第5話:初陣(下)


 敬吾は相手の様子を、よく観察していた。

 細かいジャブを打ち、距離を取りながら、慎重に相手の力量を測っている。

 目の前の生物は、皮膚が丈夫でダメージが通りにくいようだ。

 しかし、衝撃自体は浸透し、確実にダメージが蓄積されているのが、感触として分かる。


 ホブは人間よりも力が強いようだが、敬吾がそれを上回っているようでもあった。

 なにしろ彼は、格闘界きっての、怪力の持ち主である。

 以前、縦列駐車で出庫できず困っている女性に、片側ずつ車を持ち上げ出庫させ、驚かれた逸話まで持っているのだ。

 この事実から察するに、彼の背筋力は500kg以上と推測されている。


 更に、ホブとの身長差も敬吾の持つ長大リーチによって、緩和されていた。

 手のひらを伸ばし、左右に腕を広げた状態で両端を測ることを、ウィングスパン、又はリーチと呼ぶ。

 人間のウィングスパンは、身長と同じ長さになるのが普通である。

 しかし、敬吾のそれは特殊であり、身長よりも20cm近く長かった。


 つまり、腕の長さが20cm長い敬吾は、身長が20cm高い相手と、同じ距離で戦えるということになる。

 現に、ホブの身長は、敬吾より10cmほど高いが、敬吾にはパンチがまるで届かない。

 ボクシングでは、10cmリーチが長ければ、相当有利だと言われている。


 もちろん、一番の懸念材料である、鋭い爪と牙にも対策を立てている。

 パンチを打ち合う距離で戦うかぎり、リーチの長い敬吾は、それらを回避できるだろうと考えていた。

 その為、相手が近づくや、足を狙ったローキック、もしくは腹部へのフロントキックで、相手の動きを封じ込める。


 焦ったホブが足に襲いかかるが、顔面に強烈なひざ蹴りをもらい、思うように飛び込めない。

 ひとたび距離がはなれると、また敬吾が得意とするボクシングで戦わざるをえないのである。


 こうして敬吾は、一歩ずつ勝利への可能性を積み上げていった。



「おおー! 押してるじゃねーか! 敬吾やれーーー!」

 いつの間にか、キラは敬吾のファンと化していた。

 敬吾の弱点を探すために観戦していた以前とは、大違いである。


 ガードの隙間を縫って拳を当てにくる敬吾に、ホブは苦戦していた。


「ほほー、あの人間強いのう! あんな奴は初めてみたぞ」

 顔をほころばせてジュードが笑う。


「あったりめーじゃん、おやっさん! あいつは俺たちの世界じゃ最強なんだぜ。今頃あのゴブリン、ガードしてる自分がなぜ殴られてるのか、訳分かんねーだろうよ!」


 世界でも一流のボクサーともなれば、そのパンチの精密さも群を抜いて高いといわれる。

 パウンド・フォー・パウンドと噂される、名ボクサーともならば、格下ボクサーのガードなど、易々と避けて攻撃できるのだ。

 極限まで技を高めてきた敬吾であれば、素人の防御など目をつむっていてもすり抜けるであろう。


 敬吾のボディブローが炸裂した。

 以前キラを襲った、恐ろしい威力の爆弾である。

 しかし、苦悶の表情を浮かべながらもホブは倒れない。


「あれ受けても、まだ立ってるのかよ……」


 身に染みて威力を知るキラが、思わずそう漏らした。

 しかし、敬吾も攻撃の手を緩めない。

 顔を数発殴ればボディーを打ち、ガードが下がったところに、また顔面を強打した。

 ボクシングのお手本のような戦い方である。


 みるみるうちに、ホブの顔が腫れ上がった。

 ホブの表情が苦悩に歪み、立ったまま体を「くの字」に曲げ、顔を抱えて足が止まった。

 ここまでくれば、フィニッシングブローで追い込みのチャンスだ!

 敬吾は温存していたありったけの力を使い、フックやストレート、アッパーといった大技をコマが回る勢いで叩き込む。


「いっけーーーーーーーーーーー!!!!」


 キラが興奮して絶叫する。

 あまりの猛ラッシュに、ガードする力も失せたホブが大きくふらついた。

 敬吾は尚も手を休めず、更に激しい連打で仕留めにかかる。


 バキバキと、骨の砕ける音が辺り一面をこだました。

 観客は総立ちし、大声援で目の前の芸術的展開を讃える。

 最後に、敬吾の丸太のような足から放ったハイキックが、ホブの頸動脈に直撃した。


 足の力は、腕の力の6倍とも言われる。

 それを敬吾の怪力で、急所である頸動脈に叩き込んだのだ。

 頸動脈は人体の重大な急所で、そこを強く圧迫されると脳への血液供給が滞り、気絶するか絶命する。

 敬吾の蹴りの威力なら、血管を破壊していてもおかしくはない。

 どちらにしろ、無事でいる道理はないのである。


 案の定、うつろな目をしたホブは、大きく地面に倒れこんだ。

 もう呼吸すら、していないのではないか。

 ついに勝負が決したのだ。

 その瞬間、客席から狂喜の歓声が拍手とともに巻き起こる。


「やったー、やったぜい!! 敬吾、やっぱおめーはつえーよ!」


 あまりの嬉しさにキラは男泣きし、そう叫んでいた。

 敬吾は会場の拍手に応えるべく、ホブを背に両手を高らかに掲げ、満面の笑みを浮かべる。


「おい、それはまずいぞ!」


 ジュードがそう叫んだが早いか、瀕死ひんしのホブが足元から敬吾に近づく。

 気が付いた敬吾が振り向いた瞬間、這い上がったホブの口から、毒霧のような物が噴射された。

 同時に火打石で火花を散らすと、毒霧はまたたく間に火炎放射器へと変わっていく。

 敬吾の上半身は、勢いよく燃え上がり、後ずさりしながら熱さを訴えた。


「あち、あち、あちー、助けてくれー、あちちちちち、あついーーー!」


 無敗のチャンピオンの、悲痛な叫びが辺りに響き渡った。

 髪の毛や肉の焼ける異様な臭いが周囲に広がる。


 よろけながら、ホブはにやりと笑い、腰巻に隠していた30センチほどの匕首を取り出し、敬吾の腹を横一文字に引き裂いた。

 腹から腸が飛び出し、その腸をホブがさらに引きずり出す。


「Oh, no! Oh, my God! Noooo!」


 麗奈はそう叫ぶと、顔をそむけた。

 キラは驚きのあまり、声すら出せない。

 その後、ホブは匕首で、敬吾の心臓や目玉、喉元を滅多刺しにした。


 返り血を浴びるホブは狂乱し、はしゃいでいる。

 そしてしばらく刺し続けると、敬吾はピクリとも動かなくなり、それ以上血を噴き出さなくなった。

 心臓が止まり、出血しなくなったのである。


「そんな……嘘だ……嘘だ……こんなの嘘だ……」


 絶望に顔を歪め、キラは力なくそう呟き、わなわなと震えだす。

 一瞬見え始めた希望が、ガラガラと音を立て崩れ去った瞬間だった。


 ただ、ホブの勝利をたたえる声援が、3人には耳障りでしょうがない。



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絶望の淵に立つキラ。

しかし、いずれ彼も戦わなければ……。


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