗奈の姿を想像した。

 そう考えると、強い感情がこみ上げ、勢い余ってこう口にした。


「おい看守、俺が代わりに出てやるよ!」


 キラの言葉に場内が静まり返る。


「何? お前が代わりだと? そんなことが、言える立場だと思ってるのか!」

 看守がそう怒鳴ると、持っていた戦斧の柄でキラを小突こうとした。


 反射的にキラはその突きをかわし、あっという間に看守の懐に入る。

 アッパーを見舞う一寸手前で拳を止めると、眉を寄せこう囁いた。


「だからさ、俺の方が試合盛り上がるって、言ってんだよ」

 完全に目が座り、凄みを効かせる。


 予想だにしない俊敏な動きに、大男の看守もたじろいだ。

 しかし場の雰囲気は最悪である。

 いつまた、陰湿な嫌がらせを受けるとも限らない。

 それまでうつむいて、黙っていた麗奈が口を開いた。


「私はこれでも医者なのよ! 今日ここに来たのも選手の治療をする為。私みたいな腕利きがいたら、試合がもっと盛り上がるわよ!」


 声量は小さかったが、今の彼女の精一杯だと思われる。

 辺りは、水を打ったように静まり返った。

 その異変に気づいた看守長も、部屋へ入ってくる。

 腹の出た体をいからせ、辺りを見回すように、のそのそとキラ達に近づいた。


「何事だ?」


 そう看守長が問うと、手みじかに看守が報告した。


「はい、あのですね……、女に試合を告げたんですが、代わりにこの男が出るとほざきやがって、そしたら調子に乗って、女も自分は医者だとか嘘をつきやがるんです」


「何? 医者だと!?」

 看守長が大声でそう叫んだ途端、報告した看守を殴りつけた。


「ひぇ、何するんですか!?」

 看守が怯えきった表情でそう返した。


 しかし、尚も看守長の暴行は続く。

 鼻は折れ、皮膚が裂け、辺りは返り血で赤い霧が舞う。

 ひとしきり看守を殴ると、看守長は落ち着き払って麗奈にこう言った。


「医者なら、こいつを何とかしてみろ!」


 麗奈は無言で看守に駆け寄ると、素早く目だけを動かして、損傷部分を確認した。

 そして、持参したポーチから薬品などを床に並べ始める。


「いい? ちょっと痛むわよ」


 そう麗奈が言った途端、折れて変形した鼻を逆側から殴りつけた。

 道具がないため、拳を使って接骨したのである。

 その痛みに、看守は大きな悲鳴を上げた。


 その後も、麗奈は手際よく施術を続ける。

 先ず全体をきれいに洗浄し、綿棒にアドレナリン溶液をしみ込ませると、鼻の中に入れ鼻血を止めた。

 アドレナリンは強力な止血剤として、格闘技の試合で使われている。


 その溶液を使って、瞬く間に看守のあらゆる出血を止めたのだ。

 裂けた皮膚に至っては、医療用針をつかい、あっという間に縫い合わせてしまう。

 最後に、眼上にある腫れをエンスウェルとよばれる金属コテをあてがい、綺麗に抑えてしまった。

 仕上げにワセリンを塗り、テーピングなどをして治療完了である。


 道具を準備してから、ここまでにかかった時間は5分足らず。

 試合では、1分間のインターバルにあらゆる施術を行う麗奈だ。

 5分でも、丁寧に治療を行ったほうだと言える。

 正に、止血の名手であった。

 あまりの手際良さに、その様子を全員が見ている。


「ふぁはっは! ほんとに医者なのか! よし、試合は免除だ。その代わり、ここにいる全員のけがを直せ! いいな?」


 そう言うと、怪我した部下を連れ、ゆっくり部屋の出口へ向かった。

 麗奈たちがほっと胸をなでおろしていると、看守長が入口付近で立ち止まる。


「それから試合は――、望み通りその男にやらせろ」


 そう言い捨てると、一行はようやく部屋から出て行った。

 麗奈の試合だけは回避したものの、一難去ってまた一難である。



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麗奈のカットマンの能力で、何とか難を逃れたが……

キラは、巨大な猛獣相手にどう戦うのか?


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